第43話:光を探して

 突然、研修室に現れた黒鷺教授は、つかつかと前方へ歩み出て、葛城氏に話しかけた。


「葛城くん。私の生徒たちに、妙な圧力をかけてはいないだろうね?」


 ——黒鷺教授。城南大学の想定外環境研究科を「立ち上げた」——いや、「立ち上げさせた」と言うべきか。そういう立場の人らしい。


「——あぁ、諸君は何も心配する必要はない。今日ここで君たちが経験してきたことの意味を、少し説明させてほしい」


 と、場の主導権を葛城氏から半ば強引に奪い取るように話し始める。葛城氏は静かにうなずき、黒鷺教授に場所を譲った。


「さて、まずは出発点から話そう。君たちも見ただろう。異世界の環境では、ヒトを含め、多くの動物が長時間活動できない」

「その原因は、あちらの環境に存在する未知の物質——我々が“魔素”と呼んでいるものだ」


 黒鷺教授が、端末を操作すると、スクリーンに動画と何枚かのグラフが表示された。


「初期段階では、マウスを使った実験を行った。ゲートの向こう——もう“異世界”と呼んでも差し支えないのだろう?」


 植草先生があわててうなずく。


「——異世界に転送された個体の多くに、帰還後しばらくして体調不良が見られた。運動能力の低下、代謝異常……だが、生存率は高かったため、必要なデータは得られた」


 スクリーンには、異世界から帰ってきたマウスの動画。滞在時間と、その後の血液データを関連付けた散布図が映し出される。色分けされたプロットが、一定の傾向を示していた。


「——マウスとラットによる実験で、はっきりしてきたことがある。ひとつは、“魔素”に対する耐性が個体によって異なるということ。もうひとつは、その耐性と年齢の組み合わせによって、影響の有無がほぼ決まる、ということだ——」

「——具体的には、耐性を持っていて、なおかつ若齢の個体はほとんど影響を受けなかった。逆に、耐性のない個体や、成体の個体には、必ずといって良いほど影響が出た」


 教授はそこまで話すと、スクリーンの表示を切り替えた。


「いわゆる“ツノウサギ”——海外の研究者は、組織構造や核DNAにしか関心を持たなかったようだが——私は、ミトコンドリアにこそ、この謎を解く鍵が隠されていると確信した」


「——大体、考えてみなさい。異世界のだよ、全く違う進化系を辿った生物に、ミトコンドリア共生が見られるということに疑問を感じなかったというのがおかしいんじゃないのかね?」


 いや、私たちに言われれも困る。植草先生が引き取る。


「……教授。全くその通りですが、生徒たちはついてこれないと思います」


「……ん? うん。そうだな——そして、我々はついに、その耐性の差が、ミトコンドリアDNAの表現型に対応していることを突き止めた。ヒトやマウスに限らず、他種においても、ある一定の型を持つ個体は、魔素の影響をほとんど受けない——」

「——逆に、それを持たない個体は、わずかな魔素でも深刻な反応を示すことがある」


 スクリーンに示されたのは、7種類に分類された耐性表現型の図だった。表現型にはEa、Fi、Wa……と、コードが振られている。


「この成果と、異世界からの協力に基づき、我々は適性検査用のリガンド——試薬を開発した。血液中に含まれるミトコンドリアの表現型を直接判定できる試薬だ」


 黒鷺教授は、試薬の小瓶と蛍光顕微鏡の映像を提示する。ディスプレイには、光を放つミトコンドリアの顕微鏡写真が映し出される。


「微量の血液サンプルを、この7種類の試薬と反応させ、蛍光顕微鏡で観察する。すると、表現型に応じたリガンドが、ミトコンドリア膜の特定の構造と結合し、蛍光反応を示す。反応の強度は、適応性の高さと強く相関していた」

「ツノウサギから得られた血液サンプル。協力してもらった異世界人から採取した血液サンプル。必ず、いずれかの適性を持っていた」


 説明を聞きながら、生徒たちの間に小さなどよめきが走る。


「これによって、行っても大丈夫な生物を選抜できるようになった」


 一部の生徒たちが、そっと自分の胸を見下ろす。

 この先に、“何か”が待っているような胸騒ぎがする。


「さて——この技術は、実は既に実用化の段階に入っている」


 黒鷺教授が画面を切り替える。そこに映し出されたのは、立派に育った黒毛和牛の写真だった。


「あの牛も、同様の手法で選別された個体だ。こちらで生まれ、適性検査を経て送り出され、あちらの環境で問題なく成長した」


 アリスの脳裏に、さっき見た牛の姿が浮かぶ。堂々と歩き、落ち着いた目をしていたあの牛——。


 説明を聞きながら、思った。

 じゃあ、あの牛は……無事に通ったんだ。通れたんだ。


 “何か”が、心の中で結びついていく。

 答えはまだ、教授の口からは語られない。


 黒鷺教授が画面を切り替えると、そこには、さまざまな色に光る細胞の顕微鏡写真が並んでいた。


「これは——君たちの血液から得られたミトコンドリアの蛍光反応画像だ。中には、励起光なしでも発光する高適性個体もある」


 一瞬、空気が止まる。

 ざわめく教室。誰かが息を呑む音がした。


「君たちは、異世界での活動に対する高い適応性を持っているはずだ。だからこそここにいる」

「ある意味で、選ばれた存在だ。だが、まだそれは特別という意味ではない。この道を先に進む素質がある、ただそれだけだ」


 教授の口調は静かだったが、その言葉は教室全体にずしりと響いた。


 私は、すぐには言葉を見つけられなかった。

 ただ、胸の奥で——あの微かな違和感の正体を伴った“何か”が、静かに名乗りを上げていた。


────


「マジで……?」

「俺たちが、ってこと……?」

「え、それって、もう行けるってことじゃないの?」


 ざわざわと揺れる教室。夢見がちな声がいくつも重なる中で、笑顔の者、不安げに眉を寄せる者、戸惑って黙り込む者——反応はそれぞれだった。

 チアリは、少し遠くを見つめながら呟いた。


「もし、全部が誰かに決められてたとしても——決めた“ってことにした”のは、結局、自分なんだろうな……」


 誰もすぐには答えなかったが、教室の空気には、どこかざらりとした緊張が漂っていた。

 自分の手を見つめた。血液サンプル。蛍光反応。ミトコンドリアDNA……


 私は、なぜ——ここにいるんだろう?


 ずっと引っかかっていた疑問が、すっきり消えていくのがわかった。


 私がここにいるのは、偶然なんかじゃない。

 選ばれた理由が、ちゃんとあった。


 でも——それだけじゃない気がしていた。

 この先に、私にしかできない何かがある。


 もう、迷いはなかった。

 ただ、静かな決意だけがあった。


【第43話:了】


————

【次回予告】第44話:空が晴れるとき

 長く覆っていた雲が、ようやく晴れようとしていた。

 その瞬間、胸の奥でくすぶっていた想いが光に溶けていく――。


 次回もお楽しみに。

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