君のかえる場所
田舎
いらっしゃいませ
「またのお越しをお待ちしております」
外の音がくぐもったのを合図に、折っていた腰を戻す。
完成した苺あんみつをお盆に乗せてテーブル席へ行くと、
「
「え?」
お盆と交換するように差し出されたスマホ画面には、篤人の主演舞台『君のかえる場所』の公式SNSが表示されていた。
「本当だ」
「さすが篤人くんね」
花木さんは、この甘味処の常連でもあり、篤人のファンだ。私よりもふた周り以上歳上だけれど、子供が自立して生まれた自由な時間を使って、遠征と称してあちこち出かけていく活発さは尊敬ものだ。
今回も追加公演のチケット抽選に応募するらしい。
不意に、カランコロン、というベルの揺れる音が入口の方で響く。
「いらっしゃいませ」
反射的に振り返ると。
「篤人……!」
噂の舞台俳優、篤人が立っていた。
郊外もいいところの田舎町にある小さな店へ、なぜ篤人が来るのか。
「あらまあ、篤人くん! 帰ってたのね! 今ちょうどあなたの話をしていたのよ」
「香苗、俺にも苺あんみつちょうだい」
「残念でした、花木さんに出したのが最後です」
「花木のおばさんなら仕方ないか。次こそは絶対食うから、俺の分確保しておいてくれよ」
「事前に連絡くれたらね」
「冷たいなー、ここは俺の第二の家みたいなものなのに」
案内するまでもなく花木さんの向かいに腰掛けた篤人が、なにやら背中のリュックを漁り始める。
「これ、今回のお土産」
テーブルの上に置かれたのは、『君のかえる場所』のフライヤーと、ガラス製の小さな装飾がついたペンダント。
この店の一角には、篤人の歴代の出演舞台フライヤーや小道具の一部が飾ってある。全部、過去に篤人が店に来た時に置いていったものたちだ。
篤人が出身地の詳細を世間に明かしていないことと、田舎すぎる立地が相まって、聖地巡礼の対象にはなっていないけれど、町の住民たちは定期的に増える篤人の活動の功績を楽しみにしている。
でも。
「追加公演あるんだよね? これ、まだ使うんじゃ……」
「それは大丈夫」
自信満々にグーサインをする篤人に、高校生だった頃の、赤点をとる一週間前の姿を思い出して若干不安になるけれど、本人が言うのだから信じるしかない。
そんな私の心配をよそに、篤人は「それより」と頬杖をついてこちらを見た。
「香苗は今回も来てくれないの?」
「行きたいけど、お店があるから……」
病気で長らく入院している店主の祖母と、祖母の世話をする母に代わって、今は私がこの店を支えている。
「そうだよな。香苗はそう言うと思ったよ。花木のおばさんもチケット、いる?」
「あたしは自力で当てるから、大丈夫」
「花木さんもそう言うと思ったよ。さすが昔からの俺のファン」
「デビュー前からのね。そうだ香苗ちゃん、篤人くんにわらび餅を出してあげて。お代はあたしが払うから」
そう言ってうふふと笑う花木さんと篤人の代金をめぐる攻防戦をBGMに、私はキッチンへ戻ったのだった。
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