第2章 10話 思惑

「敵の本隊が木星から出港しました。偵察機を派遣しますか?」


 通信士からの報告を聞いた反乱軍の火星防衛責任者、ラズロ=グリフは、綺麗な形の顎を撫でながら、手元のホログラムを凝視していた。そこには、火星の工業都市レインレールとその周辺、そして火星軌道上の広大な空間が詳細にマッピングされている。前回の戦闘ではこちらに有利な条件が揃っていたために圧倒的な戦果を収めることができた。しかし、その指揮を執っていたのはラズロではなく、ドクトリンによる第六インターナショナル樹立宣言により火星にやってきていた上層部だった。元々、ラズロは宇宙警察として太陽系の治安を維持していた際にも地位は高くない。だが、既に共同体として動き出した四つの惑星とその衛星群の統治のために上層部は基本的に裏方の仕事をしている。ドクトリンはあくまでスピーカーである。優秀なのは間違いないが。


「いや、いい。情報は既に回ってきている。本隊は近衛兵団で輸送には第九艦隊がつくらしいな」


 第九艦隊のナナ=ルルフェンズ。それには注意をするようにとシデンから言われた。元々は帝国軍にいた人間でありながら、あいつを慕う人間は多い。それがラズロには面白くなかった。ここで近衛兵団を押し返すことができれば自然と立場はあがるだろう。帝国や評議会らの権力構造を批判しながら、設立されたばかりの第六インターナショナルでもそれを設立する中心となった金星人や、恒星自治主義運動の走りとなった火星人などが派閥を組んでいる。地球出身のラズロには明確な居場所がない。彼にとって、この戦いは政治的な足場を築くための機会でもあった。


「いいや、その判断は承服しかねます、司令官」


 副官は躊躇いながらも進言した。


「偵察機による確認を怠ったことが、月面におけるナナ=ルルフェンズ指揮下の第九艦隊に敗れた原因の一つであるとされています。また、奇襲攻撃を得意とするナナ=ルルフェンズのこと、近衛兵団を輸送するだけに留まらず、第二、第三の陽動あるいは本命の矢を用意していることも十分に考えられます」


「それもわかって言ってるんだよ。近衛兵団にはうちの部隊であたる。奴らがいくら強かろうと強襲揚陸艦の中にいなければ自由に火星に上陸することなどできない。そこを包囲殲滅するやり方でいく。帝国第九艦隊が踏み込んだ時にはオースティンに任せよう。帝国の新型機があろうと、操る人間がいなければ大したことは無い」


 第六インターナショナルの上層部にとっても、レインレールの防衛は、工業地帯の占領という戦略的な意味においても、帝国からの独立運動の象徴としての政治的な意味においても、必須であった。この場所の重要性はあまりにも大きく、その防衛のために、反乱軍側もエースパイロットであるオースティン=アルマンドと彼が率いる部隊という最高戦力を準備していた。しかし、ラズロは近衛兵団という最大の功績を、彼らに譲り渡すつもりは毛頭なかった。


「奴らの意図は最初から明白だ。我々を殲滅し、この工業都市を奪い返す。それ以外にない」


 グリフはホログラム上の火星のアイコンを指さした。


「第一防衛線は、火星上層大気圏に配置した機雷群と、無人攻撃機だ。奴らが降下する際には、これを避けようとするだろう。そこを狙い、第五中隊を先行させ、撹乱しろ。あくまで時間稼ぎだ。深追いはするな」


 彼は続けて、第二、第三防衛線の厳密な配置を指示していく。レインレールの周囲には、市街地を幾重にも囲むように、対アンドロマキア用の堅固な防壁が張り巡らされていた。これは、アンドロマキアを中心とした編成の近衛兵団の動きを大幅に制限するだろう。その防壁の各所には、高出力のビーム砲とミサイルランチャーを搭載した移動型の防衛塔が設置されている。本来であれば、近衛兵団をラズロの部隊だけで迎え撃つことは不可能だが、これらの設備があれば、時間を稼ぐことはできる。


「我が軍の主力は、この都市防衛システムに依る。奴らの強襲揚陸艦ノーチラスは、その巨大さゆえに、機動性において鈍重なはずだ。降下地点を正確に予測し、一点に全火力を集中させろ。ただし、ノーチラスそのものの破壊は目指すな。あの装甲を貫くより、アンドロマキアの機体の方が脆い。内部にいる近衛兵団の降下を阻止する。これが最優先目標である」


 ラズロは静かに、しかし鋼鉄のような確固たる口調で命令を下した。彼の防衛作戦は、戦力差を正確に把握した上での、徹底した籠城戦であった。彼は、帝国軍の正規艦隊と正面から衝突する意図を毛頭持たなかった。その代わり、要塞化されたレインレールを最大限に活用し、敵を消耗させ、そして、市民を巻き込むことなく、反乱軍の確固たる力を示すことを目的としていた。


 彼の冷徹な言葉に、通信室に詰めていた全ての者が、一様に無言の頷きを返した。火星の防衛指揮官、ラズロ=グリフは、帝国の圧倒的な軍事力に対抗するため、冷徹な現実主義者として、そして反乱軍の同志として、その命運を賭けた防衛戦の遂行を決意した。


 そして、ホログラム上では、木星から放たれた一つの巨大な光点が、ゆっくりと、しかし確実な足取りで火星へとその距離を詰めてきていた。それは、帝国がその威信をかけて投入した、最新鋭の強襲揚陸艦ノーチラスであった。




 強襲揚陸艦ノーチラスの巨大な船体を背景に、帝国の新型機ヨワルテポストリと、機動性に特化したフェノメノウが、その周囲で訓練飛行を繰り返していた。フェノメノウは、その機能の大部分を高速機動に振り分けているがゆえに、操縦系統の複雑性は低く抑えられていた。パイロットとしての経験が浅いリノですら、その基本操作に習熟するのにほとんど時間を要しなかった。現在、ライカとペルトローネも、特段の任務がないため、フェノメノウを用いた訓練飛行に従事していた。万が一、反乱軍の艦隊が迎撃に向かってきた場合—それは現時点での情勢からみて可能性は極めて低いが—その際には、近衛兵団のアンドロマキアを出撃させた方が、戦術的には賢明であった。


 しかし、ナナが操縦するヨワルテポストリは、全く異なる問題に直面していた。元来が量産機をベースに大幅な改良を施された機体であるため、宇宙空間での基本飛行は容易にこなせるものの、帝国軍精鋭との実戦を想定すると、彼女には拭い去れない不安があった。彼女の肉体と機体が同期していないのだ。まるで、彼女の思考と身体の反応が、五秒もの遅延を伴って機体に伝達されているような、もどかしい感覚が、常に付きまとっていた。


  この致命的なタイムラグは、彼女が過去に経験してきたパイロットとしての感覚とは根本的に異質なものであった。彼女が慣れ親しんだ機体は、思考と機体の動きが一体となる身体の延長としての感覚を提供していた。だが、このヨワルテポストリは、その本質が都市防衛特化機であるため、個々のパイロットの卓越した戦闘能力よりも、極限の防御力と高次元ジャミングシステム、そして都市防衛ネットワークとの連携に、設計の重点が置かれていた。機体の反応速度が鈍重であるのは、膨大な演算リソースのほとんどが、多岐にわたる防御機能と妨害機能の維持に割り当てられているためであり、これはもはや、いかなるパイロットの技量をもってしても補うことのできる範疇を超越していた。


「ちぃっ……こんな機体で、どうやって近衛兵団の動きを止めろというの?」


  ナナは、その苛立ちを隠すことなく、機体のコックピット内で悪態を吐いた。彼女の作戦目的は、敵の殲滅ではない。レインレールの無辜の市民を避難させること、そして近衛兵団による虐殺という最悪の事態を阻止することであった。そのために、まずは反乱軍を近衛兵団が火星の人口成層圏を越える前に降伏させること、それはかなり難しいだろうけども無理ならば第二の矢として近衛兵団から時間を稼ぐ必要もあった。 五秒もの遅延を伴う機体で、俊敏を誇るアンドロマキアの集団を相手にするなど、それは自殺行為に等しい。ナナの脳裏には、事前に解析されたシミュレーションで、反乱軍の機体が次々と無残に撃破される、絶望的な映像が繰り返し蘇っていた。そんな彼女の不満と焦燥に対し、ヨワルテポストリの特性を熟知しているスガリが、通信を接続してきた。


「ナナ、そのタイムラグは仕様だ。ヨワルテポストリの演算能力の九割は、カミル少将が組み込んだ高次元ジャミングシステムと多重シールドの維持に使われている。機体制御に回せるリソースはこんな機体には残っていない。巨大化されたとはいえ、所詮は戦闘機だ」


「分かってるわよ、スガリ」


 ナナは声を抑えて答えた。


「だけど、このままではただの動く的よ。五秒なんて、アンドロマキア相手なら数回撃たれて終わる時間」


「その被弾に耐え抜くためにこそ、多重シールドが搭載されている。本来ならば攻撃に用いるような兵器ではないからな。今はジガルシアが、敵が準備している都市防衛システムの詳細を調べてくれている。それとヨワルテポストリが連携を確立できれば、この機体の真の価値を発揮できるはずだ。もちろん、レインレールの占領が我々の戦略的優先事項ではあるが、この機体は将来的な軍の量産機としての道が開かれるべきなのだロウと思う。そのためには、この戦闘での目覚ましい活躍という実績が不可欠。だからこそ、ナナ。お前を艦隊指揮官の座から外し、この機体を託したんだ。平和な解決のための兵器として、その価値を証明するために」


 ヨワルテポストリのパイロット候補は、ナナ、スガリ、リノの三人。その中でリノのパイロット技術は一線を画して劣る。スガリは、別動隊の動きを指揮するという重要な任務のため、そもそも艦隊には不在である。この状況下で、リノに艦隊指揮を任せてまで、ヨワルテポストリをナナに託した。この決断は、彼ら三人の総意だから、スガリも一枚咬んでいる。


「平和な解決のための兵器ね……」


 矛盾したようなその言葉を、ナナは噛みしめる。ナナは、ヨワルテポストリのコントロールスティックを握り直した。機体の動きは鈍い。しかし、この遅延こそが、彼女が背負う任務の重さ、そして平和への道の険しさを象徴しているように感じられた。


 彼女は熟練飛行を打ち切り、艦隊旗艦レグルスへと機体を帰投させるための航路を取った。


「ライカ、ペルトローネに帰投を命じなさい。スガリ、レグルスとノーチラスのジャミング同期率を最大限に引き上げて。もう火星が見えてきた。レインレールへの降下準備に入る。敵の戦力は読み切れないが、火星圏に踏み込んだ瞬間からどこに砲撃がくるかわからない。総員、第一種戦闘配置を取れ!」

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