第34話 「ノイズ」


「綾瀬くんって、なんか不思議な子だなぁ」


 転校してきて一週間。

 もうすっかり学校には慣れたけど――

 クラスの中で、唯一“まだちゃんと掴めてない”のが、綾瀬陽真だった。


 みんなと普通に話すし、返事もちゃんとする。

 でも、どこか一線を引いてるような、落ち着いた距離感がある。


「でも、嫌な感じはしないんだよね」


 今日もまた、資料プリントを落とした子に気づいて、すぐ拾ってあげてた。

 目立とうとしてないのに、自然と誰かに手を差し伸べてる。

 そういうのが、目立ってる。


「……なんか、優しいんだよね、綾瀬くん」


 そう言った私に、隣の席の女子がニヤニヤしながら肘でつついてきた。


「ねぇねぇ、水城さんってさ、綾瀬くんのこと気になってるでしょ?」


「えっ!? や、やめてよ、そんなんじゃ――」


「いやいや、あの目は完ッ全に乙女の目でしたわ!」


「ち、違うってば! そういうんじゃなくて……ただの、友達……の、はず……?」


 自分で言っておいて、語尾が弱くなるのが自分でも分かる。

 あー、ダメだ。これ、完全にそういう流れだ。


 でも私、本当に「ただの友達」として話してただけで、

 なのに――


「え、白河先輩は?」


「え、なにが?」


「だって、前からちょっと噂あったじゃん。あの物置の場所とかで……」


「うわ、それで今水城さんが来たら、白河先輩ちょっとピンチじゃない?」


 そんな声が、もうすでに何人かのグループからひそひそと広がっていた。


(ええ……そんなつもりじゃないのに……)


 どこか胸の奥が、少しだけザワついた。

 ただ陽真くんとは友達になりたい、そう思ってただけなのに……。




 ******




 

 放課後、いつもの物置。

 そこにはいつものように先輩がいた。


「おつかれ、少年〜」


「どうも、お疲れっす」


 クッキーを差し出され、俺はそれを受け取りながら座った。

 でも、今日は少し様子が違った。


 いつもなら、先輩は最初から“5割増しのテンション”で喋ってくるのに、

 今日は、なんか――トーンが低い。


「……今日、静かっすね」


「え? あ、うん。そう? いつもどおりじゃない?」


「……いや、めちゃくちゃ棒読みでしたよ」


「えへへ、ごまかし失敗!」


 先輩は笑ったけど、その笑い方もどこか上の空だった。


「……もしかして、何かありました?」


 俺がそう聞くと、先輩は一瞬だけ黙った。

 そして、ちょっとだけ目を細めてこっちを見た。


「……あのさぁ、聞いちゃったんだよね〜。水城さんって、陽真くんのこと好きなんじゃないかって噂」


「え」


「いやー、さすがだなぁって思って!転校してきてすぐにクラスに馴染んで、空気も読めて、

 しかも少年ともすぐ仲良くなって。いや〜これは来たな〜って」


「……先輩?」


 訳が分からない、それは本当なのか……?


「で、私としては思うわけよ。あっ、“やっぱ私、負けヒロイン”だな〜って! あはは!」


 それはもう、完全な笑顔だった。

 ……けど、それ以上に、それは彼女の完全な作り笑いだった。


「……そんなことないっすよ」


 俺は思わず、声が強くなるのを抑えきれなかった。


「本気でそんなこと思ってるなら、それこそおかしいですって」


「うん、うん。ありがとね、そうやって言ってくれるの。

 でも、なんかね〜……」


 そう言いながらあくまでも表情は笑顔で頭をポリポリかく。あまり見ない先輩の仕草だ。


「あたしの中の“ヒロインセンサー”がピコンって鳴ったんだよ〜。“この子が正ヒロインです”って」


「……先輩、それ、悲しいこと言ってるって分かってます?」


「えー、悲しいかな〜。冗談冗談。ほら、お菓子食べよ?」


 先輩は笑ってクッキーを勧めてくれたけど、

 その手が少しだけ震えていたのを、俺は見逃さなかった。


「……俺、ここ来るの、先輩がいるからなんですよ」


「え?」


「先輩と喋ってる時間があるから、毎日ちゃんと学校来れてる気がするし、先輩が笑ってくれると、俺もなんか“ちゃんと生きてる”感じがするんです」


「な、なにそれ。急に重いな〜、少年!」


「でも、本当のことです」


 千春先輩は最初こそ笑っていたが、俺の真剣な雰囲気を感じ取ったのかしばらく黙っていた。

 そしてふっと、力が抜けたように笑った。


「……ありがと、少年」


「いえ、別に」


「そんで、“負けヒロイン”とか言ったことは、忘れてくれていいから」


「もう忘れました」


 そのやり取りの中で、ようやく少しだけ、空気が元に戻った。


 でも――やっぱり、心のどこかにはノイズが残っている。


 それは、きっと先輩の胸の中にも、同じように。

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