このは姫

ムスカリウサギ

第1夜 真っ白なドレス

 ここではないどこか。

 高い山々に囲まれた山間に拓かれた街。

 の地を見下ろすように、そのお屋敷はそびえていた。


 お屋敷の主は、一見すると幼い少女。

 街の民は彼女をこう呼んだ。

 永き時の白き吸血姫、『このは姫フィユ・フィーユ』と。


――――――――――


「そこをおどきなさい、シエル!」


 堅牢けんろうにして豪奢ごうしゃなるお屋敷の大広間で。

 無垢な純白のドレスをまとった少女が、声を上げる。


 このは姫、そう呼ばれる少女から立ちのぼった真白い光彩こうさいを放つ魔力が、牽制けんせいするように周囲を白く染めあげていた。


「いいえ。執事として、今フィーユお嬢様を、ここから先に行かせる訳にはまいりません」


 相対するのは、シワひとつないグレーのスーツをかっちりと着こなした、老齢の男性。

 ゆらり、執事から広がった魔力は地をい、発された極彩色ごくさいしきの光彩を浴びたお屋敷の廊下は、虹色にまみれていた。


「あたしに逆らうつもり? シエル、執事の、貴方が?」


 それを受けて、視線鋭く、フィーユは身構えた。

 白く、濁りのない純粋な魔力が渦となり、その奔流ほんりゅうが少女の体を包み込んでいく。


滅相めっそうもございません、お嬢様」


 きっぱりと言ってのけた割には、しかしシエルの魔力は解き放たれない。

 一歩でもこのエリアに踏み込もうものなら、この魔力のあぎとが即座にお前を噛み砕くぞ、そう言っているかのように。


「ただ、お足元をご確認頂ければ、と」


 その上で、こんな事を口走るのだ。


「……なあに? 目線を逸らして奇襲しようとでも?」

 

 フィーユはさらに視線を細くする。


「いいから」

「…………」

 

 赤色の瞳を胡乱うろんで満たして執事をにらみつけると。

 ちらりと視線を足元に移した。


「……ッ!!」

 

 フィーユは戦慄せんりつした。

 

「ドレスがほつれています」


 そこには絢爛けんらんほどこされた刺繍ししゅうをちょん切るように、一筋のほつれ糸が、ちょろりとはみ出していた。


「……そのようね」

「ほれ、この通り」


 途端とたん、シエルが魔力を解放した。

 広がった魔力は一本の線状に集約すると、ほつれた糸をひょいと拾い上げ、あっという間に元通りに縫い直してゆく。

 やがて虹色の魔力が分散すると、そこには美しく手直しされたドレスが残されて。


「直りました。どこに出しても恥ずかしくない淑女の誕生でございます」


 とても美しい所作で、執事は深々と一礼した。


「……気が利くじゃない」

「執事ですから」


 ついでに場に漂っていた白い魔力も消え去っていき、残されたドレスはまるでおろしたての白無垢のように、ぴかぴかと輝いた。



 これは『このは姫フィユ・フィーユ』と呼ばれる真っ白なお嬢様と、彼女に仕える『虹色執事シエル・セルヴィッタール』の日常を描いた物語である。

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