希望1
十二月三十一日先生は生徒会室にはすでにいなかったし、職員室にもその姿はなかった。他の先生もどこにいるか知らないようだった。先に校長に会いに行くことにした。とはいえやはり気は進まない。この学校で一番偉い人間というだけで厭なのに、ここ最近校長の周りの人間関係を聞きすぎている。
校長室の前に立ち、ノックしようとした所で声が聞こえた。
「入るがよい」
それでも一応ノックをしてから扉を開けた。校長らしき人物が背を向けて立っている。
「よく来たな生徒会長よ」
そう言いながら振り返る。年を感じさせない美人だ。まあでもそれなりの美人というだけで、他に特徴がない。印象も薄い。
「なぜ私が来ることを知っていたのですか」
「愛ちゃんから聞いたのだ」
「愛さんがここに来ていたのですか」
「ああ、不審者がどうのこうのと言っておった」
私に言ったのと同じようなことだろう。
「どこに行ったか知っていますか」
「病院に戻るといっておったな、たしか」
それなら安心だ。もうここにようはない。
「ありがとうございました。では、私はこれで」
頭を下げて出口に向かう。
「随分と愛想がないのう。わしともうちょっとばかし話をしようではないか」
「そういうのは別に要りません」
今日は妙にいろんな人に絡まれる日だ。
「まあそう言わずに。お菓子もあるぞ」
その言葉に足を止める。
「……何のお菓子ですか?」
お菓子と言って煎餅なんか許されない。別に嫌いなわけではないが。
「えーっと、貰い物じゃからよく分からんがたしかクッキーとチョコレート……」
そういうことなら話は別だ。
「いただきます」
「飲み物は紅茶でいいかのう?」
紅茶もコーヒーも大好き。甘いお菓子と一緒なら。
「はい。なにか手伝いましょうか」
「構わん。そっちで座って待っとれ」
校長は廊下側とは別の、もう一つの扉を指さす。
校長室の隣には応接室があり扉で直接つながっていた。私は応接室に入り、そこにあったソファーに座った。まもなく紅茶と、皿に載ったクッキー、チョコレートが運ばれてくる。それをテーブルに置いて彼女も向かいのソファーに座る。
「儂の娘たちが世話になってるみたいじゃのう」
「娘? 誰のことです」
紅茶の香りを嗅ぎながら尋ねる。良い紅茶だ。
「聞いておらんのか? 愛と勇気のことじゃよ」
危うく紅茶を吹き出しかけた。
そういえばこの人の名前は希望だったか。愛、勇気、希望、なるほど並べてみると確かに関連性はありそうに見える。
苗字が違うことにはまあいろいろ事情があるんだろう。
しかしそうなると元恋人っていうのはこっちの勘違いだったようだ。でもそうなると、元恋人っていうのは誰のことだろう。失礼だが美人の先生は他に思いつかない。
「まあ、愛とは元恋人同士でもあるがな」
こんどこそ紅茶を吹き出す。
「何じゃ、どうした? 大丈夫か?」
本気で言っているのだろうかこの人は。
「ええ、大丈夫です」
彼女が布巾を持ってきてテーブルの上を拭く。
「なあ、近親愛がいかんものじゃとされてきたのはなんでじゃと思う?」
彼女がそんなことを言う。真面目な話に聞こえたのでまじめに答える。
「そりゃまあ、子供ができた時に遺伝子疾患があらわれやすくなるからってのと、遺伝的多様性が狭まるからじゃありませんか?」
「同性愛はどうじゃ? なんでいかんとされとるとおもう?」
何が言いたいんだこの人。
「子供ができないからでしょう」
昔は、実のところ今も、子供を生むっていうことは、家にとっても社会にとっても大事なことだろう。
「それじゃあ、近親愛かつ同性愛なら一周回ってありじゃと思わんか?」
「いや思いません」
どんな理屈だ。
「子供が生まれたらいかんのじゃったら、子供が生まれないのはむしろメリットじゃろう」
「詭弁でしょう、それは。近親愛の問題を打ち消したからといって、同性愛の問題は問題のまま残ります」
「儂は別に子供はいらんのじゃがな」
「なぜ社会的に許されなかったかという話だったのに、個人の話にすり替えないでください」
「お主なら分かってくれると思ったんじゃがのう」
「どういう意味ですか。それにそもそも、貴方たちは周りがどう思うか、社会的にどうなのかなんて全く気にしていないように見えるんですが」
「まあ、儂らは確かにそうじゃ、じゃが言い訳が必要な人間もおるんじゃないかと思ってのう」
「だから、どういう意味ですか」
「分からんならそれでよい」
彼女はそう言って皿からクッキーを取りかじる。
「お主も食べるがいい。遠慮せずにな」
そう言うので、私もクッキーとチョコレートをいただく。美味しかった。
「まあ儂があやつらを娘と呼ぶのは一種の比喩表現みたいなもんじゃから気にせんで良い」
「それはそれで問題じゃありませんか? つまりそれって親子になることを選んだってことじゃありませんか。血のつながりだけで無条件で親子になってしまう人たちならば、仕方ないってこともあるかもしれませんけど」
「別によいじゃろ、親子かつ恋人じゃって」
「私としちゃ構いませんけど、でもあまり想像出来ませんね、家族との恋愛っていうのは」
「妹が相手でもか?」
さすがにちょっとばかしイラッと来る。
「何なんですかさっきからいったい」
「何じゃ、わかってるじゃないか、どういう意味か」
「そもそも、なんで妹のことを知っているんですか?」
「お主の妹は儂の敵じゃからのう」
「意味がわかりません」
妹の敵? つまり神の敵だ。悪魔なんだろうか。と言うか、この人はいったいどこまで知っているんだ?
「宿命ってやつじゃ。儂はあやつと戦わねばならん。あやつも儂と戦わねばならん。まあ直接対決はあるまいがな」
確かに直接対決したら間違い無く負けるだろう。しかしそうじゃなければどうにかなるという問題とも思えない。
「その宿命というやつと、今私があなたとしゃべっていることはなにか関係がありますか」
「関係あるといえばあるな。儂の敵の姉がいったいどのようなやつか気になったのじゃ」
「へえ、で、どう思いましたか」
「普通のふりしてるけどまあ、けっこうイカれてそうなやつじゃな」
予想の範囲内だからそれほど苛つかない。
「まあ、周りにそういうのが多いから仕方ありませんよ」
「全くじゃななんでこんなに周りにキ印が多いんじゃろうな」
お前がいうな。
「でも戦ってどうするんですか? 勝利条件と敗北条件は何なんです?」
「やつを無力化すれば儂らの勝利じゃ」
「儂『ら』?」
仲間がいるのか? 愛や勇気がそうだったりするのか。
「ああ、儂自身は大して強くないからのう」
「強さとか関係あるんでしょうか」
どんなに強かろうが全能の前ではゼロと同じだ。
「知らんよ。でもないよりはある方がよい」
「そうでしょうか」
私が思っている全能と、彼女が思っている全能とはやはり違うのかもしれない。
「そうじゃ、お主も儂らの仲間にならんか? 妹を裏切るのは心苦しいかもしれんが――」
「いいですよ」
即答した。
「……言い出した儂が言うのも何じゃが、薄情すぎやせんか」
「私は妹が嫌いなんです」
「むぅ。聞いておった話と違うのう」
「誰から何を聞いたんです?」
「言わなきゃいかんか?」
「別にいいです」
勇気か愛さんだろう。大穴で理想先生か。私が学校で見せる思いやりなど演技でしか無いのに。
「それではこれからよろしくな、生徒会長」
「ええ、よろしくお願いします」
私が彼女らの仲間になったのは心の底から妹を何とかしたかったわけではなくて、妹をどのように倒そうとしているのか興味があったからだ。その結果として妹がどうなろうと校長がどうなろうと別に良かった。
実のところ彼女たちや私が何をしようが何かが変わるとは考えにくかったが、だからこそ敵対するというポーズを示すのは周りにとっても自分自身にとっても悪く無いと思った。
「それじゃあ、私はここで。失礼しました」
「いつでも来るがよい。歓迎する」
次に来るとしたら多分お菓子目当てだ。
下駄箱に現実からの手紙が入っていたのを見て彼女をまたせていたことを思い出す。校門の方を見るとすでに姿はない。帰ってしまったのだろう。あれから一時間ほど経っている。しかし意外なことではある。彼女自身待っていると言っていたし、一人で帰らないほうがいいというのも聞かされていたのに。
仕方がないから私も一人で帰ることにする。もはや友達も誰も残ってはいない。少しばかり不安もあったが、そもそも愛さんのことをそこまで信じているわけではなかった。
靴を履いて校舎の外に出る。靴箱の中に手紙とはラブレターみたいだなと思いながら、現実からの手紙を広げる。歩きながらそれを読むと、それは果たしてラブレターであった。ただしそれは私宛でありながら私宛ではない。
彼女は夢という名前の女の子が好きらしかった。今日の帰り道でそのことを話すつもりだったが、やはり気恥ずかしくなって手紙にしたらしい。
なんで私にこんなことを相談するのだろう。恋愛経験のない私に。彼女には友達が少ないからしかたのないことかもしれない。
いやそもそも相談のようにも見えない。ただ書きたいことを書いているだけで、私にどうして欲しいなどということも書かれていない。
それにしても夢っていうのは誰のことだろう。同じクラスにそういう名前の人間はいない。もしかしたら渾名とかだろうか。書き方からすると共通の知り合いであることは間違いないのだが。
何事も無く家についた。自分の部屋に荷物を置く。まあ、現実については明日でいいかと思いながら日課のために妹の部屋に向かう。そういえば校長が妹のことを敵だと言っていたけれど、なぜだろう。何もせずにベッドに転がっている姿は何かの敵になりそうには見えない。彼女は何もしないし何かさせるとしたら私だから、結局のところ校長の敵というのは私なんじゃないだろうか。そうなると校長の仲間になったのは失敗だったかもしれない。
妹の部屋に入り、その顔を見た時、そうだこいつの名前が夢だった、と思い出す。
そういうことならば現実を殺さなくてはいけない。
なぜだかそう思った。
妹の体で殺人と死体処理の練習をする。詳しいことは割愛する。汚くてグロくて不快なだけだからだ。何にせよ苦労して疲れ果てて、割にあわないものだと確信するけれど、決意は変わらない。
私は、壁を越えてしまった。それはやっぱり大したものではなくて、そう感じてしまうことが少しだけ悲しい。
妹に生き返って部屋に戻っているように言うと家に帰った。妹の部屋の扉を開け彼女が戻っていることを確認し、シャワーを浴びて、ベッドに入る。
なぜ現実を殺そうと思ったのか、ちょっとだけ疑問に思ったが、殺意自体は全く消えなかったのでどうでもいいことだなと思って眠った。
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