51 それぞれの行方

 リュイと話している途中、なにかの気配を察したウェイは剣を手に部屋を出る。

 そのままの勢いで離れの外に出ると、離れのすぐそばまで迫る畑の中から老婆が転げるように出てくる。

 この家の主人ヘンケンの母親である。


「婆さんっ?」


 腰を抜かして立ち上がれないらしい老婆を見て駆け寄ろうとしたウェイだが、その背後に新たな怪物の姿を見て足を止める。

 全長は2メートルを超えるほどの巨体で、基本的には人形ひとがただが首がない。

 だが頭とおぼしき部分はある。

 わずかに肩らしい出っ張りが両側にあり、その上に直接頭が乗っているような形状である。

 そのため頭頂からのラインは山のようである。

 指先が地面につきそうなほど長い腕が肩らしき出っ張りから下がり、指先とおぼしき部位になにか持っている。


「婆さん、なかに入れ!」


 あまりに突然のことにウェイも驚きを隠せず、思わず声が大きくなる。

 剣を抜いて老婆を庇うように構えるが、迂闊に踏み込めない。

 怪物の腕の長さを見れば間合いの広さがわかるからである。

 それに武器えものを持たない素手とはいえ、モーツェの森に出る怪物の驚異的な運動能力は油断がならない。

 下手をすればあの長い腕の一振りでウェイの首が吹っ飛ぶかもしれないのである。


 ましてウェイの背後には腰を抜かした老婆がいる。

 仕方なく怪物と睨み合ったまま出方を伺っていると、ほどなく怪物のほうからウェイたちに背を向ける。

 のっしのっし……と畑を踏み荒らしながら森に帰って行くのを、その姿が完全に見えなくなるまでウェイは剣を構えたまま見送る。


「……婆さん、奴が持っていたのは薬草か?」


 ようやく剣を鞘に収めながら尋ねるウェイに、老婆は力なく頷く。

 だが摘んでいるところは見ていないのでなんの薬草かはわからないという。

 ウェイは老婆を背負って母屋に送り届けると、レーケに老婆を預けて一人で畑に戻る。

 怪物の痕跡を確認するためである。

 案の定、雨でぬかるんだ畑のあちらこちらにその足跡ははっきりと残されていた。


 あの体格に見合った大きな足跡には指がなく、左右で違う生き物のように形が異なっている。

 背丈がある分歩幅もかなり広く、地面の沈み具合から見てかなりの重量があると推測される。


(違和感が半端ねぇ……ってか、これは……)


 一通り周囲を見回ってから離れに戻ったウェイは、ソルのそばに付いていたリュイについ先程の出来事を話す。


「……どうにも嫌な予感がするんだが……」


 特にウェイが気になったのは、先程の怪物が二足歩行であったこと。

 その気性がこれまでの怪物と違い、ひどく穏やかであったことの二点である。

 ついでにシュルツを探しに行ったモーツェの森で遭遇した牛に似た怪物。

 リュイによって氷漬けにされたあの怪物の足の一本が人の手を思わせる形状をしていたことも思い出す。


「やっぱこいつぁ……ひょっとしたらひょっとするか?」

「そうだな。

 例の……フラッツ・マーケノクトといったか?」

「ああ、まだ見つかったとは聞いていないな。

 そういや総洞府そうどうふの駒も静かだな。

 ちゃんと仕事してるのか?」

「さぁな、洞主どうしゅの崇拝者の考えることは理解出来ん」

「同感だ」


 肩をすくめるように言ったウェイは、すぐに口調を改めて言葉を継ぐ。


「書については回収して内宮に戻せば一件落着かと思ったが、もう手遅れっぽいな。

 これは俺の考えなんだが、ノイゼン公お抱えの魔術師トルコット・ワイパーがフラッツ・マーケノクトと同一人物という可能性はないか?」

「ないこともないだろうが、極めて薄いと言わざるを得まい」


 リュイが話すその根拠は何気なくゴウンから聞いた話である。

 フラッツ・マーケノクトの師を務めた道士の調書によると、フラッツ・マーケノクトは自分の才能に見切りを付けてシノワを去ったというのである。

 その後の追跡調書によると、今は同郷の友人と組んで傭兵をしているという。

 ワイゼル領にも傭兵として訪れており、領主ノイゼンに雇われたところまで追跡出来ているという。


「自主廃業してるってことは、自分で書を使うつもりはなかったのか」

「才が足りないだろう」

「やっぱ怪しいのはトルコット・ワイパーだな。

 ノイゼン公がどこまで絡んでるかはわからんが……俺には理解出来ん」

「ウェイ?」

「最近じゃ、実践より知識ばっかり詰め込む頭でっかちが多くて、総洞府でも倫理観の欠如が問題になっている。

 禁忌と聞けば面白がって手を出す馬鹿もいるだろう。

 だが書が盗み出されてまだ五ヶ月。

 書庫にこもって研究べんきょうしても、実践に至ほどの理論構築プログラムが出来るのか?

 それも一からの理論構築プログラムだ。

 少なくとも俺には不可能だ」


 謙遜ではない。

 ウェイは冷静に自分を把握している。

 魔術は人には過ぎた力でもあり、過信は己を滅ぼしかねないことを知っているからである。


「もう何百年も扉を開けられた者はおらぬ。

 隙間から漏れ出る程度の知識では、あの書の全てを理解するには到底及ばぬだろう」

「だがどっかの誰かが扉を開ける真似事をしている。

 あの森の化け物はそういうことだろう。

 そんなところに、よりによって賢者の石があるとか……これはどんな偶然だ?」


 リュイとウェイ、二人はほぼ同時に眠るソルを見る。


「ソウェルが望まぬ限りは心配ないだろう。

 おそらく、いくら探してもフラッツ・マーケノクトは見つかるまい」

「あー……そういうことか。

 こりゃ総洞府の連中、マーケノクトを探している限り書の回収は不可能だな」

「我々はシュルツを回収したのち、シノワに戻る。

 総洞府には情報だけ提供する」

「承知した」


 リュイの決定をあっさりと承諾したウェイは、早速報告書をまとめようとしたのか、あるいは出立の準備に取りかかろうとしたのか、部屋を出掛けて深い溜息を吐く。

 わざと少し開けておいた扉の隙間から、風が報せを運んできたのである。


「……またお客さんかよ」

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