エピローグ②
アレから一年が経った。
仮面舞踏会のあの場、スケラ大公によって公爵たちに一喝を入れられて以来というもの、コーレリア大公国は激動の一年を迎えていた。
それというのも、この一年でスケラ大公お呼びに王国騎士団の助力を得て、ミミングウェイ嬢は実の父を含む一族、ひいては公爵全体の罪を明らかにし、罪を精算することができたのだった。
そして、スケラ大公主導のもと、爵位の再編が行われることとなった。爵位を剥奪されるもの、そして新たに与えられるもの。新たな形をこの国は模索していた。
コーレリアという国は、あの運命の仮面舞踏会の夜から徐々に変わりつつあった。
それをオーディールは王国騎士として、ずっと傍らで見守っていた。
お嬢さんは、やり遂げたのだった。
となれば、自分もようやくお嬢さんのお守り役としての任も終わり、お役御免だろう、と、オーディールは思っていたのだが、そうは問屋が卸さなかった。
スケラ大公の計らいにより、何かとオーディールとミミングウェイ嬢はよく一緒にいる。もうずっと共にいるものだから、一緒にいることが当たり前と誰も彼もが、オーディールすらも思い始めている。
一度、そのことについて問い掛けてみたことがあった。
『気にしなくてよい、よい。これぐらいはの、粋なさ〜びすというやつじゃよ?』
返ってくるのは、意味のわからない含みのこもった言葉で。
オーディールはスケラ大公からの生温かい視線を向けられていることに、居心地の悪さを感じていたが、お嬢さんはといえば、オーディールの横でいつもニコニコとしている。お嬢さんは、スケラ大公の視線にも何も気づいていなかった。
まあ、お嬢さんがニコニコしているからいいか……。
オーディールは、なし崩しに現状を受け入れていた。
オーディールとミミングウェイ嬢は預かり知らぬところだが、元王城では二人はもっぱらの噂であった。あの堅物騎士団長に、人生の春が来た! と。
そんなことはつゆ知らず、今日もミミングウェイ嬢は兵舎のオーディールの自室に持ち込んだ机でなにやら書物を読み漁っている。勝手知ったる他人の家である。本来殺風景であったはずのオーディールの部屋に家具が持ち込まれ、今では机の上に花まで飾られている。
珍しいベル状の赤や桃色の花弁を持つその花々はなんの花なのかと聞くと、どうやらイワタバコ科の花なのらしい。……そう言われても、正直分からない。オーディールは、武術以外全くの門外漢であった。
もしも、花に詳しいものがいれば、気づいただろう。その花の名前が、コーレリア・ボゴテンシスとコーレリア・アマビリスであることに。
ミミングウェイ嬢は必ずその二つの花をセットにして飾っていた。もうその二つが離れることはないように、と。
「公爵令嬢殿」
ミミングウェイ嬢が、書物を区切りのいいところまで読み終え「ふぅ」と息をついた折を見計らって、オーディールは声をかけた。オーディールは、ずっとお嬢さんに話したいことがあったのだ。
「……いい加減、名前で呼んでいただけませんか」
だが、どうにも呼び方がよくなかったのらしい。ジトリした目を向けられる。
そう言えば、ずっと、『お前』だとか『公爵令嬢』だとか、心の中ですらも『お嬢さん』とばかり呼んでいたな、と、オーディールは気づく。
素直に申し出に沿う。
「ミミングウェイ殿」
「苗字呼びですか」
「いけないか」
「いけないことはないですが……」
もう知り合って、一年も経つのだ。流石に他人行儀が過ぎるのではないか、という本心がお嬢さんの言葉の端々から見えていた。
「だが、俺は貴殿の名前を覚えてないのだが」
「色々コレまで沢山喋ってきたのにですか!?」
自分は、こんなにも絆を感じていたのに、と、ミミングウェイ嬢は憤慨する、が。
オーディールは逆に絆さえあればいい、と、『些細なこと』に頓着していなかった。
不幸なすれ違いである。
「……すまん?」
とは言え、失礼なことはオーディールにも分かっていたので、素直に頭を下げた。
「もう、酷いですね。リリィですよ。リリィ・ミミングウェイ。カフィー・オーディールさん」
お嬢さんは呆れながらも、自分はしっかり覚えてましたよというアピールを欠かさない。
オーディールは、再度教えられたその名を早速口に出す。
「リリィ、リリィか」
「?」
オーディールは確かめるように、何度も、その名を呟いて、しきりに頷いている。何度も何度も頷くものだから、つい不思議がってしまって、お嬢さんは首を傾げた。
「いや、懐かしいというか聞き馴染みがあるような響きだな、と」
オーディールがその名を呼ぶたび、なんだか妙にしっくり来たのだった。まるで昔から、それも生まれる前から知っているかのような、そんな感覚に囚われてしまって。
ミミングウェイが一瞬驚いたような顔をしてから、薄く微笑んだ。
「ああ、私もカフィーさんに、そう思いましたよ」
「そうか」
どうやら、似たような感性を持っているのらしい。
「案外、気が合うのかもしれませんね」
「……かもな」
「で、どんなご用件です?」
そうだった。聞きたいことがあったのだった、と、オーディールはそれで思い出した。
「ああ、実はな、聞きたいことがある」
「はい、どうぞ」
「なあ、この国の人間はどうして戯曲にしたがるんだろうな」
「ああ……」
と言うのも、昨今の評判の戯曲なのだが、明らかにオーディールが相対した銀狼と王子が元ネタだった。それだけじゃない、落陽王という戯曲も元はと言えば、ボゴテンシスとアマビリスの悲劇を元にした戯曲なのだという。
ミミングウェイ嬢の予告通り、新たな戯曲が作られて、劇場を席巻している。いつだってその公演の時の劇場は満席だと評判なのは、オーディールの耳にも入っていた。
なんでも『ハッピーエンドなのが何よりもいい!』のだとか。
「ボゴテンシスとアマビリスも、あいつらも戯曲になった」
お嬢さんは、顎に手を当てて、深く考え込んでから口に出した。
「強いて言うなら忘れないように、でしょうか」
忘れないように。
確かに、何かの形にして残すということは忘れないように、なんだろう。けれど、オーディールには腑に落ちなかった。
「だが、歴史の闇に葬ったのはそもそもこの国の人間だろう? 矛盾しないか。
あいつらのことだってきっと歴史の闇に葬りさられる」
事実、銀狼と王子の事の顛末は公にされていない。国を震撼させていた連続殺人については、公には銀狼の銀髪の一房でもって犯人が処刑されたということになっている。
そして、本当の真実が明るみになることは、今後おそらくない。
なら、なぜ戯曲という形で残そうとするのか。そして、明るみになることが本当にまずいのであれば、戯曲という形でも残すべきではないのではないか。
ずっと、オーディールには疑問だったのだ。
「一つお尋ねしてもいいですか」
「なんだ」
「カフィーさんは国を守るために人を殺すとき殺したくて殺してますか」
オーディールは、少し考え込んで、答えを口に出した。
「責務のためで、殺したい殺したくないとかではないな」
そもそも、公務に私情は持ち込まない。
……銀狼と王子と最後に相対した時は、それで雌雄を決してしまったが、アレは特別だ。
オーディールだって人間である。あの二人の懸命さに心を打たれてしまった、自身の善性が武器を振るう腕を鈍らせた。そういうことだって、たまにはある。
「ならなるべくなら殺したくないけど、殺すってことでいいですか」
「まあそうなるか」
「それと同じですよ。忘れたくはなかったけど忘れなきゃいけなかった。だから、戯曲にしたんですよ」
「ふーん、そんなもんかね。俺には自己欺瞞に見えるがね」
なら、最初から忘れたりしなければいいのに。
身も蓋もないことをオーディールは思う。けれど、お嬢さんはそれ以上のことを言って見せた。
「弔いなんてものは初めから自己欺瞞でしょう?」
「違いないな」
あまりの身も蓋もなさに、オーディールは流石にフッと笑いをこぼした。結構、このお嬢さん意外とシニカルなところも持ち合わせているな、と。
そして、頷いてみせる。
死者を想ったところで、死者には届かない。
もうそこに、その魂はないのだから。
だから、弔うなんてものは、徹頭徹尾、生者のためのものだ。
それでも。
「でも、それを忘れてしまっては人は獣に堕ちてしまいますから」
「難儀なものだな」
人間の複雑さ、抱える矛盾というのはいかんし難いものがある。俺には到底扱えそうもない、と、男は肩をすくめてみせた。
けれど、それも仕方のないことなのかもしれない。
なぜなら。
この男、武術以外全くの門外漢である。
それを見て、しょうがない人ですね、と、お嬢さんが笑った。
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