杏と真秀。放課後の約束をする
翌日も、杏と真秀はまるで待ち合わせたかのように、同じ車両に乗っていた。
その日、とうとう杏は真秀からヘッドホンアンプを譲ってもらった。
「舎利倉さん、僕、新しいアンプ組んだんだ。で、これ……買わない? お安くしますよ」
少し照れたように、真秀は手に持っていたアンプを杏の前に差し出す。
「ちなみに、おいくらですか?」
「千円。どうかな?」
「やっすーい!」
思わず声を上げた杏。でも、嬉しい。ずっと欲しかったのだ。
「買います買います!」
杏は迷わずミニがま口から、小さく折りたたんだ千円札を取り出し、皺を伸ばして差し出した。真秀はにっこり微笑み、アンプと替え電池を手渡す。
「すごい……こんなの、自作できるんですね。尊敬します」
アンプを手の中でくるくるともてあそぶ。眺めながら、杏は素直にそう言った。真秀は嬉しそうに肩をすくめて、笑う。
「うん。でも中身は、同人の基板キットだよ」
「え、そういう“同人”もあるんだ……!」
杏は目を丸くする。その反応が、なんだか新鮮で嬉しい。
それから、彼のアンプで推し曲を試聴させてもらった。
音は、ほんわかと柔らかく、耳に優しく響く。棘がなくて、包み込むような音だった。
「音、やわらかいですね……」
「でしょ? バーブラウン社の希少なオペアンプ、使ってあるんだ。あとコンデンサも高価な音響専用品をおごっちゃった」
少し得意げに言う真秀。杏は細かいことは分からなかったが、男子が夢中になる姿って、なんかかわいいと思った。
「推し曲も、このアンプにぴったりですね。甘くて切ない……誰の曲ですか?」
「キリンジの《Killer tune kills me》」
「え? キリンジって男ボーカルじゃなかったですか?」
「うん。でも、兄弟ユニットが分かれて、今は兄が看板しょってる。で、今は女ボーカルなんだ」
「へえ、そうなんだ……」
音楽だけじゃなく、そういう裏話も面白いと思った。
「……あ、そうだ。先輩、わたしも推し曲、持ってきたんです!」
そう言って杏はUSBメモリを差し出すが、真秀は苦笑い。
「あー、それ、ちょっとアウトなんだよね。著作権的に」
手をひらひらと振って、申し訳なさそうに言う。杏は驚いて眉をひそめた。
「えっ、そうなんですか?」
「うん。CDの貸し借りはOKだけど、データそのもののやりとりはNGなんだ」
「えー、残念……」
*****
あくる日。真秀は古いMP3プレイヤーを二つ持ってきた。片方は黒、もう一つは銀色。少し時代を感じる見た目だったが、手に取ると、とても軽い。
「これ、USBメモリ型のプレイヤー。容量は少ないけど、10曲くらいは入るから。PCやMacに挿せば、普通のUSBメモリみたいに使える」
真秀は、そう言いながら両方を杏に手渡す。
「黒い方に、僕の推し曲入れてある。銀の方には、舎利倉さんの推し曲を入れてきてね」
「これは……合法なんですか?」
杏が少し心配そうに尋ねると、真秀は肩をすくめて笑った。
「プレイヤーの貸し借りだから、大丈夫。中身をコピーしなければね」
「でも……コピーできますよね?」
「そりゃ当然できるよ」
真秀はそっぽを向いて、さらりとつぶやいた。
「そのつもりで、引っ張り出してきたんだし」
「えっ」
真秀は振り返って杏の目を見て、にっこり笑った。その笑顔につられて、杏も笑った。
―― 犯罪者。でも先輩の笑顔、いいな。
*****
家で、杏は推し曲をプレイヤーに入れる。再生履歴の上位三曲をフォルダに、推しの一曲をルートに。
月曜から金曜まで、交互に曲を聴くことにした。余った分は次の週に回す、というルール。
何度か繰り返すうちに、電車の時間だけじゃ足りないと感じるようになってきた。
―― 音楽を聴くだけじゃなくて、雑談もすごく楽しいんだよね。
*****
その朝。いつものように隣同士に座ってプレイヤーの準備をしていた時だった。発車ギリギリ、男子がドタドタと車両に駆け込んできた。
――げっ、神崎……!
神崎は杏と真秀の前に立ち、吊革につかまるとニヤッと笑った。
「舎利倉~! おはよ。今日もかわいいね! で、なにしてんの~?」
言いながら、真秀をチラッと見下ろすような態度。なぜか勝ち誇ったような顔。
「……誰?」
真秀の一言に、神崎はニッと笑って名乗る。
「“着ぐるみ”先輩、ちーっす! オレ、舎利倉のクラスメイト、神崎でーす!」
「神崎君、失礼だよ!」
杏が思わず声を上げた。
「神崎君。僕、舎利倉さんと話があるから、邪魔しないでくれるかな」
「えー、いいじゃん。俺も混ぜてよ~。てか先輩、いつも舎利倉と一緒に電車乗ってるんすよね? カレカノ関係っすか~?」
「ち、違います!」
思わず立ち上がって否定する杏。
「じゃあ俺にもチャンスあるってことじゃん!」
杏と真秀は、顔を見合わせた。以心伝心。ふたりは同時にヘッドフォンを装着、曲を再生。目を閉じた。
……しばらくして、そっと薄目を開ける。目の前には誰もいない。
辺りを見回すと、神崎が優美に引っ張られて、隣の車両へ連行されていく姿が見えた。
杏が真秀の膝をトントンすると、彼も目を開け、ヘッドフォンを外す。
「先輩、ごめんなさい」
「いやいや。舎利倉さんのせいじゃないよ」
杏は、最近神崎がしつこく絡んできて困っていることを話した。
「そっか…… 僕なんかと一緒にいるからムカついたのかもね」
「でも、どうして」
「そりゃ、舎利倉さんが可愛いからだよ」
―― か、可愛い?☆
「わ、わたしか、可愛くなんかないです。ず、ずっと“変な顔”って言われてたんです……色素少ないから肌色もなまっ白いし、そばかすあるし、髪も赤いし、顔立ちも変だし」
真秀は驚いた。自己評価間違ってるよ。
「そんなことないよ。じゃあなんであの神﨑が君に絡んでくるのさ」
「それが、わからないんです」
「とにかく僕ら毎朝一緒にいるし、目立ってたのかもね」
「……」
「舎利倉さん、またこんなことがあると嫌だし……席、隣同士で朝活するの、やめようか」
「えっ、いやです! わたし、この時間、すごく楽しみなんです」
「うん。僕も」
「じゃあ、なんでやめるなんて言うんですか……」
「朝って、時間が短すぎるでしょ。だから、放課後に学校でやろうよ。同好会みたいにさ」
「え?」
「音楽を一緒に聴いて、いっぱい話をして。朝よりゆっくりじっくりできるよ。そう思ってさ」
彼の言葉に、杏の目が輝いた。
放課後、ふたりでゆっくり音楽を聴きながら話す。
――それは、思っていた以上に、楽しそうだったから。
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