第3話

 剛蔵がこの世界に来て1年ほどになる。

 帝都に戻り、妻子の遺骨を松永家の墓に収めてから(もちろん本物の遺骨かどうかはわからないのだが)ほどなくして、アメリカ海軍の艦載機による地上掃射を受けた。帝都で敵艦載機の地上掃射を受けるなど、もう負け戦の証拠なのだが、それでも剛蔵は人々を守る戦いをやめず、艦載機が来たことに気付くと町を歩く人々を避難誘導した。最後の記憶は艦載機が考えていたよりも遙か遠くから射ってきたことだ。パイロットにとっては遊びだったのだろう。直後、強い衝撃を受けて気を失い、気が付くとしめ縄がかかった2本の柱の間にうつ伏せに倒れていた。

 しめ縄はいわゆる結界である。村と外を分ける結界であると同時に、あの世とこの世も分けるのかと思いつつ、仰向けになると、見たことのない衣装を身にまとった人々が集まり、剛蔵を取り囲んでいた。そしてアザレーアとメイリンが呼ばれ、彼女たちは言った。

「旦那様!」

「おとーしゃま!」

 半身を起こした剛蔵は2人に抱きしめられ、何が起きたのか分からないまま涙を流した。アザレーアとメイリンには死んだ妻子と重なるものがあった。だから、ここはあの世なのだと考えた。あの世でこうして暮らしていてくれたのだ。自分が死んだからあの世にこれたのだ、と。

 村の住民達は剛蔵を郷士様と呼び、肩を貸してくれ、家に連れてこられた。

 あの世にしてはずいぶん現実味があるな、と思いつつ、敷物の上の低い編座に腰をかけ、自分の姿を確認する。海軍士官軍衣のままだし、腰のホルスターにはお気に入りの拳銃、FN ブローニングM1910がある。また、官給品のサーベルではなく、祖父が使っていた無名の業物も腰にある。機銃掃射を受けたときの格好のままだ。しかし手のひらを見ると自分の身体ではないことがわかる。肌の色が違っており、浅黒く、南方の人種のようだった。

 そして目の前で心配そうに自分を見ている2人の名前もわかる。不思議なことだが、自分が「ゴゾ」という名の別の人間に取り憑いたのだとすぐにわかった。2人はゴゾの妻子なのだ。そうでなければアザレーアとメイリンは自分を旦那様・お父様とは呼ばないだろう。

 太平洋戦争が始まる前に読んだ、アメリカのパルプ雑誌を紹介した新聞記事が思い出された。軍人が幽体離脱して火星で大活躍するという荒唐無稽な冒険小説を紹介する記事だ。馬鹿馬鹿しいと思いつつも1度読んでみたいと思って苦労して取り寄せてみたものの、読む時間がなかった。その後、敵性語の書物なので燃やしてしまったが、読んだら少しは今の状況に対応できたかもしれないとちょっと悔やんだ。確か火星の重力は地球の3分の1だから主人公は大活躍するという設定だった。では自分が今、手にしているブローニング拳銃がその特典に該当するのかもしれない。弾数は弾倉の中に7発。しかしこの世界の文明レベルがわからないので、ここが銃火器が普及している世界であれば、こいつは特典にはならないな、などと考えはした。

 落ち着くとゴゾとしての知識や認識、これまでの記憶が少しばかり残っていることを感じ、剛蔵は落ち着いて、瞑想めいたものをしながら記憶を辿った。するとゴゾがこれまで何をしてきたのかおぼろげながら分かるようになった。この村の郷士であるゴゾは、国王から領地を与えられている代わりに、有事には軍人としてはせ参じなければならなかった。このときは他国から逃げてきた流賊の討伐を命じられて正規軍の部隊に加わり、北に向かった。流賊とは根城を持たない流浪の強盗団のことをいう。その多くが傭兵上がりで、流賊の討伐は危険が伴う任務だった。そのときの流賊の討伐は無事に終わったものの、戦いの最中にゴゾは重い傷を負ってしまった。部隊は解散し、傷を負いながらも村に戻ろうとゴゾは力を振り絞ったが、精魂尽きて倒れ、道ばたで野垂れ死に寸前までいった。だが、彼が肌身離さず身につけていた魔法の護符が彼の命を救い、あとは村の結界の前に倒れていたと、いうことらしい。 

 その魔法の護符の加護があったことと剛蔵の魂がゴゾの身体に宿ったことには何らかの因果関係があることは想像されたが、それ以上は何も分からないままだ。今では剛蔵は、ゴゾの魂が極めて疲弊しており、心の奥深くで眠りについていることを感じることができる。それはきっと魔法の護符を使った代償なのだろう。ゴゾは魂の力を消費して傷を癒やし、己が魂を回復させる間に、彼女たちを守るために異世界の自分を呼んだのだ。

 それでもいい、ありがたいと剛蔵は思う。日本で守ることができなかった妻と子と、この世界で再会したように思われるからだ。ゴゾはこの世界での自分に相当する人間で、アザレーアは妻に、メイリンは娘に相当する人間――だから、ゴゾの身体に剛蔵の魂を宿していられる。そう剛蔵は思うし、感じる。

 たとえ一時的にであっても、ゴゾの代わりであっても、彼女たちを守れる幸せを剛蔵は噛みしめる。

 魔法の護符は今も彼の首にかかっている。1年経った今では、魔法なるものはこの世界でも眉唾物で、日本にいたときと同様、かつてはあったのかもしれないが、今では存在しないというのが常識だと分かった。なので、魔法について調べることもできず、不安を覚えるもののあるがままになるしかないと思うようにしていた。そもそもそんなことを悩むより、今、貧しい村の暮らしについて悩むべきだ。いつゴゾの魂が目覚めてもいいように、日本で暮らしていた時の知識を活かして、村をよくしておきたい。だが、それがうまくいかない。歯がゆかった。

 東京での暮らしと同じくらい文明的な暮らしができるはずもないが、メイリンが病気になったときなどは特に考えた。この小さな村に医者がいるはずもなく、街にいたとしても、剛蔵の目から見たら、どう考えてもうさんくさい治療方法に違いなかった。無事、熱が下がってメイリンが元気になってくれた後も、うーん、と悩み続けた。せめてせっけんがあって手洗いを習慣化できれば……しかし石けんを作るためには油が必要で……ではこの世界ではどんな植物から油が獲れるのだろう……。

 結局、自分にできたのは竹の筏を大型化し、大きな街までの農作物の出荷用としたことくらいだった。南方での任務中、剛蔵は地元民が竹の筏を運搬に使っているのをよく見かけた。それを真似したのだ。海軍の出身である剛蔵は、水の上で船を操ることについては一通りできる。できることから始めなければ暮らしは良くならない。しかしもっとなんとかならないだろうか……。

 剛蔵は常に悩むのだった。

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