SCENE 03:初めて会ったのは五歳の冬 *
わたしと蓮が初めて会ったのは、五歳の冬。
マンションのわたしの家の右隣に蓮のお家が越してきた。深山家は気難しそうな顔をしたお父さんと反対に柔和な表情のお祖母さんと蓮の三人家族だった。
引っ越し当日、ご家族で挨拶に来た蓮の第一印象は「怖い」だった。
けれどそれは蓮が冷たいとか嫌な態度だったわけでは全然無くて、たんにわたしが極度の人見知りだからだ。十歳年上のお姉ちゃんは明るくてむしろ人懐っこい子供だったらしく、その分お母さんはわたしのことを極端なほど心配していた。そのことは蓮が俳優の道へ進むきっかけにも繋がっていくのだけど、その話はもう少し後になる。
「息子の蓮です。じき五歳になります」
蓮のお父さん、
公貴さんはうちのお父さんよりイケメンなんだけど、眉間の皺が深くてやはり「怖い」と当時のわたしは思ってしまった。
「こんにちは、蓮くん。娘の
お母さんがわたしを蓮の前に出そうと背中に手を回したけど、わたしは頑なにお母さんの右脚にしがみついて離れなかった。
「はい。よろしくお願いします」
蓮はそんなわたしにというより、むしろお母さんやお姉ちゃんに向かってペコリと頭を下げた。
「わ、賢そうなお子さん」
「こら、継実。失礼でしょ」
「ふふっ、いいえ。蓮の祖母の
「今度、高校生になります」
「無事合格すればですけどね、へへっ」
「お父様は今日は?」
「主人は仕事なんです」
「そうですか。またあらためてご挨拶しますね」
「いいえ〜。かしこまらず接してくださいね」
柔らかい話し方の公代おばあちゃんとわたしのお母さん、お姉ちゃんの三人でいつしか会話が弾んでいる。
もうすぐ年長組になるわたしは最近わかってきた。話すのが「得意」な人と「苦手」な人がいるのだと。
お母さんたちは「得意」な人たちだ。
対して蓮と彼の後ろで所在なげに立っている公貴さんは、わたしと同じく「苦手」な方の人たちなのじゃないかと。
わたしの場合、言いたいことはいっぱいあるのに上手く言えなくて、気づけば他の人たちで会話が先の方に進んでいるのだけど、蓮と公貴さんが同じタイプなのかはまだわからなかった。
「あら、かわいいクマちゃん」
お姉ちゃんの言う通り、蓮は会った時からクマのぬいぐるみを胸に抱えていた。わたしもじつはさっきから気になっていた。
デパートで見たことある。耳に黄色いタグが付いた、テディベアだ。あとからドイツの高級ブランドのぬいぐるみだとわかるんだけど。
お姉ちゃんはべつに取ろうとするつもりはなかったのだろうけど、テディベアに手を伸ばされた蓮はとっさに両腕でそれを強く抱きしめた。
「ごめんなさいね、継実さん。母親のプレゼントなの」
「ううん、わたしこそ。ごめんね、蓮くん」
公代さんが先にすまなそうに謝ってきたので、お姉ちゃんは逆に恐縮した感じで蓮に謝った。蓮も許すという意味なのか無言でうなづいた。
今まで誰も尋ねなかったが、わたしたち家族が気にしていることを察知したのか、公代さんが重々しく口を開いた。
「母親が亡くなったんです。先月……病気で」
「まあ」
「今までは母親の実家の方にいたのですが、私の仕事の関係で、こちらで母と三人で暮らすことになりまして」と公貴さん。
「なにぶん知らない土地ですので、いろいろ教えていただけたら。買い物先ですとか」公代おばあちゃんが上品に微笑む。
「もちろんですわ。なんでも聞いてください!」
「良かった。来て早々なんですが、私は仕事でまた海外へ行くことになりまして、母と蓮を残して行くのが不安だったので」
「まぁあ、お任せください! わたしで良ければ」
あたりまえだけど公貴さんも普通にたくさん話し始めたので、わたしの中で彼は仲間ではなくなった。そして大人同士の会話が続く中、お母さんがだんだんと張りきりだしたのもわかった。お母さんはこんな調子で幼稚園の役員、町内会の役員も引き受けている。
ところでわたしの歳ではまだ「母親が死んだ」ということがどれほど辛いことか、もちろん理解できなかった。けれど今そばにいる自分の母親がいなくなって二度と会えなくなることを考えたら、すぐに恐ろしくなって、ますますお母さんの右脚に絡めた腕の力を強めてしまい「痛い、痛いわよ。ちーちゃん」と嫌がられた。
子供心に蓮が「かわいそうな子」だと思ったわたしは、わたしなりに蓮と仲良くしようとおずおずと微笑みかけた。
蓮はわたしの目を見たと思うけど、反応はなかった。潰れそうなくらいテディベアをぎゅうと抱きしめているのだけど、顔にはなんの感情も表れてなくて、そんな子と対峙するのが初めてだったわたしは、仲良くできるかやっぱり不安になった。
蓮はわたしと同じ楡の木幼稚園のつばめ組になった。最初の日、公代さんと蓮、お母さんとわたしで幼稚園へ歩いて向かう間も話しているのは公代さんとお母さんだけで、わたしはちらちらと蓮を見ることしかできなかった。
幼稚園にテディベアは連れてこれなかったのか、蓮は何度か空っぽの両手を見ていた。その感情が「不安」なのかとかわからない歳だったけれど、わたしは繋いでいたお母さんの手を振り解くと、蓮の右手をぎゅっと握った。
わたしに手をぎゅっと握られた蓮はあいかわらず無表情だったけれど、嫌ではないのか振り解いたりはしなかった。その日のことは今でもお母さんにたまに「きゅんきゅんしたわ〜」と揶揄われるので恥ずかしいけど。
でもわたしが手を繋いでいたのは本当に束の間で、幼稚園でさやか先生に紹介された後の蓮は女の子たちに両側から手を引っ張られるくらい、すぐに人気者になってしまった。
なんでそう思ったのかわからないけど、初対面の心許ない印象から勝手に「わたしが世話してあげなきゃ」と決意していたのに、初日から蓮は学芸会の劇のセリフもすぐ覚えたし、わたしがまだ全部覚えてなかった「星に願いを」の鍵盤ハーモニカも楽々弾いてしまうし、休み時間には女の子にせがまれたのか鉄棒で連続逆上がりをグルグル回っていた。
そのどれもがあの無表情だったのだけど、でも彼は早々につばめ組の中で確固たる地位を確立したのだった。
年長になっても「ちなちゃんの声が小さくて、何を言ってるのか聞こえませ〜ん」と言われてしまうわたしにとって、子供ながらに蓮がぎゅーんと遠くへ行ってしまったと感じた。
最初からわたしなんかいらなかったんだ。落ちこんだわたしにお迎えの時間、「ちなちゃん、帰ろう」って蓮が自分から手を繋いでくれたのは嬉しかった。しかもそれは卒園まで続いた。
単純に同じ幼稚園で隣の家に住んでるからなのかもしれなかったけど、帰ってからも必ずどちらかの家でおやつを食べたり遊んだりした。わたしの場合、典型的な内弁慶で、自分の家に帰るととたんに大きな声が出るタイプだった。
その頃はまっていた魔法少女になりきるごっこ遊びが好きで、蓮はそのたび、やられる敵モンスターだったり、魔法少女クルミのお父さんだったり、マスコットキャラのルビィだったり、なんでもやってくれた。最初は魔法少女がなんのことかもわかってなかった蓮だけど、アニメを見るようになったのか、そのなりきりはだんだんクオリティーが上がっていった。今思えば蓮の才能が芽吹いたのかもしれなかった。けれどお馬鹿なわたしはそんなの気づかずに、ただただ楽しくて、要求に応えてくれる蓮にどんどん無茶振りしていた気がする。
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