第21話
(キティも、覚醒の書を全部埋めたいなら戦って魔力を積極的に伸ばせ――とは言ってたが)
少し迷ったが、首を横に振る。
「さっさと戻ろう」
「分かった」
面倒だという、怠惰な気持ちが勝ったのだ。ラクスが戦いを避けようとすると、バルヴァラも強く推してくることはなく倣う。
城の構造は熟知しているので迷うことはない。相手が着く前に去ってしまおうと、やや急ぎ足で通路を抜け、庭に出て。
「!」
すでに目視できるところにいた相手に、顔をしかめた。
飛竜に乗って上空から見ている相手がラクスたちを確認できないはずはないだろうが、仕掛けてくる気配はない。
降りてもこないが、立ち去るつもりもなさそうだ。
(様子見してんのか?)
魔王試験の参加者が襲いにきたのであれば、城から出てきたラクスたちを即行攻撃してきそうなものだが。
(つーか、何で結界が発動しないんだ?)
ラクスやエリシア、ユーグ以外に対しては迎撃用に設置してある氷の結界が発動するはずなのだが、城は沈黙したまま。
(結界の発動を妨害できる実力者、ってことか?)
もちろん結界を敷いたのもラクスなので、思い至った考えは面白くないものだった。だが同時に、事を構えるのは面倒、という気持ちも膨らむ。
(向こうにその気がないなら、俺たちもさっさと退散するか)
戦う気のないラクスからすれば、相手が仕掛けてこないのは幸いだ。手を伸ばし、自分の愛竜、ルゼクを呼ぼうとして。
「!?」
頭上で急に光が瞬いたように感じて、目を眇める。それは頭上の飛竜から飛び降りてきた人物の金髪が、太陽の光を弾いて輝いたせいだった。
狙いすましたかどうかはともかく、落ちてきた人物はまともにラクスとぶつかった。
「痛ってッ!」
とっさで受け止めることもできずに、押し倒されるような恰好で地面に転がる。
魔族の中では肉体の脆い方に入る淫魔だ。当たり所が悪ければ危なかったが、とりあえず、今回は痛い思いをしただけで済んだ。
「何だ?」
「そりゃ俺の台詞だろッ」
紙一重の差で難を逃れたバルヴァラに怒鳴ってから、自分の上に落ちてきたものを確認する。
「ラクス……」
「エ、エリシア!?」
震えながら顔を上げてきたのは、つい数時間前に別れたばかりのエリシアだった。その顔は痛々しく腫れ上がり、小さく深い切り傷が数多く付けられている。すでに内出血が起こって、青黒く色を変えた個所もある。
衣服は何も身に着けておらず、白く美しかった肌はほとんどが赤いか青黒いかのどちらかだった。
「お前、何で、いや。――
問うより前に、放っておくと危なさそうな傷を癒すのが先だ。魔法を発動させるかたわら、空いた片手で手早く自分の上着を脱ぎ、エリシアに掛ける。
袖を通さない様子を訝しんで視線を下ろせば、細い手首を戒めた金属の手枷が見えた。
「ラクスぅ……っ」
くしゃりと顔を歪め、エリシアは倒れ込むようにして頭をラクスの胸に押しつけた。膝に落ちる大粒の水滴と震える肩に、彼女が本気で泣いているのだと分かった。
「お前、あれだけ大見得きっといて俺に縋るなよ」
「……ごめん、なさい」
「で?」
半分ほどの治癒を終えたところで、魔法は続けつつ頭上を仰ぐ。と、丁度飛竜が降りて来るところだった。
その背に乗っていたのは、アルテナとユーグだ。
「そういう組み合わせだったわけな」
「そうだったんです。すみません」
「お前の謝罪って意味ねーからどうでもいいけど、謝らなくていいぞ。むしろ俺的にはスッキリしたし」
エリシアには本当に、自分だけしかいなかったのだと分かって。
「なあ? エリシア」
顎に手を掛け顔を上げさせ、泣いて潤んだ瞳を捕え、酷薄に笑ってそう言うと。
「うぅ……っ」
騙されて踊らされていたことへの恥ずかしさと悔しさ。さらにそれをラクスに知られてしまったという羞恥心。
情けなくて恥ずかしいのに、嘲笑を含んだラクスの眼に射抜かれ、エリシアは羞恥以外の感情で体を熱くした。
「ラクス。その下民、わたくしに渡してもらえないかしら?」
「お前の目的は、この城か」
「ええ。今の貴方には不要でしょう? この城も、その女も」
見下したアルテナの言い様にエリシアはびくりと体を震わせ、ラクスの服を掴んだ手に力を込めた。
「ふむ。どうする? ラクス」
「さて、どうするかな」
気のないバルヴァラの問いかけに、ラクスは似たような調子で応じる。
「ラ、ラク……っ」
「どうして欲しい? エリシア?」
他にエリシアが縋れるものがないと分かっていて、意地悪く訊ねた。
趣味の悪い愉悦に心の底から浸るラクスに、後ろでバルヴァラが呆れた息をつく。
「た、助けて」
「お前、俺に助けてもらえる立場だと思ってんのか?」
「ご、ごめんなさい」
完全に怯えたエリシアの表情を堪能してから、ふ、とラクスは微笑した。
「――?」
急に緩んだ気配に、エリシアは戸惑った顔をする。
「ま、お前が俺にしたことと、俺がお前にしたことは、どっちもどっちだしな」
「お前の方が悪質だろう」
「うるせっ!」
冷静に入ったバルヴァラの突っ込みは背中で流す。
「感謝はしてる。お前のおかげで、俺は諦めなくて済んだ」
「……?」
ラクスが何のことを言っているのか、エリシアには分からなかったのだろう。呆けた様子で目を瞬く。
「淫魔としちゃどうかと思うし、そのせいで変なドラゴンが引っかかったりしたし、テメーの本能見る度腹立つが、俺は自分がどうしたいのか、意志で本能と向かい合うことができる」
幼い頃、自分の種族特性に嫌悪感を抱いたのは本当だ。そういう種族なのだと諦めて受け入れるのではなく、納得して付き合っていく理想を持てたのは、エリシアのおかげた。
彼女へ抱いたものは違ったけれど、それは自分自身だけの問題。
望む形を教えてくれたのは、間違いなくエリシアなのだ。
「エリシア、俺に降れ」
「っ……」
「俺はやっぱり、お前が欲しい」
恋や愛とは呼べない、気に入ったものに対する、ただの所有欲だ。
それが嫌で、怖くて、エリシアは逃げた。
エリシアもまた己の虚栄から目を逸らして逃げていたから、認めたくなくて。
「いい、の……?」
しかし今、エリシアはラクス同様に心の真実を突き付けられ、認めた後だった。
だからラクスからかけられた言葉にエリシアが胸に抱いたのは、歓喜に近い期待。
「わたしは、無価値よ」
「知らないのか。世の中に、本当に価値のあるものなんざ存在しないんだ。価値なんてものは、所詮主観だ。誰かが価値があると思うから、思った存在にとってだけ価値が発生するってだけさ」
「わたしには、誰も」
「俺が欲しがってることが価値じゃ、不満か?」
誰にとって無価値でも、どうでもいい。
それでも自分にとってはお前に価値があるのだと、ラクスは断言した。
「――っ……」
言葉は出せずに、エリシアはふるふるっ、と大きく首を横に振る。
「わたしは……っ、ずっと、あんたにとって価値があるものになりたかったの。価値があれば、認めてもらえるから。一緒に、いられるから。本当は、ただ一つだって言ってもらえるぐらいになりたかった。できな、かったけど、でも、いいわ……」
「諦めないでやってみろよ」
泣き笑いの表情だったエリシアが、はっと目を見開いて、ラクスを見つめた。
「俺も、そうされたい」
ただ一人だと、心から溺れるほどに堕として見せろと、そう囁く。
種の防衛本能を越えて、本気の愛に生きられればいいと――ラクス自身も願っている。
それだけの相手と共にいられたら、きっと。
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