楽園

名月 遙

プロローグ

 あの日のことは忘れない。


 夕食のあと父と母に連れられ、私は街外れにある森の中を歩いた。そこは子どもだけでは行ってはいけないと言われていた場所で、私はいけないことをしている不安と高揚感が混ざった変な気持ちになっていた。

 森の中は想像以上に真っ暗で、どこか別世界に足を踏み入れた気分になる。どこまでも続く暗闇が呼吸を許さないと脅迫してきているようで、吸い込む息が浅くなっていった。

 とても恐ろしかった。

 一人だったらきっと逃げ出すことも出来ずにその場でうずくまってしまったと思う。それでも私が先を進む勇気を持てたのは、握られた母の手の温かさとすぐ前を歩く父の背中の頼もしさがあったからだ。

 

 私は、ひとりじゃないことがこれだけ心を強く持てるんだと知った。でも、ひとりぼっちの恐ろしさを同じくらい想像できたのもこのときだったと思う。


 緩やかな坂道を三十分ほど登っていると、先導する父の身体を通り越して木々の出口が見えた。


「着いたぞ」


 父の声とともに森を抜けて辿り着いたのは何もない開けた野原だった。

 山の中腹に出来たそこは自然の力で出来たとは思えず、かつて何かがあった場所なのは明らかだった。

 このような前時代の痕が残るところはたくさんある。男の子は放課後にそんな場所を探険、散策するのが宿命というように毎日行っていた。そこで珍しいものを見つけた人がヒーローになれるらしい。女の私には目的そのものが理解し難かったけれど、前時代の遺物には少し興味があった。

 まだ人間がたくさんいた頃。何百年も前に生きた人たちが作ったもの、使ったものがどんなものだったのか。どんな気持ちでそれを手にしていたのか。想像するとずっと昔の人と友達になれたような気分になった。だってそれは小説に出てくる登場人物ではなく、実際に生きていた人なのだから。


 野原からは私たちが暮らす村が見渡せた。点々と、家の温かい灯りが見える。確かに幸せな気持ちになる景色だ。けれど、勇気を出して冒険してきたご褒美としては少し物足りなく感じた。


「そっちじゃないわよ、サフィニア」


 私の僅かに曇った心情を敏感に察した母が、手を少し上に引っ張る。誘導されて見上げた空を見て、私は思わず息を呑んだ。

 そこには光の粉を塗したような星空模様があった。心が吸い込まれそうになって一瞬怖くなり、すぐにその美しさに何もかもを忘れさせた。

 やっと気付いたね。そう語りかけてくるように、流れ星が一つ空を駆けた。


「……綺麗」


「そうだろう。お前には一度この空を見せたかったんだ」


 父は熱を帯びた口調で言うと、星空を見上げたまま続けた。


「僕はね、宇宙にはいろんな生物がいると思ってるんだ。こんなに数えきれないほどの星があるんだ、僕たち人間のような生命がいないなんて誰も証明出来ない。僕は子どもの頃からずっと信じているんだ。宇宙に生命は必ず存在するって」


「宇宙人がいるの?」


「そうさ」


「襲ってこないかな?」


 割と真剣な不安だったのだが、父と母には笑われてしまった。


「そうかもしれない。そうでないかもしれない。だからこそワクワクするだろう」


 父の姿は、たまに学校の男の子と変わりなく見えることがあった。屈託のない笑顔と身体で感情を表現する。そう思っている間に、父は空を掴むように両手をいっぱいに広げて言った。


「いつか宇宙にいる生命に出会えたらいろんなことを話したい。話さなければお互いを理解なんてできないからね。それが父さんの子どもの頃からの夢なんだ」


 夢。ずっと私に見つからないもの。

 顔に出ていたのか、父は私の頭を撫でながら笑った。


「サフィニア、夢を探そうなんて思わなくていいんだよ。毎日を一生懸命生きていればそれでいいんだ」


 それが君を強くするよ。父はそう続けた。

 手の温もりを感じながら私は思う。


 クラスであなたの夢はなんですか、と問われる度に戸惑いを覚えていた。先の見えない未来に思いを馳せることは、私にとって楽しいことではなかったからだ。

 私は、私がいまここで住むこの世界が好きだった。豊かな自然、輝く夜空、優しい村の人たち、大好きな友達、そして大切な家族。世の中は大好きなもので溢れている。

 父がどうして急に私をここに連れてきたのか理由はわかっていた。隣で手を繋ぐ母を見る。母のお腹の中には私の弟が眠っていた。

 私の夢は見つからない。ただ言えるのはこの世界が好きだということだ。

 毎日を楽しく過ごそう。父の言葉のおかげで、いまはそれでいいと思えた。


 私はこの年、十歳になって、お姉ちゃんにもなった。

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