第2章 12話 星砕き
「いくぞ、全員。衝撃に備えろ!」
スガリはジガルシアからの連絡を受け、ソーントンの速度を最大船速まで加速させた。旧式の戦艦は、いちいち主機を動かすたびに不快な軋みを上げる。艦橋には既に誰も残っておらず、通信の先には、スガリにその命運を託された数十名の部隊のメンバーがいるだけであった。彼らは外部の情報がほとんど遮断されているため、せめて心の準備をさせてやりたかったから、彼は操作のついでに艦橋からの通信を行った。すぐにここから撤収し、スガリも自ら衝撃に備えなければならない。
周りの宙域では、第九艦隊の先行部隊と、フォボスの陰から出現した反乱軍の遊撃部隊が複雑に入り乱れて戦っている。しかし、ライカが巧みに敵を誘導してくれているようで、現状、ソーントンの進路方向、および目視の範囲内に、こちらに向かって直接攻撃をかけられるような敵部隊は存在していなかった。そして、正面に大きな光が走る。前方を移動しているナナの乗るヨワルテポストリが盾となって守っている。
「くっ、眩しい」
視界が白色に奪われるが、スガリはすぐにソーントンのハッチに向かって懸命に駆け出した。無重力空間なので、体の制御は利かないが、代わりに目が見えなくて様々なものにぶつかっても特に痛みもなく、壁に傷がつくこともない。しかし、目を閉じたままでも、自らの乗る船体が爆発的に加速しているのが全身に伝わってきた。
ようやく視界が回復してきて、コックピットの中が見える。彼の目の前には、主要な航行情報を示す電子パネルが並んでいた。外部モニターは、ヨワルテポストリが四本目のエネルギー砲をシールドで受け止めたことによる凄まじい閃光と衝撃波によって、まだ乱れた映像しか映し出していなかった。個人的にナナを助けに行きたいという気持ちを押し殺し、作戦に徹する。あいつなら大丈夫だ。
衝撃が来る。ヨワルテポストリのシールドとエネルギー砲がぶつかった衝撃波、そして直後に訪れる大気圏突入の巨大な摩擦熱と圧力だ。成層圏の穴は圧が薄くなっているとはいえ、旧式艦の装甲が悲鳴を上げ、スガリの固定された身体が激しく揺さぶられた。耳元では金属が擦れる不快な音と、内部の配線から火花が散る音が響く。
「くそっ、これだから旧式艦は……!」
スガリは操縦桿を握りしめ、姿勢制御に全神経を集中させた。大気圏への突入角度がわずかでも狂えば、艦は崩壊する。彼は、ナナが宇宙空間で命懸けで開いてくれた突破口を、無駄にするわけにはいかなかった。歯を食いしばりながら、なんとかここを突破できることを祈るしかできない。相手が神であろうと悪魔であろうと。
約三十秒の地獄のような振動の後、船体の振動は静かに変化した。宇宙空間の自由な航行から、火星の濃密な大気へと突入した際に特有の、重く、安定した振動へと変わったのだろう。ここから三百秒以内に片づけなければ、近衛兵団がこの火星へと踏み込んでくる。そうなればレインレールは跡形もなくなるだろう。ナナのこの作戦での目標の一つは、火星の民間人への被害をできる限りではあるが減らす事。もう一つは、戦力の増強。火星の重工業地帯であるレインレールには、何かしらが眠っている可能性もあるが、それを回収したいが近衛兵団なら容赦なく破壊するだろう。
それは防がなければならない。次の瞬間にはジガルシアの興奮した声が飛び込んできた。
「スガリ曹長。突入成功です! ソーントンは成層圏に到達しました。フォボスの特務艦はこれ以上、正確な射撃はできません。我々もすぐに続きます」
スガリは安堵の息を吐き、通信機を掴む。ジガルシアは興奮のあまり、声が大きくなってしまったようだ。落ち着かせるために返事をしようかと思ったが、しかし、スガリはやるべきことを思い出してすぐさま機体を発進させる。スガリが専用で与えられた機体は、月面での戦闘には出番が無かったが、準備は万端だった。
ヨワルテポストリのような防衛機能も、フェノメノウのような機動性も無い。ただ重く、ただ強く、ただ固い。シンプルな兵器としての運用を前提に開発された量産型アンドロマキアの改良型トランジスタがついに動き出した。
「シェルター内の全員が衝撃に備えろ。五秒後にエンジンハッチを切り離す!」
トランジスタはずっとソーントンのハッチに潜んでいた。そのまま後ろ壁を操作できるものがいないため、トランジスタの武装で無理やりに破壊し、外に飛び出す。このままではソーントンが火星表面に衝突し、エンジンがその付近にあると燃え移る可能性もあった。それを切り離しておかないと安全に火星上陸を行えない。
五秒を数え、スガリはトランジスタの武器である高出力レーザーカッターを、ソーントンの旧式エンジンと本体を繋ぐ接続部に正確に照射した。
トランジスタは、その量産機らしからぬ武骨で重厚な機体を固定し、高出力の光が溶断箇所を焼き切る。ソーントンは既に成層圏に到達し、大気圏突入の摩擦で船体は真っ赤に焼けていた。その熱が、切り離しを一瞬で加速させた。
旧式エンジンは、ソーントンの本体から切り離され、火星の濃密な大気の中へと落下していった。そのエンジンが地表に衝突すれば、巨大な爆発と火災を引き起こし、ナナが目指す民間人被害の最小化という目標を大きく損なうことになる。
「エンジン、分離完了!」
スガリはジガルシアに報告する。同時に、トランジスタの推力を最大にしてソーントンの進行方向へ急加速した。トランジスタのシンプルな推力は、遊撃機や防御機の複雑な制御とは無縁で、ただ前へと進むことに特化していた。エンジンを切り離したことで自由落下状態となったソーントンに機体を固定し、今度はロケットランチャーを取り出す。そして、落ちていくエンジンに向かって思い切り放った。
上を見ると、順番に第九艦隊が人口成層圏の穴を越えて突入してくる。それだけを確認してから、ばらばらになってまるで流星群のように降り注ぐエンジンの破片と共にソーントンは落下していく。スガリは落下中のソーントンの上に張り付くような形で降下を続けた。そのまま上に登りながら、スガリは次々と地表の対空砲に向かって砲撃をしていく。
地上に設置された対空システムからも火線が噴き出す。トランジスタを狙った全ての対空砲火は、トランジスタの背後に位置する巨大なソーントンの旧式艦体にぶつかって、次々と破壊されていく。だが、それで問題なかった。
「全員、歯を食いしばれ!」
スガリがソーントンのシェルター内にいる全員に最後の指示を飛ばしたすぐ後に、ソーントンは火星表面に存在するレインレール防衛の中心システムを管理する巨大な制御塔、すなわちラズロ=グリフの地上防衛線の心臓部へと、正確無比に、そして猛烈な速度で衝突した。直後に十キロトンを超える威力の爆発が起こった。
旧式戦艦ソーントンが巨大な破壊の塊となって制御塔に激突する轟音は、火星全土に響き渡ったかのように感じられた。レインレールの地下に指令室を構えていたラズロ=グリフも、その凄まじい揺れには全く対応できずに、椅子から転げ落ちる。直後に起こった十キロトンを超える爆発は、彼の絶対防衛線の中枢を塵に変えた。
「司令官! 敵艦のソーントンが特攻しました! 地上防衛システムが沈黙!」
ラズロ=グリフは、目を見開き、その信じがたい光景をモニターで凝視していた。フォボスからの狙撃を回避し、エンジンを切り離し、そして特攻によって防衛の中心を破壊する。これは単なる運や戦術ではなく、ナナの用意周到な準備と、スガリの決死の覚悟が成し遂げた偉業であった。しかし、彼は冷静に一つの事実を見抜いた。あんなものの中心に近い位置にいればソーントンの乗員は間違いなく助からないはずだ。シデンから聞いていたナナ=ルルフェンズの人物像とは違う。
ラズロは立ち上がり、冷静さを取り戻そうと努めた。地上防衛システムの中枢は失われたが、彼の防衛線は二重にも三重にも張り巡らされている。
「すぐにオースティンの部隊を向かわせろ! 制御塔の周辺を封鎖し、敵のアンドロマキアを包囲殲滅の後にすぐに近衛兵団への対処に当たらせる。地上防衛システムの復旧を急げ! そして、全有人防衛ユニットをノーチラスの降下予測地点へ展開させろ。防衛システムが機能しない以上はすぐに第九艦隊を片付ける必要がある」
ラズロの緊急指令が地下の通信網を駆け巡る。レインレールには、対人戦闘と都市防衛に特化した反乱軍の主力部隊が待機していた。オースティンならば相手のどのようなアンドロマキアでも倒して見せるだろう。問題なのはそれにかかる時間であり、ラズロの計算では部下たちが地上の防衛システムと連携することでオースティンが第九艦隊を始末するまで耐えきることができるという計算だった。しかし、ここからは部下たちが何人やられる前にオースティンが戻るかという勝負だ。
「大丈夫だ! 敵のアンドロマキアはノーチラスに乗るもの以外でまともに機能する者は存在しない。慌てる必要はない!」
敵の防衛型の機体は既に五回もレーザー砲の砲撃を受け、その前にレーザー砲の攻撃からソーントンを守っていたアンドロマキアもぼろぼろだ。スパイからの情報により、敵の第九艦隊が所持するアンドロマキアはわずか三機だと聞いている。
それでも、なにか喰らいつくされそうなほどの恐怖を感じた。
自分に言い聞かせているのかもしれないと思いながら、ラズロは自身もアンドロマキアに乗る必要があるのかもしれないと覚悟を決める。地上における最終防衛線は、自分自身が率いる部隊なのだ。
スガリが操縦するトランジスタは、ソーントンの壮絶な特攻によって粉砕された制御塔の瓦礫のそばで、生存者のシェルターを探すという重要任務を遂行していた。徹底的に破壊された中枢施設は想定よりも遥かに散乱しており、スガリはトランジスタの重厚な腕で鋼鉄の瓦礫を破壊しながら、慎重に前進した。すると、スガリの目の前に強固なシェルターが出現した。彼は躊躇することなく、トランジスタの圧倒的なパワーを集中させ、扉を強引に引きずり剥がした。
シェルター内からは、技術員たちと共に小型ながら機動力に優れた戦闘機が姿を現した。その機体には、避難民誘導を任務とするトラベスが搭乗していた。避難誘導は、一見して戦闘において優先度が低いように思えるが、ナナの民間人被害最小化という根幹をなす理念を実現するための絶対的な命令であった。
このような不利な戦場でも命を一番に考え、そのために最善を尽くす。この避難誘導という行為は普段ならば功績を立てられない裏方仕事だと帝国軍では言われがちだが、既にナナの思想が浸透し始めているのか、任命された彼ら彼女らに不満は聞こえてこなかった。
「頼んだぞ、トラベス」
後は敵を降伏させることがスガリ達にとって必要なことだった。しかし、制御等の中にはおそらく指令室は無かったのだろう。火事や舞い昇った砂埃のせいで周りの状況を確認できるわけではないが、明らかに中心施設にしては戦死者が少ない。ソーントンの特攻は中枢を破壊したはずだが、軍人や指揮官クラスの遺体や装備が見当たらない。
「やはり……ラズロ=グリフは地下に真の司令部を隠している」
スガリはトランジスタのセンサーを地下に向けて起動させた。ナナから託された機密兵器の回収と近衛兵団の破壊阻止という第三の任務を実行する時が来た。彼は高出力レーザーカッターを再び起動させ、制御塔の瓦礫の床に、新たな穴を穿ち始めた。
その武器を振り下ろそうとした、まさにその瞬間であった。スガリの全身を鋭い、本能的な危機感が貫いた。それは虫の知らせという曖昧なものではなく、戦場における熟練の技術者が持つ予期せぬ脅威に対する反射であった。スガリは理屈で考える前に、トランジスタの動きを停止させ、緊急の戦闘態勢を構築した。
次の瞬間、視界を遮っていた砂埃の間から、一閃の火線が空間を切り裂いた。そして、その火線の発生源であるアンドロマキアが、猛烈な速度で出現した。その主砲は、トランジスタが振り下ろした武器の直線上、すなわちスガリの搭乗する機体の頭部を正確に狙っていた。もしスガリがわずかでも反応が遅れていたならば、トランジスタは頭部を貫かれていただろう。
その機体は、反乱軍の通常機とは一線を画す、漆黒の禍々しい形状をしていた。無駄な装飾を排し、殺意と戦闘のためだけに設計されたかのような異様な威圧感を放っている。それが、ラズロ=グリフがその実力に絶対的な信頼を置く反乱軍の地上戦における最高のエースパイロット、オースティンの専用機であった。
「我こそはオースティン=アルマンド、スガリ帝国軍曹長。手合わせ願おう」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます