第28話 星空の下で語る昭和の軍人と精霊の王女

 エドワード将軍とその部隊が去った後、俺とスイリアは休息を取ることにした。


天狗の冷泉を目指す旅は翌朝に再開するため、野営の準備を進めていく。


 「はぁ……今日は思いがけず大変な一日でしたね」


 スイリアは小さく息をついた。銀紫色の髪が夕暮れの光に照らされて、まるで月光を集めたかのように美しく輝いている。


さっきまでアカブトマガスと死闘を繰り広げていたとは思えないほど、彼女の動きは優雅だった。


 「ああ。あんな化け物と戦うことになるとはな」


 俺は肩の傷を軽く押さえながら、辺りの木々を見回した。深い緑の葉が風に揺れ、心地よいざわめきが耳に届く。獣が出るような危険な場所ではなさそうだが、軍人の習性で警戒を怠らない。


 「芦名殿の肩、まだ痛みますか?」


 スイリアが心配そうに近づいてきた。彼女の瞳には純粋な気遣いが浮かんでいる。どこか緊張感のある戦場の日々を過ごしてきた俺にとって、そんな優しい眼差しは胸に染みるものがあった。


 「大丈夫だ。お前の治癒魔法のおかげで、もうほとんど痛みは感じない」


 そう言いながらも、トマトの酸で火傷したような痕が残っている。スイリアはそれを見て眉を寄せた。長い睫毛が影を作り、その表情がより一層心配そうに見える。


 「もう一度治療させてください。きっと明日には痕も消えますから」


 彼女の手が差し伸べられ、淡い緑色の光が俺の肩を包み込む。


温かな波動が傷を撫でるような心地よさだ。肩の痛みだけでなく、長旅の疲れまでもが溶けていくような感覚に、思わず目を閉じた。


 「ありがとう。本当に頼りになるな」


 「いえ、私こそ……芦名殿がいなかったら、あの怪物に倒されていたかもしれません」


 彼女は少し恥ずかしそうに目をそらした。ハーフエルフの特徴でもある長い耳が、ほんのり赤く染まっている。


その姿があまりにも愛らしくて、思わず目を奪われた。


 「そうだな、お互い様ってやつだ」


 俺はポケットから携帯食料を取り出した。クッキーのような固い乾パンと、肉の保存食。水筒の水で少し柔らかくしながら口に運ぶ。


 「芦名殿、それだけだと足りませんよ。これを……」


 スイリアは自分の荷物から取り出した小さな布包みを開いた。中には見たことない緑色の葉で包まれた何かがある。エメラルドグリーンの葉は、まるで宝石のように光を反射していた。


 「何だ、それは?」


 「エルフの旅行食です。葉っぱの中に米のような穀物と、山菜や木の実を混ぜて蒸したものですよ」


 俺が警戒するのを察したのか、彼女は小さく笑った。その笑顔に、どこか昔なじみのような親しみを感じる。


 差し出された葉包みを受け取り、恐る恐る一口。


葉から立ち上る芳しい香りが鼻をくすぐる。口に含んだ瞬間、予想外の美味しさに目を見開いた。


 「……うまい!」


 思わず声が大きくなった。米に近いが、もっちりとした食感で、なんとも言えない香りがする。木の実の甘みと山菜の苦みがちょうどいいバランスだ。


 「お口に合いました?」


 スイリアが期待を込めた表情で尋ねてくる。


 「ああ。これなら海軍の兵食よりよっぽどいい」


 「よかった」


 スイリアはほっとしたように微笑んだ。


その表情に、俺は思わず見とれてしまう。

戦場で鍛えられた神経が、彼女の近くではどこか緩んでいくのを感じた。


 野営の準備を終え、小さな焚き火を囲んで二人並んで座る。


焚き火の炎が踊り、心地よいパチパチという音を立てる。頭上には無数の星が瞬いている。不思議なことに、この世界の星座も俺の知る日本のものとよく似ている。


 「きれいな星空ですね」


 スイリアが静かに呟いた。焚き火の明かりに照らされた横顔には、どこか物悲しさが漂う。


どんな思いを抱えているのだろう。王女としての重圧、あるいはハーフエルフとしての苦悩か。


 「そうだな。海にいた時も、こんな風に星を見上げていたよ」


 「芦名殿は……海の上の方が落ち着くんですか?」


 「ああ。おかしな話だが、揺れる甲板の上の方が安心感があるんだ」


 そう答えながら、ビスマルク海での最後の夜を思い出していた。


来るべき戦いを前に、静かな星空の下で過ごした時間。あの時も、こんな風に星が煌めいていたな。


 スイリアはしばらく黙っていたが、少し勇気を出したように口を開いた。


 「王宮にいた頃の私も……そんな感じでした。自分の部屋より、母が連れて行ってくれた森の中の方が安らげて……」


 森の中という言葉に、俺は思わず微笑んだ。王女としての彼女が、自然の中で息をしていた姿が目に浮かぶ。


 「王族の御息女ともあろうお方が、森の中で遊んでいたとはな」


 スイリアは少し苦笑いを浮かべた。銀紫色の髪が月光を反射して、儚げに揺れる。


 「エルフの血が半分あるので、自然と調和するのは本能かもしれません。でも、父は理解してくれていました」


 彼女の表情に、一瞬だけ懐かしさと悲しみが混じったように見えた。


何か言いたげな様子だったが、すぐに微笑みに戻る。スイリアの過去には、まだ語られていない何かがあるのだろう。




 「実は俺も……ちょっと変わった境遇でな」


 「芦名殿も?」


 「ああ。実は、俺は自分の世界で一度……死んだはずだったんだ」


 スイリアは息を飲んだ。その瞳に驚きと憐れみが浮かぶ。


 「死んだ……はずだった?」


 「南方の海で、敵の爆撃を受けて……船もろとも沈んだはずなんだが、気がついたらこの世界で目を覚ました」


 懐かしい白雪の甲板や、海戦の惨状が脳裏によみがえる。


ビスマルク海で散っていった仲間たちの顔が、星空にオーバーラップする。あの時の爆音、叫び声、波の音。あの記憶は消えることなく、今も鮮明に残っている。


 「それで、ネ申という神様みたいなのが現れて、『この世界を救ってほしい』と言われてな」


 「そうだったんですね……」


 スイリアの目が少し潤んでいる。その瞳に映る焚き火の炎が揺れる。


 「あの、失礼かもしれませんが……もし元の世界に戻れたら、芦名殿は帰りたいですか?」


 質問の意図が少しわからず、俺は彼女をじっと見た。その顔には、何か複雑な感情が浮かんでいる。


 「もちろん帰りたいさ。自分には責任があるからな」


 「責任……?」


 「ああ、俺の指揮下にあった部下たちがまだ戦っているかもしれないんだ。艦長ともあろう者が一人だけ逃げ出すわけにはいかない」


 そう答えながらも、心の奥深くでは疑問が渦巻いていた。本当に戻れるのか?戻ったとして、何が待っているのか?




 スイリアはしばらく黙っていたが、やがて静かに言った。


 「でも、芦名殿は既に……」


 「死んでいる?そうかもな。だが、それでも確認しないといけない気がするんだ」


 俺の言葉に、スイリアは複雑な表情を浮かべた。銀紫色の髪が風に揺れる。


 「あの、もしかして……私たちが邪魔をしているのでしょうか?」


 「どうして?」


 「陽菜さんを助けるために、私たちは今、遠回りをしていますよね。芦名殿にとっては急ぎたいことなのに……」


 彼女の顔には申し訳なさが浮かんでいる。その思いやりに胸が熱くなる。


 「お前は違うぞ。俺は……この世界で新しく出会った者たちを守れなかったら、過去の仲間たちにも顔向けできないさ」


 意外な言葉だったのか、スイリアは驚いた表情をしたあと、少しほっとしたように微笑んだ。その笑顔に、胸の奥で何かが震えるような感覚がした。


 「ありがとうございます。そう言ってもらえて、嬉しいです」


 彼女の笑顔が焚き火の明かりで輝き、その美しさに思わず息を呑んだ。


 「そういえば、その刀は……?あまり見ない形をしていますが……?」


 ちょっと間が空いて、スイリアが不思議そうに聞いてきた。


 「ああ、これか?」


 俺は腰の軍刀に手をやる。月光に照らされた刀身が、かすかに青い光を放っている。


 「元々は、先祖伝来の刀を俺が軍刀に打ち直したものだ。ネ申によれば、この刀には魔法の力が宿るらしいんだ」


 「それで先ほどの斬撃があんなに強力だったんですね」


 「スイリアこそ、あの魔法はすごいぞ。そんな術、俺の世界じゃ見たことないからな」



 スイリアはちょっと照れて、両手を振った。その仕草があまりにも愛らしく、思わず笑みがこぼれる。


 「い、いえいえ。これは単なる精霊魔法で……みんな使えるわけじゃありませんが、特別なものでもなくて……」


 言葉に詰まるスイリアの様子があまりにも人間臭くて、思わず笑みがこぼれた。


 「あっ、流れ星!」

 スイリアが突然空を指さした。その目は子供のように輝いている。確かに、一瞬の輝きが夜空を横切っていくのが見えた。


 「何か願い事をすれば叶うとか、そんな言い伝えはこの世界にもあるのか?」


 「もちろんですよ! 私たちエルフの間では、流れ星は『精霊の旅路』と呼ばれていて、その光を目撃したらひとつだけ願いが叶うと言われています」


 スイリアは嬉しそうに語る。


少女のような無邪気さがちらりと顔をのぞかせた。普段の王女としての凛とした姿からは想像できない一面だ。


 「それで、願い事は?」


 「それは内緒です」


 スイリアはにっこりと微笑んだ。その笑顔に、俺の胸がどきりと高鳴る。


 「芦名殿は?」


 「俺か……」


 一瞬の流星に何を願うべきか。家族のこと?祖国のこと?白雪の乗組員たち?それとも陽菜やスイリアのこと?


 「みんなが無事であることかな」


 「すごく芦名殿らしい願い事ですね」


 スイリアの言葉に苦笑いを浮かべた。彼女は俺のことを少しずつ理解してくれているようだ。その事実に、不思議な安心感を覚えた。


 「明日は早いし、そろそろ休むとするか」


 「そうですね。あと半日歩けば冷泉に着きますから。一応、交代で休みましょう。芦名殿、先にどうぞ」


「いや、俺は眠くないからスイリアが先に休みなさい」


「そう……ですか?では、お言葉に甘えて休ませていただきますね。時間になったら起こしてください。

それでは、おやすみなさいませ」


「うん、おやすみ」



スイリアは疲れていたのか、すぐに寝息を立て始めた。そっと横顔を見ると、月明かりに照らされた彼女の顔はとても穏やかだ。王女でありながら、こんな環境で平気で眠れるなんて、思ったより逞しい。


 明日はいよいよ天狗の冷泉。陽菜を助けるためには、何としても手に入れなければならない水がある。そして、その先には……自分の元の世界への道が見えてくるのだろうか。


 星空を見上げながら、俺はそんなことを考えていた。

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