第10話
波の音が聞こえる。
これが天国で初めて聞いた音なのだとしたらロマンチックもいいところだけど、終わり方を考えれば皮肉にも思えた。
それでもここが天国なら、みんなに会えるのかもしれない。ケイトが夢見た、大好きなものに溢れた楽園だ。ふざけ合う父とケイトを見ながら私と母が料理を作る。レイスとマトリカが訪ねてきてみんなで食事をするんだ。ずっと聞いてきた笑い声が私を幸せへと誘う。
唐突に、全身に熱い何かが流れていくような感覚に襲われた。
それはまるで止まっていた時間が動き出して息を吹き返すようで、暗闇だった視界が鈍い光を灯し始めた。
私はゆっくりと、瞼を持ち上げた。
青い空。小さく千切ったような雲が穏やかに流れていた。眼をできる限り動かすと、海が見えた。落ち着いた波が浜辺に引き寄せている。幻覚かと思うも、海の匂いが目の前の風景を紛れもなく本物だと教えてくれた。
「っ……」
声が出なかった。
私は寝返りをうつように、まともに動かない身体をなんとか動かして視覚から情報を得る。私の頭の後方には森林地帯が広がっていた。人の手が通っていない、いつか父たちに連れられたあの森に似ている。
白い浜辺に人の姿はない、私だけだった。持てる力を振り絞って、私は再び仰向けに倒れた。
身体に大きな怪我はなく痛みもそれほどではなかった。
それよりも酷いのは衰弱だろう。一ヶ月、いや二ヶ月は経っている。生命維持を限界まで引き下げて飲まず食わずで生きられるのはそのぐらいが限界だった。私は限られた力を思考することだけに使った。
すぐに辿り着いた結論に大声で笑いたかったけれど、生憎そんな力は残っていなかった。
なんだ、これは。
純陸上生物の人間があんな嵐の海に投げ出されたうえに、おそらく政府が認識していない無人島に辿り着いたのだ。そんな生き残り方があるだろうか。
いったいどれだけの奇跡が重なって、私はいま生きているのだろう。
「…………残酷、だ」
絞り出した最初の言葉だった。
どうして私なのだ。何も守れなかった、私が。
一度眼を覚ましてしまえば、身体中の細胞が動き出す。空腹や喉の渇きも感じはじめてきた。もう一度眠ればきっと、私は二度と眼を覚まさないだろう。
ケイト。心の中で呟いて私は眼を閉じた。
名を呼ぶことがいまの私に出来る唯一の懺悔だった。きっと許してはくれないだろうけれど謝らせてほしい。ダメなお姉ちゃんでごめんね。ごめんね、ケイト。
それからどのくらいが経った頃だろうか。
意識が曖昧になっていくなかふと、頭の上のほうから声が聞こえた。
幻聴かと思ったが、直感でそれが本物の声だとわかり、私は咄嗟に防衛本能を発揮させて飛ぶように起き上がった。
私の俊敏な動きに驚いたのか、声の主は尻餅をついていた。
すぐ近くにいたのは奇妙な格好をした人間だった。身体にピッタリとくっついたゴツゴツしたスーツは酷く動きづらそうだ。けどそれが身体を守る為だというのはすぐにわかった。物理的はもちろん、感染や大気による影響を懸念しているのだろう。ヘルメットのガラス越しに見える顔から男のようだ。
彼が慌てながら首元のボタンを押すと、ヘルメットだけが可視化されて彼の頭部だけが露出されるようになった。男は何か言っているが聞き取れない。
言語が、違う?
私が警戒し、睨み付けていると男は両手を挙げながらゆっくりと立ち上がってやはり何かを話し続ける。
私は必要ならば容赦はしないつもりの気構えだった心持ちが動揺へと支配されていた。何を言っているかわからないというのは、これほど根源的な恐怖を生むのか。同じ人間のようだが、奇妙な点が多すぎる。
突如、私は目眩が襲ってその場で倒れてしまった。急に動いたせいで意識と身体の乖離が酷い。全身が痙攣するように動かなくなっていった。
いまここで、意識を失うのは、まずい。
男が何かを言っているのがわかったが抗うことが出来ず、私の視界は強制的に真っ暗になった。
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