第12話 陽子
——東京・立川 フェアリーン・フェルリン——
ブルブルブルブル ブルブルブルブル
カウンターに置かれた美咲のスマートフォンが振動しはじめた。電話がかかってきたようだ。
リディが画面を覗くと、
〈母 陽子〉
の表示。
空と美咲の母、陽子からだ。
美咲は今お手洗い。
リディはごく自然にスマートフォンを取り上げ、通話ボタンを押した。
「ハァイ、ヨーコ、うん、リディ。……うん、そう……うん……うん……わかった。待ってるね!」
通話終わり。
何しろ毎日のように藤井家に入り浸っているリディなので、向こうも心得ている。
「ヨーコ、駅に着いたって」
アイリーンに伝えると、
「そう、ならあと10分くらいね」
とアイリーン。
陽子は時間にとても正確だ。今まで約束に遅れてきたことが無い。大抵は早めに着いて、辺りをぐるっと回ってから約束の場所に来る。
なんのためにわざわざそんなことをするのか、アイリーンが尋ねると、陽子曰く、
「
彼女は若い頃、航空自衛隊の自衛官だったそうだ。それとどう関係があるのかよくわからなかったが、そういうところは空とよく似てる、とアイリーンは思う。
アイリーンの故郷〈ミラメサ〉はサンディエゴの郊外にある街で、すぐ南には〈ミラマー海軍基地〉がある。軍人が多く住んでいて、アイリーンの友人・知人にも軍関係者が少なくない。
なので陽子が元軍人と聞いて驚いた。アイリーンが知る軍人とは、およそタイプが違うのだ。どんな職種に就いていたかは明かせないそうだが、少なくともパイロットではないだろう。
ただ、銃も扱えて、しかも得意だと言っていた。
アイリーンもスヴェンも、銃には否定的な立場なので、これには少々眉をしかめたのだが——
陽子と銃。
まったく想像できない。
アイリーンとスヴェンが、陽子と家族ぐるみで親交を深めたのは、2年ほど前からだ。それ以前も、リディと空を通じて付き合いはあったが、今のような関係になったのはあの時からだ。
陽子は2年前に夫を亡くしている。
突然のことで、報せを聞いたアイリーンは藤井家に駆けつけた。
気丈に振る舞ってはいたものの、見るからに憔悴した陽子を、アイリーンはそっと抱きしめた。すると陽子は、これまで内に秘めてきたことをぽつぽつと語りだした。
ご主人の家系は男子が短命であること。
父、祖父、曾祖父——みな40代半ばで亡くなっていること。
みな、原因不明の突然死であること。
結婚前にそれをご主人から聞かされていたこと。
「二人で一緒に運命に抗おうとしてきたの。でもダメだった——」
アイリーンは愕然とした。
ある時点で未来が途切れる。
暖かな日常が悲しみに塗り替えられる。
それを知りながら、この二人は歩んできたのだ。寄り添いながら、存在しない未来より、今に真摯に向き合って、より深く深く絆を育んできたのだ。
——隣室から空の叫び声が聞こえる。
——泣きながら美咲がそれをなだめている。
アイリーンは自分に置き換えてみた。
私なら。私とスヴェンなら。——たらればを描いても無意味だ。だが——
アイリーンは陽子に向き直り、その瞳をのぞき込むと、そこには想像していた〈悲哀〉は無かった。
〈悔涙〉そして〈憤悔〉
陽子は悔しいのだ。悔しさに涙し、悔しさに憤っている。
後悔はない。だが悔しい。
それは、己の全てで向き合った者だけが得られる感情だ。二つ名を持つアイリーンにはよくわかる。
陽子はご主人を愛することで、運命に抗ってきたのだ。そして——
空——ただでさえ特別な子なのに。
(ああ——リディ…)
アイリーンは決めた。
ならば、私が陽子を愛そう。空を愛そう。
〈全力全霊の追求者〉の異名にかけて、友愛と親愛を極めよう。
それ以来、リンドグレン家と藤井家は、一つの〝家族〟となった。住まいは別々だが、しっかりと〝家族〟の絆が生まれている。
どちらかというと、武蔵境の藤井宅が中心になっている。これは陽子が人を招きたがるのと、空が自室を好むためで、それにリディがついて行き、自然とアイリーンやスヴェンもお邪魔することになる。
ただ、アイリーンには藤井宅で少し気になる事がある。不快なわけではないし、気のせいなのだが、いつも誰かに見られているような気がするのだ。
またあるときは、誰もいないはずの部屋から、子どもの話し声が聞こえた——気がした。〝空耳〟なのだが、あの〈男の子〉と〈女の子〉の声が忘れられないのだ。
〈藤井陽子〉は立川駅から〈フェル〉へ向かう道を一人、足早に歩いていた。
白いフレンチスリーブのトップスに、グレージュのカーディガンを羽織り、ラベンダーグリーンのロングスカート。肩からくすんだピンクのトートバッグを掛けている。
耳には白いワイヤレス・イヤホンを差していて、誰かと話しているようだ。
「美咲は〈フェル〉にいるんでしょう?チック?」
すると、イヤホンから小さな女の子の声が答えた。
「うん。いるよー」
「なんでさっき電話に出なかったのかしら?」
「トイレだったの」
「そうだったのね。タック?空は?」
今度は男の子の声が答える。
「いつものコーヒー、飲み終わったとこー」
「リディとスヴェンさんもいるよー」
と女の子。
「え?スヴェン?もう帰ってるの?——あら、急がなきゃ。」
アイリーンは足を速めながら、
「あなたたち。くれぐれも気を抜かないでね。いい?」
「はーい」
「はーい」
見ると、陽子の左手首に巻かれたスマートウォッチに、可愛い女の子と男の子のアニメーションが映っていて、二人は元気な笑顔で〈はーい〉と手を上げている。
〈チック〉と〈タック〉——陽子のサーバントで、男の子と女の子の双子
一つのAIが、複数のデバイスで稼働する分身型AIで、陽子のスマートウォッチのほか、家の置き時計や目覚まし時計などに組み込まれている。
それぞれ人格は別になっているが、〝知〟は一つになっていて、あるデバイスの感覚は、他のデバイスにも伝播する。
陽子は空と美咲にもデバイスを持たせている。空も美咲もただの時計だと思っているが、美咲の腕時計と空の懐中時計には、チックとタックが組み込まれているのだ。
陽子がコミュニティから接触を受けたのは、2年前、夫が亡くなってからしばらくのこと。仕事関係の繋がりから、回り回って彼らの目に留まったらしい。
くすっ
まるでSFファンタジー映画のような出来事だった——思い出し笑い。
あの日、ふとベランダを見ると、手すりにフクロウがたたずんでいた。あまりの珍しさと、白銀の羽の美しさに見とれていると——フクロウと目が合っているのに気づいた。
(え?)
すると、
「ホウ、ホウホウ、ホウ、ホウホウ」
片翼をはたはたしながら、明らかに陽子に呼びかけている。
(ええ?わたし??)
怖いもの見たさでベランダの扉を開けると、ばさばさとはばたいてリビングへ入ってきて、ぱさっとローテーブルに降り立った。
「ホウ」
促されるままに——なんとなくわかった——陽子がテーブルの前に座ると、フクロウはよたよたと向きを変え——
空中に映像が現れた。
100インチは超える大画面。
そこには、白銀の長い髪に白銀の長い髭、白銀のローブを着て、奇妙な形の杖を持っている老人が映っている。仙人あるいは魔法使いのような——
すると白銀の老人が喋りだした。部屋に響くような低くしわがれた声——
「
(〝使い〟なんだ——もっと偉い人に見えるけど)
語りは続く——
「——ここに我が
「トート!いいかげんにしなよ」
と、若い女性の声。老人はむすっと口を結び、
「こら、邪魔をするでない。
映像が変わり、今度は若い女性が現れた。二十歳くらい?——もう少し下かな?
後ろで二つに結んだ長いブロンド
——少し明るめで茶色がかっている
くるくると燦めくシルバーグレーの瞳
——わずかに青・緑が差している
「ごめんねー、このボケ老人がまったく——」
「誰がボケ老人じゃ!」
「遊んでないでちゃんと仕事しなさいよ?
——改めまして。フジイ・ヨウコさん、はじめまして、私はハミィ。ヨウコさんに〈吾ら〉の仲間からの伝言を届けに来たのだけど——驚かせてしまってごめんなさい」
(〈吾ら〉の仲間——〈吾ら〉?なんで複数形?)
「あーいえ、お気づかいなく——」
もちろん驚いている。すごく驚いてはいるが、呆気にとられてそれどころでなく、陽子は逆に冷静になってしまっていた。
ここは我が家のリビング
——いつもと何も変わりはない。
目の前には白銀のフクロウ
——そもそも〝街中にフクロウ〟というのが希なこと。しかも〝白銀〟。
空中に大画面
——これは決定的に変。完全にSFだ。幻覚?——とも思えない。
「えーっと、夢でも幻覚でも無さそうですけど、これはいったい?——」
陽子の問いに、〈ハミィ〉と名乗った女性が答える。
「だよねー、そうなるよねー。——だからやめた方がいいって言ったのに。
——そのへんのことは、アレックスから直接聞いてもらえるかな?今、近くまできてるんだ。あ、時間ある?都合悪ければ出直すけど——」
(今?——今から?)
陽子は身なりを確認した。少し前に外出から戻ったばかりなので、少しメイクを直せば大丈夫。今日はもう予定は無い。もうすぐ美咲が帰ってくるけど、私が留守なのはいつものこと。空はリディと一緒だろうし——
「10分ください。すぐに支度します」
ささっと身支度を調えてリビングに戻ると、
「それじゃ、行こー。このボケフクロウが案内しまーす」
「ボケとら——」
シュッ
大画面がぱっと青白く光り、ゆらっと虹色に揺らいで消えた。微かに何かが燃えたような臭いが漂う。
「ホー」
白銀のフクロウは、不服そうにひと鳴きして、ばさばさと陽子の肩に留まった。少しぎょっとしたが、こうして見ると——なんだか可愛い。
「ホウホホウ」
促されて——なぜわかるんだろう?——陽子は玄関に向かった。
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