マーニ・コルネリウス①

 朝起きて、玄関の郵便受けから取ってきた新聞の朝刊をパラパラめくりながら、リビングに戻ると新聞では、この町で大量殺人があったことを報じていた。

 最近、ずっとこうなのだ。夜毎に誰かしらが死んでいる。


「最近、物騒だよね」


 物騒という言葉で片付けられる規模ではないけれど、そう言い表す他にないので、僕はそう口にした。僕が新聞を取りに行ってる間に、朝ごはんにコーヒーとトーストを用意してくれたハティは僕が目を向けるとニッコリ微笑んでくれる。ハティはいつもこうだった。僕が彼を視界に入れるたびすぐにニッコリ笑ってくれる。むしろ長い付き合いなのに、笑ってる以外の表情を見たことがないかもしれない。それは言い過ぎか。剣の鍛錬をしている時なんかは真剣でカッコいい。僕が見てるとすぐニッコリ笑ってくれるけど。


「ええ、マーニ様は危ないですからお屋敷にいてくださいね」


 そして、当然のように心配してくれるけれど、街で起きている殺害事件は全て屋外の犯行のもので、これまで屋内の被害者はゼロ。いつもお家でお留守番をしている僕にはほとんど関係のない話ではあった。ハティが僕を外に出させてくれないのだ。


「それなんだけど、僕もお仕事とか……」

「いけません。マーニ様はお身体が弱いのですから」


 ハティはニコニコしながらもキッパリと僕の提案を却下した。


「でも、僕、このままじゃいつまでも君にお金を払ってあげられない……」


 どころか、完全に養われている。

 この今いるお屋敷だって、ハティが父から封土された土地で。小ぢんまりとしているけれど、ちょっとした庭もあり、そこには薔薇のアーチやら花壇、ハティの鍛錬のための丸太の的があるし、外からの侵入を拒むような有刺鉄線が取り囲む塀や門は立派なものだ。普通公衆浴場にまで行かなければない、風呂だって小さいけれど完備されているのだ。

 聞けば、僕や僕の父が領主として与えていたお給金をほぼ手付かずで溜め込んでいたのらしい。勿論、そのお金はハティのもので僕の為に使わせてしまっていいお金ではない。僕は、反対したが、ハティは「貴方様とこんなお屋敷で二人きりで暮らしてみたかったのです」と言って聞かなかった。

 そうしてなし崩しにハティに養われたまま、読書なりをしてぼんやりと日々を過ごしている。

 見るものが見れば、夢のような生活だと思われるかもしれないが、僕は焦っていた。

 こんなことではいつまで経っても、ハティと対等な関係になどなれないじゃないか。

 僕が公爵の位を放棄した時、確かに、その事を期待したところもあったというのに。

 

  ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

 僕がコルネリウスの公爵の位を返上したのには理由がある。

 僕の父と母を乗せた馬車が崖から転落したのだ。それがタダの不幸な事故であればよかったけれど、父や母はコルネリウスの者だ。

 二人は謀略の末に殺されたと見て良いだろう。

 政敵の事故死を装うというのは、公爵の家の者の間では常識だ。

 僕には貴族として他にも兄弟がいたが、みな“事故”で亡くなった。残っているのは、病弱で外に出る機会のない僕だけというわけだ。

 そして、コルネリウスの者もまた無辜の者じゃない。ただ父はその敗者になったに過ぎないということを僕はよく知っていた。政治ゲームを仕掛け合い、負け、罠に掛けられて死んだ。状況が変われば僕の父が他家の者にこうした仕打ちをしでかしていたのだから、僕としては恨むとか、仇を取るだとか、そうした気持ちはなかった。

 僕がハティと共に以前の屋敷で父の訃報を聞かされた時に考えていたことはそんなことだった。

 ただ、一つだけ──。


「僕の父のせいで君のお父様が亡くなってしまった。その責任はコルネリウスにあると思う」


 ハティのお父様もまた、ハティと同じ銀狼の騎士であり、僕の父や母に仕えていてくれた。僕にも第二の父のように接していてくれた。

 その、ハティのお父様も父や母を護衛するため同じ馬車に乗っており、そして、一緒に亡くなった。

 本来であれば、父や母の巻き添えを食って死ぬ必要はないはずの人だった。

 けれど、ハティは僕の言葉に首を横に振った。


「マーニ様が父を気遣う必要はありません。父は最期まで貴方様のお父君にお仕えしたまでのことです」

「でも」

「どうか、父の誇りを侮辱なさらないでください」


 ハティのその言葉で僕はハッと気づいた。

 ハティのお父様が仕えているのは、僕の父であって、僕がその主従に何かものを言える筋合いはないのだ。


「あ……、ごめんなさい」

「いいえ、マーニ様がお優しいことは分かっておりますとも。亡くなった父も斯様に気に掛けていただき、嬉しく思うと存じます」


 父が亡くなって喪に服してる間にハティと交わしたのは、こんな会話だった。

 こうして、僕はコルネリウスの当主となった。

 コルネリウス家の者として、一人残った僕は、領地を返還することにした。公爵の爵位も放棄する。

 誰かを不幸にするようなこともしたくなかったし、誰かに敵意を向けられてそれに対して応報をするなんてこともしたくはなかった。であるのならば、ゲーム盤を降りる他にない。

 僕はすぐにコーレリア大公国、現君主であるスケラ大公にその旨の通達を送った。

 何度か、やりとりを繰り返した。

 スケラ大公は「なにも公爵の位を放棄する必要はない。領地もそのままでよい」と、僕を説得してくれていたが、結局、スケラ大公が折れてくれた。スケラ大公は正義を重んじる人で、このコーレリア大公国を治める立派な方だった。

 僕は、無事公爵からなんでもないただのマーニになることができたのだ。

 ただ、一つだけ、懸念があった。

 ハティのことだ。

 ハティは僕にずっと仕えていてくれた。

 見目麗しい、銀と毛先が微かに藤色がかったその長い編んだ毛束はいつ見たって宝石のように煌めいていて。こんな綺麗な生き物がこの世にいていいのかと僕は、初めて会った時から思った。

 けれど、それよりも何よりも。

 僕は、ハティが凛としていながらも、細やかな気配りをしてくれるところが好きだった。

 僕みたいな、自分一人で何もできない、弱い人間を、見放さないどころか、積極的に守ろうとしてくれる、そんな騎士の鑑のようなハティの在り方は僕にとって眩しかった。

 僕はハティの主人だったというのに、従者であるハティにずっと憧れていたのだ。

 そうして、いつしか気づいた。

 僕は、ハティのことが好きなのだ、と。

 最初、この気持ちに気づいた時、色々、悩んだもので、今だって悩んだままだ。

 同性同士であるとか、そんなことだ。

 ただまあ、同性であること自体は、すぐにどうでもよくなった。だって、ハティは美しいから。きっと街行く男性にハティと女性どちらの方を抱きたいかと聞けば大体の人が、ハティの方を抱きたいと言うと思う。

 優れた容姿というのは、性別なんてどうでもよくさせる。

 そんなことより、僕が公爵家の者であること、そして、ハティが僕に仕える騎士であることの方が、問題だった。

 身分違いの恋、なんて、よく悲劇で観るじゃないか。この国は演劇が文化として大衆にまで浸透してるけれど、僕もハティと一緒に何度も劇場に足を運んだものだ。

 だから、それが許されざるものだということは、よく知っていた。

 それに、ああいう身分違いの恋の劇というのは、両想いが大前提で、そもそもとして、僕はハティに気持ちを打ち明けてもいない。

 ハティは、きっと僕が気持ちを打ち明けたなら、恋人になってくれると思う。けど、それは、ハティが僕の従者で、『命令』と受け取るからだろう。

 それじゃ、意味がない。

 僕は、ハティと本当の意味で愛しあいたかった。

 だから、公爵の位を捨てると決めた時、これでハティと対等になれるかもしれない、と期待したところも心のどこかであったのだ。

 そして、ハティが僕が貴族じゃなくなっても他のどこにも行かないと言ってくれて本当に嬉しかった。

 嬉しかった、のに。

 その先の生活が、ハティに甘やかされるだけの生活だとは、その時の僕には想像できていなかった。

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