フラクタルな雲の下、理系少女は魔法と出会う。
津和野 圭
第1部:理系少女、異世界と出会う
第1話:異世界常識テスト、って何?
「……え?」
試験問題の紙をもう一度見直す。
【設問5】
次のモンスターのうち、“序盤に出現する雑魚敵”として最も適切なものをすべて選びなさい。
A. ゴブリン
B. スライム
C. コカトリス
D. ベヒーモス
……スライムって、理科の実験で作ったあれじゃないよね? “ゴブリン”って何。あと“コカトリス”? “雑魚敵”ってなに? 雑種の魚? エラ呼吸? そもそも学校で習った? 副教材にさえ載っていなかったはず。いやそもそも“モンスター”なんだから載ってなくて当然じゃないとか思考が空回りする。
こっそり周囲を見渡す。みんな、迷う様子もなくマークしてる。むしろ「これサービス問題じゃん」みたいな空気すら漂ってる。
「さすがにDは中ボスだろ」「いやいや、Cは油断すると全滅するやつだって」
そんな小声が聞こえてきて、余計に混乱する。
成績には関係しない、知識確認のための試験。主要教科のテストが終わった開放感も手伝って、みんな気楽にやっている。教師も黙認してるあたり、どうやらこういうのが“日常”らしい。
……私だけが、何かを根本的に理解していないらしい。
私の名前は、
国立城南大学の附属高校。全寮制。理系に強いと噂されていた。情報は少なかったけど、進学のための現実的な選択肢だと、私はそう判断していた。
……なのに今、“雑魚敵”について問われている。
【設問7】
異世界に召喚された直後、あなたが最も注意すべきものを選びなさい。
A. ステータスウィンドウ
B. 神の加護の有無
C. 初期装備
D. 村人の態度
……“召喚”されたって、なに?
“ステータスウィンドウ”って、どういう仕組みで表示されるの? AR? 脳内? 外部デバイス? 表示形式と定義が曖昧すぎて、選びようがない。ていうか、異世界? 何?
私はペンを持ったまま、固まった。
「……アリスちゃん、大丈夫?」
隣の席から、そっと優しい声が届いた。声をかけてくれたのは、
「やっぱり、ゴブリンも知らない?」
こくん、と私はうなずく。
「……そっか。ちゃんと話しておけばよかったね、ごめん」
まるで、朝食の準備を忘れたみたいな調子で、彼女は軽く笑った。
私は改めて思った。
……私、本当に、何も知らないままここに来てしまったんだ。
どうしてこんな学校に入学してしまったのか。ほんの数週間前の話が、頭の中に蘇ってくる。
────
検査会場となった講堂には、血液検査ラボが設けられていた。生化学分析装置に蛍光顕微鏡が二台並んでいる。折りたたみ式の作業台の上には、検査用の器具とスタッフ用のゴーグル。
病院の血液検査室をそのまま持ってきたように見えた。
けれど、周りの生徒たちの反応は違った。
作業台の隅に置かれた、細長いガラスの容器を見た瞬間、「うわ、ポーションだ!」「飲むやつじゃん、これ絶対回復するやつでしょ!」と、目を輝かせて騒ぎはじめる。
……なんのこと?
どう見ても、精度の高い目盛りが入ったメスフラスコだ。中に入っているのは緑色の液体。それをなぜ自然に“飲むもの”として受け入れているのか、私には理解できなかった。
この検査。校長自ら立ち会い、大学の方からも研究者が何人も。そしてフードをかぶって、始終、例の緑の液体を飲み続けている人物がいる。ずいぶんと体調が悪そうだけど、そこまでして立ち会わないといけない検査なのかなと思う。だとすると、合否に影響があるのかも知れない。とはいえ、今さら何か頑張ることがあるわけではない。
検査の手順は、事前に説明されていた通り、反復横跳びで限界まで身体を追い込み、緑色の液体を摂取。ブドウ糖の甘さを爽やかにしてあるのだろう。ハーブの香りがする。
真空採血管用ホルダーを使って、一般生検用と血糖値測定用。さらにもう1本採血をする。病気がちな母の見舞いで見慣れた光景だ。私は血管が出にくかったらしく、翼状針で採血してくれた。採血管を振りながら、針跡にテープを貼ってくれる。しばらく押さえておくようにと言われる。
一般生検と血糖値測定用の採血管が生化学分析装置にかけられる。残りの一本は、予め試薬を展開されたマイクロプレートにマイクロピペットで取り分けられる。これを蛍光顕微鏡で観察して、「Eaプラス」「Fiマイナス」「Waマイナス」等と読み上げ、ダブルチェックして記録を取る。こちらは手作業だから時間が掛かる。
そもそも、記号の意味もプラスだったら良いのかマイナスだったら良いのかも分からないから、興味がない人が大半のようだけど、私は自分の血液を使った実験を見ておきたいという気持ちで——蛍光顕微鏡使うっていうことは、さっきの液体って、蛍光を出すものが入ってたのかな。ビタミンBとかすごく光るし——と、どうでも良いことを考えながら、自分のサンプルが検査されるのを待っていた。
マイクロプレートの試薬に血液が混ぜられた瞬間。蛍光顕微鏡で励起するまでもなく、五色の帯が眩い光とそれと競り合うような漆黒に取り巻かれて立ち上り、周囲を包んだ。
「なに? これ……」
体育館が、一瞬静まり返る。確かに一瞬の出来事だった。何かの錯覚……蛍光顕微鏡の励起光か何かで、目が疲れて変なものが見えたんだ……と納得しようとした。
しかし、検査スタッフも、大学の研究者も、その場に凝固していた。フードをかぶった人物は、小さく息を飲み、そして何かを呟きながら、私を凝視していた。
最初に言葉を口にできたのは校長だった。
「……夕霧アリスさん。このまま、校長室にきてもらえないだろうか」
その日、私は面接も、ディスカッションも、ガイダンスすら受けることなく、合格を言い渡されたというか、むしろ入学を約束させられた。
あとから説明された。授業料を含む一切の学費が無料。全寮制で個室が提供され、食事も無料。最新の学習環境が提供され、母体の城南大学への進学もほぼ約束されているということだった。さらに、学内での高収入なバイトも、希望者には斡旋を計画しているという——あまりに好条件で、逆に不安すら感じたけど——今なら、その不安も的中だったといえるかも。
────
「でもさ」
背後から、もうひとつ声がかかった。
「それ、逆にすごいってことだよね?」
「アリスって、ちょっと不思議なところあるけど、今、みんなと同じ場所に立ってる気がする」
「……うん。そうなんだけど、ちょっと追いつけてないみたい……」
私は困ったように笑った。
でも、少しだけ、安心した。
こんな状況でも、私を知ってくれている人がいる。それだけで、たぶん、なんとかなる――かもしれない。
でも……やっぱり、ここは“普通”の学校じゃない……。
そう思ったまま、私はまた問題冊子に目を落とした。
【第1話・了】
————
【次回予告】第2話:教室という名の異世界
試験の結果をもとに、アリスは異世界とつながる学園へ案内されます。
そこで待つ新たな環境と、思いがけない出会いとは――。
次回もお楽しみに。
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