第74話 その音はもう聞こえない

「キキョウ……キキョウ……!」


 私がキキョウの名を叫ぶ声が、静かな森の中に響いていた。

 地面に横たわるキキョウは胸部から腹部に大きな切り傷が刻まれ、地面を赤黒く染めていた。


「クソッ……クソッ……!」


 ジニアが魔物を即座に始末し苦悶の表情を浮かびあがらせ続けていた。


 止血をしようとも傷口を抑える度に布や私の手は赤く染っていく。

 私は、それに抗う術がなく、ただキキョウに語りかけることしか出来なかった。


「キキョウ…………!」

「…………ケホッ……アリウム……無事?」

「キキョウ……なんで、どうして……」

「聞こえちゃって……思わず…………ね」


 エルフの耳は人間よりもはるかに優れている。だからこそ私が気づけなかった魔物の接近に気づけたのだろう。

 いや違うそうじゃない。何故私は気づけなかったんだ。浮かれていたからだ。両親を失った時も、私自身死にかけた時もあって尚、魔物の脅威を、怖さを忘れてしまっていたからだ。


「ごめんね……勝手に…………こんなことしちゃって」


 キキョウは涙を流しそう告げた。


「違う…………なんで、なんで謝るんだ……私が……!」

「アリウムが……危険だって気づいたら……身体が……勝手に動いて…………」

「キキョウ……ッ!」

「馬鹿だよね……ごめんなさい……」

「謝るな……謝らないでくれ……!」


 キキョウの言葉を思わず遮る。悪いのは私だ。有頂天になり、過去から何も学ばなかった私が…………キキョウをこんな目に遭わせてしまった。


 顎の震えが止まらない。少しずつ言葉が小さくなっていくキキョウという冷たく暗い現実を前にただ震えることしか出来ない。


「…………ッ! とりあえず道の方に出るぞ! 馬車が来ているかもしれねぇ……近くの街で傷を見てもらうぞ……アリウムはキキョウを傷が広がらぬように抱えろ!」

「…………あ、あぁ……」


 ジニアは目を赤く腫らしながらもそう叫んだ。

 私はキキョウを慎重に抱き抱えてジニアの後ろを歩き始める。


 キキョウを抱えた私の赤く染まっていく手は腕にまでその色を広げていた。。




「クソッ…………」


 道に出ても馬車の姿は見当たることがなく、一縷の希望も見当たらぬままに絶望は継続していた。


「…………俺は走って馬車を探す。アリウムはキキョウを……!」


 ジニアは歯を強く食いしばり駆けていく。

 私はキキョウの手を握り祈るばかりだった。



「ごめんね……迷惑かけて」

「迷惑なんかじゃない……! 大丈夫……きっと大丈夫だから……!」


 私は言い聞かせるようにその言葉を唱え続けた。キキョウに、そして自分自身に言い聞かせるように。


「ごめんなさい……せっかく……お父さんになるって……いうのに」

「何を言っているんだ……キキョウだってお母さんになるんだろう……!」

「そうね……そのつもりだったんだけどね……」


 キキョウは涙を流しながら悔いるようにそう呟いていた。


「私のせいだ……私は……いつも君に助けられてばかりで……!」

「自分を責めないで……。私は……あなたに出会えて良かったんだから……幸せだった」

「そんなこと……! ……私だってそうだよ……それに、これからだって……ずっと…………!」


 思わず私は顔を伏せてしまう。

 今際の際のようなことを言い続けるキキョウを直視することができなかった。


「…………」


 そんな私にキキョウは手をかざし……頬を撫でた。

 撫でる手は、あまりにも力がなく儚い存在で……それでも、私はその手を慈しむように両の手で支えていた。


「初めて会った時にね……あなたのことを見て……カッコイイって思ったの……」

「キキョウ…………ッ」

「だから……頑張って……声をかけて……」

「そうだ…………私はキキョウが手を引いてくれたから……! 皆と……君と出会えて……一緒に居ることができたんだ……」


 それを聞いてキキョウは、優しく微笑んでいた。


「ずっと……ずっと一緒で……ずっと好きだった……それでも、アリウムが私を好きじゃなかったらどうしようって……そう思って過ごしてた……」

「そんなことはない、私は……私も……!」

「……そうね。アリウムは……私に思いを告げてくれた……私を、お嫁さんにしてくれた……!」


 力無く喋るキキョウが咳き込む度に、鮮血が飛び散っていく。

 散り行く時が近い事を意味するかのようなその姿を私は受け入れることが出来なかった。


「キキョウ……もう喋らないで……!」

「いいの……。ちゃんと伝えたいから……」

「無事になったらしっかりと聞くよ……だから、今は……!」

「……凄く嬉しかったの。アリウムが、私を選んでくれた時、心臓の音がずっとずっと煩くて……本当に……嬉しくて……」


 キキョウは話を続けていく。

 それは自らの未来を理解し、覚悟をしたからだろうか。

 私に、ただ言葉を、思いを紡いでいく。


「今でも思い出せる……綺麗なお花畑……幻想的で、夢のようで……でも、胸の高鳴りがこの幸せは現実なんだって教えてくれた」

「……!」

「ねぇ……アリウム」

「キキョウ……」

「私の手を握ってくれて……ありがとう。

 私に背中を預けてくれてありがとう。

 私をあなたの妻にしてくれてありがとう。

 私と………………一緒に居てくれて………ありがとう」


 キキョウは緩やかにその目を閉じていく。


「キキョウ? キキョウ……! キキョウ!」


 その声に返事は無い。

 私が支える手は力無く地に落ちていく。

 微かな息も、心臓の音も、何も聞こえない。

 命が消えていく感覚だけがその場に残り続けていた。



「っ……あ……うぁ……ああああああ………………うわあああああああ!!!」



 涙が、頭痛が、吐き気が、嗚咽が止まらない。

 目の前の現実を受け入れようとする度に私の心は砕けていく痛みに襲われいく。


 大切にすると、守りたいと、ずっと傍にいて欲しいと願い、幸せにすると誓った愛すべき人はもう居ない。


 ここに居るのはただ、過去から学ばず、大切な誓いも守れず、愛すべき人を失った殺してしまった男だけだった。

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