第34話 幽玄

 夜行症。原因不明の不治の病と言われ、夜行やこう同盟盟主、鈴宮イトがヤコウ魔獣を生み出すきっかけとなった病。

 深夜0時から3時までしか外出出来ず、対策をしていない状態で外気に触れると、肌に炎症を起こし、最悪の場合は呼吸困難に陥って死に至る。

 ただし、この病は太陽の光に当たらないように過ごしていれば痛みを伴うことは無く、感染もしない。また、現在の発症者数も片手に収まる程度だと言われている一方、未だ治療法や完治法は見つかっておらず、罹ってしまったら最後。いずれ訪れる死を待つのみである。

 そして、イトも夜行症を患っていた筈だが、律が初めて会ったのは日中。この時、白いワンピースから覗く肌には炎症は起こっておらず、苦しそうにも見えなかった。


「『この病は完治することが出来ない。ならばせめて、代々受け継がれてきた屋敷で、のんびりと余生を過ごしたい』という伊堂寺様の名の下、私達は雇われました。ところが、ある日の夜。伊堂寺様の自室より悲鳴が聴こえたのです」


 ヒカゲは一呼吸置いて、口にした。


「私が駆けつけた所、伊堂寺様のお姿は、このようにヤコウ魔獣へと変貌していたのです」


 彼の発言を聞いた唯斗と凪は、瞬き1つせずに表情が固まっていた。それもそうだろう。

 邪からヤコウ魔獣になることは魔法使い達にとって当然の事実だが、人間からヤコウ魔獣になる可能性は、これまで世間に公表されていない。ごく一部しか知らされていない情報だ。

 しかし、律はこのことを知っていた。それは、律が魔法少女としての活動を本格化する前。不知火しらぬいあかしから、話しておかなければならないことがあると言われて聞かされていたのだ。


『例の反乱が起こる前。当時、イトと仲が良かった魔女がいたのだ。その者が律の先祖にあたる神倉かみくらあかね。彼女は、あの日、イトを裏切ったという。これはイトが叫びながら訴えていたこと故、我にも詳しいことは分からん。だが、2人の間にトラブルが起こり、イトの反感を買ってしまったのは事実だ』

『神倉茜さんは、どうなったんですか』

『茜は死んだ。それもイトに、ヤコウ魔獣に姿を変えられ、神倉家と分家の唯一の生き残りであった我らの手で下すという最悪の弔いでな』

 

 この時、灯は明言しなかったが、イトが夜行症を完治させたモノこそ、神倉茜だったのだろう。律はこれまで、イトは彼女の魔法により回復したのだと思っていたが、実際のイトの言動を見て、よく分かった。

 彼女は恐らく、神倉茜の魔力を自身に取り込むことにより、完治に至った。

 そして、その考えに辿り着くプロセスの間に閃いたのだろう。当時、魔法界1と呼ばれた実力を誇っていた神倉茜の力とイトが生み出したモノを組み合わせれば、理想の世界に近付く為の道具が作れることに。


『──ヤコウニソマレ』


 かつて、そう唱えた声から魔獣が生まれたのだと誰かが言っていたことから、それらはヤコウ魔獣と呼ばれるようになった。

 あれから調査を続けた結果、夜行症の病原菌が現場から検出されたことは決定的となった。そして、人間がヤコウ魔獣に変わる可能性については、混乱を招くなどの理由で、非公表にすることが決まったのだった。


 ヒカゲは俯きながら、自身の右手人差し指に付けている指輪を見つめる。


「迷いました。私達は戦闘特化型魔法使いの能力を持つ者でもあります。しかし、たとえ主人が醜い姿に変わり果てたとしても、仕えるべき相手であることに変わりありません」

「それで、迷っている兄さんに気付いたのか、声が聴こえたんですよね」

「えぇ。『こんな姿になってしまったからには、お前達の手で終わらせて欲しいが、そんなことは出来ないと言うだろう。ならば、最高の処刑人を見つけてきて欲しい』と」


 苦悶の表情を浮かべるヒカゲは、コカゲに促されるように主人から託された願いを話した。

 すると、これまで黙って話を聞いていた凪が、頭にあった疑問が解けたようで、すっきりとした様子で呟いた。


「成程な。俺達に招待状を送り付けたのは、戦闘特化型魔法使いでトップ4に入る律と、ここ最近の対策治療課の活躍を知ってたから。だとすれば、京都含めて実力関係無く、全国各地から呼んでいたのにも納得がいく。そして、招待状にこのことを書かなかったのは、このあらすじだけで判断した魔法使いが、話の本質に到達する前に治療することを防ぐ為。その為に、こんなゲームみたいな真似をしたんだな」

「ピンポーン。またまた大正解。ちなみに、この案を思いついたのは知南なんですよ」

「別にー。私はこれ以上、長引くのが面倒だと思っただけなので」


 コカゲに暴露された知南は、自身の髪の毛をくるくるしながら、そっぽを向いている。

 そんな彼女の手を初恵がパシリと叩くと、口角を下げて小さく「ごめんなさい」と呟いた。

 話を戻すように軽く咳払いをして、ヒカゲは話を続ける。


「長くなりましたが、皆様へのご依頼と致しましては、ご主人様の治療です。無論、病を治すのが不可能であることは重々承知しております。故に、皆様にはご主人様をどうか、天国まで導いていただきたいのです」


 覚悟を決めた彼等の表情を見て、律は一層悩んでいた。

 確かに夜行症には治療法が無い。だからこそ、ヤコウ魔獣になってしまったことを理由にして、ここで苦しみを終わらせて欲しいのだろう。

 彼等のことだから、きっと最期にはどうなるか分かって言っている。ヤコウ魔獣に変貌してしまった人間は、通常の治療完了時と同じように直ぐに粒子となり、天に昇っていく。つまり、主人は二度と帰ってこないのだ。

 これまでの会話の中で、主人に待ち受ける結末を理解してしまった唯斗と凪も、この場では律と同様に黙り込み、無理矢理話を進めようとはしなかった。


(執事の方々の話からして、少なくとも、初期にはコミュニケーションも取れていたみたいだし、それが決断を揺るがしてしまったのかな……何よりも。姿はヤコウ魔獣でも、心は人間。私もこの事実を知ってからは、怖かった。だから、身近にいる4人が躊躇い、信頼出来る人に想いを託してしまうのも分かる。だけど──)


「分かりました」


 自身の中で1つの結論を出した律が、意を決して口を開くと、唯斗が慌てて止めに入った。


「ちょっ、律。一旦、持ち帰って考えてからの方がいいんじゃ」

「いえ。事態は一刻を争います。私達にも姿が見えるようになってからは徐々に邪が増しています。最早、彼がコントロール出来なくなるのも時間の問題かと」

「で、でも……」


 律が理路整然と状況を言葉にするが、それでも唯斗は納得がいかないようで口ごもる。

 しかし、律は唯斗の意見を押し切り、真面目な顔でヒカゲに話しかけた。


「橘ヒカゲさん。貴方がこの状況下において、代表と見て宜しいでしょうか」

「仰る通りでございます」


 律からの確認に姿勢を正し、ヒカゲは頷く。

 彼の表情を改めて見た律も覚悟を決めた。主人と使用人達の状況を鑑みて、今出来る悔いの無い選択。律は自分の考えを声にする。


「結論から申し上げます。治療についてのご依頼は引き受けます」

「本当ですか。誠に感謝致しま……」

「ただし、条件があります」


 唯斗と凪が固唾を飲んで見守る中、真剣な瞳で見つめる律に、ヒカゲは恐る恐るといった様子で聞き返す。


「条件、ですか」

「はい。貴方達も戦闘特化型魔法使いであれば、知ってますよね。ヤコウ魔獣の治療には、幻想治療魔法の発動が必要不可欠であることを」

「勿論でございます」

「でしたら、貴方達が使ってください。幻想治療魔法を」


 律が出した答え。それは、使用人達に幻想治療魔法を使ってもらうこと。

 だがしかし、それだけという訳ではない。律には言葉にしていない、もう1つの考えがあった。


「しかし、それでは最初の話とは違うかと……」


 戸惑った様子のヒカゲに律は付け足す。


「勿論、貴方達だけでとは言いません。私も共に魔法を使います──特異点、開幕オープン


 突如、律が告げると、床には巨大な魔法陣が出現した。

 使用人達は、この状況に驚いているようだが、唯斗と凪はこの後に起きることを知っている。その為、衝撃に耐えようと身構えた。

 絨毯の上で魔法陣が強い光を放つ。だが、今回は同時に床が抜け落ちることは無かった。また、世界も白黒には染まらない。

 一見、大した変化が見当たらない中、唯一変わっていたこと。それは、使用人の服装だ。

 ヒカゲは頭にゴーグル、腰に銃のような物を携えるスチームパンク風。コカゲは迷彩柄のシャツとネクタイが目立つミリタリー風。知南はピンクを始めとしたパステルカラーのゆめかわ風メイド。初恵は紺色のスカートにプラスして、肩や膝に付いている銀色のアーマーが光っていた。

 彼等は突然の変化に対する戸惑いもあったようだが、立ち姿からは強者感が溢れている。


「ここは私が創った現実と非現実。その狭間にある世界、特異点です。とは言え、今回は主人のことを考慮した、簡易バージョンですけど。それでも、私の魔力を皆さんに足したので、魔法の効果は普段より感じていただけると思います。後、リミッター解除も勝手ながら、行わせていただきました」


 律からの説明の通り、彼等が嵌めていた指輪は、いつの間にか魔法の杖に変わり、腰に装着されていた。

 依然、状況を理解出来ないまま、複雑な顔で下を向きながら、軽く杖に触れたヒカゲは、律の方を見た。


「こんなことまで出来てしまうなんて。貴方は、一体何者ですか」


 彼からの問いに、律はわざと口角を上げて、微笑んで応えた。


「至って、普通の魔法少女ですよ」

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