第1話

 私は治療舎の寝台にいた。石造りの壁と干し草の匂い。戦場近くの簡易な治療施設だ。頬には包帯、肩には板で固定された痛み――それは剣の刃を受けた証だった。


 扉の外から、誰かの話し声が聞こえる。

 やがて、アレグランが現れた。


「お見舞いに来たよ。……無茶なことをしたな」


 彼の目が、私の傷に落ちる。触れかけた指先を、そっと引いた。


「……ごめん。あのとき、俺にはなにもできなかった」


「騎士なんて、どこかしらに傷の一つはあるものよ」

 私は笑ってみせた。

「これも……私にとっては、誇りなの」


 その瞬間、アレグランの瞳がわずかに揺れた。


「――俺が、この先ずっと、大事にする。だから……結婚してほしい」


「この傷に、責任を感じているのね?」

 私は言葉を遮るように、静かに首を振った。

「そんな気遣い、いらないわ」


 ――負い目で、あなたを私に縛りつけるようなことは、したくない。


「違うよ。俺のために命を懸けてくれた女を、ちゃんと守りたいんだ。約束する。一生、大事にする」


「私はもともとアレグランが好きだったけど、あなたは違うでしょう? 愛のない結婚をしても、お互い不幸になるだけよ」


「愛は、結婚してから育てればいい。ゆっくりでいい、俺たちの愛を育てていこう」


 そこまで言われて、私はもう拒めなかった。


 肩の傷は癒えたとはいえ、もう以前のように剣を振るうことはできなかった。

 騎士を辞めた私は、退職金を元手に、小さな食堂を始めた。最初は右も左も分からなかったけれど、毎日働いて、少しずつ常連も増え、店はようやく軌道に乗り始めていた。


 一方、アレグランはそのまま騎士として任務を続けていた。最初のうちは互いに忙しくても、心は通じ合っていると思っていた。けれど――


 いつからか、アレグランは「任務が入った」とだけ告げて、家を空けることが増えていった。詳しい説明はなく、戻ってくるのは月に一度あるかないか。

 理由は仕事だと分かっていても、言葉にできない不安が、胸の内側を静かに凍らせていくようだった。


 ◆◇◆


 ある日、食堂に立ち寄った兵士たちが、私に声をかけてきた。顔なじみの若者たちだ。かつて、私の部下として共に駐屯地で過ごした兵士たちである。


 この国で「騎士」の称号は、本来なら貴族に生まれた者だけに与えられるものだ。

 けれど稀に、平民であっても戦功を重ね、その実力を認められれば叙任されることがある。


 私はその“稀な例外”だった。

 孤児に生まれながら剣一本で叩き上げ、騎士の座を得た異色の存在。


 対してアレグランは、貴族の家に生まれた男――セルデン男爵家の三男だ。

 騎士としての才覚を買われ、私とほぼ同じ時期に叙任され、戦場では何度も背中を預け合った仲だった。


 一方の「兵士」は、多くが平民出身で、軍の現場を支える実働部隊だ。階級としては騎士の下に位置づけられ、戦場や駐屯地での任務に就いている。

 騎士のもとには、数名の兵士が部下としてつき、現場での指揮や判断を任される。言ってみれば、騎士は“小隊長”のような役割を果たしているのだ。


「エルナさん、アレグランさんと……なんかあったんですか?」


「最近は国境の駐屯地に詰めてるって聞きましたけど、もう戦争は終わってるじゃないですか? 常駐するほどの任務なんて、ないと思うんですけどね」


「現地の村に馴染んでるって噂ですよ。よく、子どもと遊んでる姿を見かけるって。……あ、そうだ、エルナさんも、そろそろ子ども作らないとまずいですよ。女性って、年齢が上がると出産が――」


 ……その言葉には、ただ笑って返すしかなかった。彼らは、私とアレグランが仲の良い夫婦だと信じて疑わない。

 人前では、アレグランはいつだって私に優しいから。


 けれど、ふたりきりになると、今では会話すらほとんど交わさなくなっていた。




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 この物語の設定まとめ

 騎士:多くは貴族出身だが、平民でも功績により叙任される。エルナは平民出身の騎士で孤児だった。

 兵士:平民が多く、一般的な軍務員として扱われる。


 この物語の世界観

 騎士の下に平民出身の兵士が部下につく。

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