第14話 破顔

 トートの運転で、スチームパンク〝ディーノ〟は首都高速を走り抜け、1時間ほどで思いのほか楽しかったドライブは終わり、目的地——横浜港に到着した。そこでプレジャーボートに乗り換え、沖に停泊している大きな船に向かうという。

 

 ——其方そなた、船酔いは大丈夫か?

 

「あら、元自衛官をなめないでね」

 

 プレジャーボートに乗り込むと、陽子は慣れた手つきで救命ベストを着る。これもまたトートの操縦——ボートはスチームパンクではなかった——で沖へ向かうと、陽子は言葉を失った。

 

(——大きい!)

 

 近づけど近づけど、近づけない。

 近づけば、視界は一面、海面から反り立つ鉄の壁。

 自衛官時代に、米軍の航空母艦に乗り込んだことがあるが、

 

(あれより大きい——たぶん)

 

 ボートは巨大な船の左舷に沿って船首へと進む。船首には船名が描かれていて、

 

 Lux Nautilie

〈ルクス・ナウティリエ〉

 

 と読めた。

 船首を回り、右舷に沿って船尾へ進むと、ちょうど船体中央のあたりがぽっかりと開いていた。

 

 ——此奴こやつは腹に小舟を積めるのじゃ。さあ、入ろうかの。せっかちな奴でな、先ほどから急かされておるのでの。

 

 陽子を乗せ、トートが操縦するプレジャーボートは、ゆっくりと〈ルクス・ナウティリエ〉の腹の中へと入っていった。

 

 

 巨大豪華客船〈ルクス・ナウティリエ〉に乗り込んだ陽子は、船首区画にある会議室に案内され、そこでの〈最初の三人〉と会談することとなった。

 

 アレックス・ハーグレイブス

 イライジャ・ケイン

 エドワード・コールドウェル

 

 アレックス以外はリモート参加で、姿は席の〈空中画面GOVAILディスプレイ〉に映っている。


 一同が揃い、互いに挨拶と自己紹介を交わし、アレックスが非礼を詫びて、コーヒーを飲みながらひとしきりの談笑。

 初対面ではあったが、陽子はこの三人を良く知っていた。夫と取り組んできた仕事の〝仕組み〟を生み出した、創業者の三人だ。

 三人とも同い年の幼なじみ。若々しくみえるが、確か70歳近いはず。

 アメリカの小さな田舎町からスタートした彼らの事業は、今や世界中に広がっている。陽子もその一端にはいるが、彼らは雲の上の億万長者たちだ。


 自然と仕事の話になり、少しはっとするようなアドバイスももらった。

 陽子としては現状で十分満足しているので、これ以上は望んでいないのだが、この話は仲間たちにも伝えねば——

 ——いや、ダメだ。今の、この状況を説明しようがない。

 

 しばらくして話題が途切れたところで、イライジャ・ケイン——〈イーライ〉が本題を切り出した。

 

「さて、ヨーコ。いろいろ聞きたいことがあると思うが、まずは私たちから尋ねたい」

 

 陽子は居住まいを正した。

 

「君は〈日常〉the Ordinaryに満足しているかな?」

 

(え?今それ聞く?)

 

 これぞ〈非日常〉ではないか。——陽子は思いっきり突っ込みたかったが、ぐっと堪えて、イーライの言葉を反芻してみた。

 

 〈日常〉the Ordinary

 

 〝日常〟everyday lifeでも

 「日常」daily lifeでもなく

 

 〈日常〉the Ordinary——

 

(ええ、とても満足しています)

 

 そう答えたいが、陽子の中の何かがそれを阻んでいた。

 

 仕事

 ——十分に暮らしていける。それも楽しめる仕事。恵まれていると思う。


 仲間たち

 ——仕事仲間はみな、素敵な人たちばかり。本当に恵まれている。

 

 子どもたち、家族

 ——空と美咲。二人の母親になれたことは、この上ない幸せだ。夫は亡くなってしまったけど。

 

 新しい家族

 ——代わりに新しい家族ができた。アイリーンとスヴェン、そしてリディ。兄姉と娘が一度に増えたよう。心の洞穴ほらあなが少しずつ埋まってゆくのを実感している。

 

 こんなに恵まれていて、

 こんなに幸せで、

〝満足していない〟などとはとても言えない。

 

 〈日常〉the Ordinary——

 

 イーライは何を聞きたいのだろう?

 

 ——アナタニハワカッテイルハズ

 

 陽子は、頭の中に鳴り響く声を振り払って、こう答えた。

 

「あなたは満足されてないのですか?」

 

 すると、

 

 ぷはっ

 

「ハミィ、君の勝ちだよ」

 

 左端のエドワード・コールドウェルが吹き出し笑いだすと、4人が囲むテーブルの上に〈空中大画面GOVAILディスプレイ〉が現れた。映っているのは、先ほど我が家のリビングに現れたブロンドの女性——ハミィだ。

 

「ほらエディ、一言一句ピッタリ!

 ——ヨーコさん、さっきはごめんねえ」

 

 ハミィはドヤ顔でエディに一瞥くれると、陽子に向むいた——いや、向いてはいない。

 

空中画面GOVAILディスプレイ〉は、正面の三人と陽子の間にある。半透明の平面で、三人が透けて見えている。

 そこに映るハミィは、三人側と陽子側では裏表で、左右が反転しているのだ。

 ハミィは目線だけで、どちら側を見ているかを表現しているらしい。

 なんとも奇妙な感覚——

 

「ったく、〝ダサ黒メガネ〟のイーライは堅物でこまっちゃう。いきなりこんなこと聞かれても、ねえ?」

 

 すると、画面がもう一つ現れて、今度は男性が映し出された。くしゃくしゃの癖っ毛を、長さの足りないポニーテールのようにまとめている。

 

「〝ダサ黒メガネ〟とは、まっこと失敬な!

 言うとくが、わしの趣味じゃあないきに!

 ——のうイーライ。ええかげん、新しいのあつらえてくれんかの?」

 

(なんで土佐弁?)

 

 男性は着物に羽織りの和服姿で、顔に見覚えがある。

 

(あ)

 

 陽子は思い出した。教科書にも載っている、あの有名な写真にそっくり。

 

(坂本竜馬だ)

 

「だまれフィフス。今、大事な話をしてるんだ」

 

 とイーライ。ハミィも、

 

「あなたのことじゃないわよ、フィフス」

 

(フィフス?五番目?)

 

〈フィフス〉と呼ばれた〝坂本竜馬〟は、

 

「じゃけんど、もうええかげんあたらしゅうしてほしいがや。ハミィ殿に馬鹿にされるがは、もう辛抱たまらんきに!」

 

 と言い残し、青白い光りとともに、画面ごと消えた。

 そういえば何かで読んだことがある。イライジャ・ケインは〈司馬遼太郎〉著作の大ファンだそうだ。尊敬する〈坂本竜馬〉をAIのモデルにしたのだろう。

 

(それ、やっちゃうんだ……)

 

 陽子の心に、イーライへの哀れみが生まれた。

 

(〈フィフス〉の由来はなんだろう?)

 

 後にその由来を知ったとき、陽子は思わず、

 

「あああ……」

 

 と声に出してしまった。多くは語るまい。

 

 エディとハミィ、さらにフィフスの乱入で場が和みはしたが、イーライは真剣な顔つきだ。

 

「あなたには解っているはずですよ」

 

 陽子はと口を結んだ。

 

 ——アナタニハワカッテイルハズ


 頭の中の声が〈共鳴〉した。

 

 まずい。——陽子はそう思った。この声は打ち消さなければ。

 

 ——アナタハズットマエカラワカッテイルハズ

 

 いいえ、私は知らない。

 

 〈日常〉the Ordinary

 ——それは幸運と幸福に満ちた、暖かく穏やかな日々だ。

 

 〈日常〉the Ordinary

 ——そんな言い方はしない。私にとっては〝日常〟everyday lifeだ。

 

 ——ホントウニ?

 

 肯定。

 ——恵まれて幸せで、それ以外に何があるというのか。

 

 陽子の奥底で、が目を覚ましそうになっている。

 ダメ。を起こしてはダメ。

 

 ——リソウヨ、メヲサマシナサイ

 

 ダメ。起こしてはダメ。


 理想

 ——そんなものは絵空事だ。うさん臭さに鼻をつまみたくなる。


 ——キボウヨ、メザメノトキデス

 

 希望

 ——地に足のつかない幻想だ。抱いたそばから崩れてゆく。

 

 ——セイギヨ、アナタノデバンデス

 

 正しさ

 ——それは〝みんな〟のもの。〝みんな〟で共有して共感するもの。

 

 ——ホントウニ?

 

 そのとき、もう一つ〈空中画面GOVAILディスプレイ〉が現れた。ハミィの画面よりひと回り多きく、そこには奇妙な装置が映し出されている。

 

 どう言えばいいだろうか。うねうねと不規則に曲がりくねった太い管。まるで何匹もの蛇が集まっているような装置。

 

「何だと思う?」

 

 アレックス・ハーグレイブスが尋ねる。

 

 陽子にはまったくわからなかった。

 陽子の反応を見ると、

 

「ハミィ、たのむ」

「はいはーい」

 

 ハミィが解説を始める。

 聞けば陽子も知っているものだった。まだまだ初期の研究段階で、実用化には遠く及ばないと聞いている。だがこの形状は、メディアやネットで見たことがある形とは、似ても似つかない。あまりにも複雑で、人の手で作れるとも思えない。


 ハミィは続ける。

 映像が変わり、一つ、また一つと装置や奇妙な代物が映し出され、それをハミィが解説してくれる。

 

 楕円形の輪の翼をもつ飛行機

 音の無い推進装置

 数世代先の高出力電池

 ——などなど

 

 そして次に映ったものを見て、

 

(え?)

 

 そこには〝ベスト〟が映し出されていた。

 

「これはもう知ってるよね。〝透明マント〟って呼び方、ステキ」

 

(まさか?)

 

「気付いた?——そう、今、紹介したのは全部ここにあるの。〈吾ら〉のでは〝日常〟everyday lifeで使ってるものばかり」


(そんな馬鹿な)

 

 ——と思ったが、

 

 透明マント

 空中画面GOVAILディスプレイ

 ロボットのフクロウ

〝坂本竜馬〟のフィフス

 このハミィだって——

 

(そうね、何を見ても驚かないんだから——)

 

 一瞬で冷静さを取り戻した陽子を見て、

 

「でもこれらは単なる技術。道具にすぎない」

 

 とイーライ。

 その通りだ。技術は手段のための道具にすぎない。

 だが、あのぐにゃぐにゃ装置は——実用化されたらとんでもないことになる。世界中が大混乱になるだろう。それこそ天地が逆転するほどの——

 

 ——ソノサキニハナニガアル?

 

 ダメだ。もう抑えられない。

 

 ——ホラ、ワカッテイルデショ?

 

 その通り。私は解っている。

 

 この幸運と幸福は〈日常〉the Ordinaryとは関係ない。

 

 私自身が選び、

 私自身が行動して、

 私自身が手に入れたものだ。

 

 〈日常〉the Ordinaryも、

 〝日常〟everyday lifeも、

 「日常」daily lifeも関係ない

 〈日常〉the Ordinaryはむしろ——

 

 陽子は目を閉じ、

 

 スー

 

 大きく息をして、ゆっくりと目を開くと、

 

「私にできることがあるのですか?」

 

 その時、イーライが初めて笑顔みせた。

 

「もちろんだとも!」

 

 

 

 あれを〝破顔〟ていうのだろう。イーライの、子どものように無邪気な笑顔を思い出しながら、陽子は〈フェアリーン・フェルリン〉の扉を開けた。

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