第16話『夜は静かに終わる』


「セラフィィィィナァァァ……!」


 夜の静寂を引き裂くような咆哮。砂煙の向こうから、血走った目の男が姿を現す。


「まさか、お前の方から来るとはな……!」


 その口調は嘲るようで、どこか楽しげですらあった。


「随分だな、ゼルグ。国の命令すらまともに聞かなかったお前が……まさか、どこぞの旧貴族の命令で私を追ってきたのか? 随分と素直になったじゃないか」


 セラが静かに言い放つ。剣の切っ先すら向けず、それでも冷ややかな殺気をまとっていた。


「……勘違いするんじゃねぇ」


 ゼルグの声は地の底から響くように低くなる。


「俺は誰かの命令で動いてるわけじゃねぇ」


「では、皇帝の仇討ち……な訳はないか。」


 セラの問いに、ゼルグは唇の端を吊り上げた。


「あったりめぇだろ。あの腐れ皇帝をぶっ殺してくれたことには、むしろ感謝してるくらいだ」


 ゼルグの目には狂気じみた光が宿っていた。


「元々、俺たちは犯罪者の寄せ集めだ。まともな兵に汚れ仕事をさせるくらいなら、最初から俺たちみたいな連中にやらせりゃいい――そんな都合のいい理由で作られた部隊だったんだよ」


 唾を吐くように言葉を吐き捨てる。


「あの皇帝の下じゃ、ただの“道具”だった。けどな、あんたがあいつを殺してくれたおかげで、やっと“自由”になれたんだ」


「……なら、なぜ私を追う?」


 セラの問いかけに、ゼルグはゆっくりと頬を撫でる。今も残る深い傷跡が、そこにあった。


「――忘れたとは言わせねぇ。この傷よ。お前に刻まれたこの痕がな、疼いて疼いて……夜も眠れねぇんだよ」


 その声には怨嗟とも執着ともつかぬ、狂気がにじんでいた。


 セラは沈黙のまま、ゼルグを見据える。感情の読めぬ冷たい瞳――だが、その奥には確かに怒りが宿っていた。


「……なら、お望み通り。今ここで決着をつけてやる」


 静かに、セラの足が前へ出る。月光を反射する刃が、音もなく構えられた。


「おお、そう来なくっちゃな……!」


 ゼルグが狂気に満ちた笑みを浮かべる。背後で部下たちはすでに退いていた。もはや戦場に立つのは、この二人だけだ。


「どれだけ時が経とうが……てめぇの剣の感触は忘れてねぇ。あの時みたいに、俺を切り刻んでみやがれよ、セラフィーナ!!」


「……喋りすぎだ、ゼルグ」

 


 次の瞬間、セラが地を蹴った。


 一閃。


 風が裂ける音。ゼルグもまた剣を抜き放ち、鋼がぶつかる音が空気を震わせる。


 火花が散る。


 二人の動きは、常人の目では捉えきれない。


 技と技。殺意と殺意。過去の因縁が、剣戟としてぶつかり合う。


 ゼルグの剣は暴風のように荒々しい――だが、確実に“殺す”ための理を持っていた。力任せに見せかけて、その実、実戦経験に裏打ちされた鋭い一撃ばかりだ。


 対してセラの剣は、あまりに正確だった。無駄を一切排した動き。鍛え抜かれた動作は、命を奪うことだけを目的とした最適解の連続だった。


「よぉ、セラフィーナ。思い出すぜ……あの戦場。お前が俺の邪魔をした、あの瞬間をな!」


 ゼルグが叫ぶ。


「捕虜を殺すな? 降伏した相手に情けをかけろ? ……笑わせんな。あいつらは敵だ。殺して当然だろうが!」


「敵であろうと、命を投げ出した者に刃を振るう理由はない。それすら分からぬお前に、言葉など通じはしない」


「おう、通じなかったな。だからお前は剣を抜いた。俺はそれに応えただけだ」


 ゼルグは頬を指でなぞる。


「その時刻まれたこの傷――忘れてねぇぞ、セラフィーナ。今でも夢に出るくらいだ」


「なら、夢の中で満足していろ。現実に戻ってくるな」


「ふざけんなッ! あの時みたいに、俺を“裁いた気になった顔”で見下ろすんじゃねぇ!!」


 怒号とともに、ゼルグが地を蹴る。剣風が吹き荒れ、大地が鳴る。


 だが――


 セラは動かない。


 ただ、剣を振るう。


 暴力の奔流を、寸分違わぬ正確さで迎え撃つ。まるで鍛え抜かれた兵器のように、無駄のない動きで。鋼がぶつかり、火花が宙を舞う。


 ゼルグが剣を振り上げると、魔力が刃にまとわりつくように収束した。空気が震え、赤黒い光が剣身を包む。


「見せてやるよ……てめぇに刻まれたこの傷が産んだ、“進化”をな」


 剣が地をなぞると同時に、ゼルグの足元から斬波が幾重にも走り出す。地面を裂き、セラを包囲するように迫る。


連牙裂陣レンガ・レツジンッ!」


 振るわれるたび、魔力の斬撃が空を切る。左右、前後、全方位から襲いかかるそれは、まさに斬撃の結界。


 だが、セラは微動だにしない。


 一歩。軌道がずれる。


 もう一歩。ただ身を傾けるだけ。


 幾筋もの斬撃は、髪一本かすめることもなく通り過ぎた。


「……くそっ、まだだ!!」


 ゼルグは突っ込む。魔力の奔流を纏い、最後の一撃を振り下ろす。


「喰らいやがれぇっ!!」


 ――ガキィン!


 セラの剣が、その一撃を受け止めていた。


 軽く、的確に。まるで子どもの攻撃をいなすように。


「……成長したようだな、ゼルグ」


 その言葉が、胸の奥を鋭く抉る。


 ゼルグは血を滴らせた腕で、なおも剣を振り上げようとする。


「まだだ……まだ終わっちゃいねぇ……っ!」


 だが、その剣は振り切られる前に――


 断たれた。


 セラの剣が一直線に振り下ろされ、ゼルグの剣が真っ二つに折れて地面に転がる。


「な……っ!」


 次の瞬間、鋭い閃光。


 セラの剣が、ためらいなく振り抜かれた。


 ゼルグの胸――正確に、心臓を貫く。


 鈍い音とともに、ゼルグの体が仰け反り、崩れ落ちた。


「……ぐ、ぅ……っ……」


 血の泡を吐きながら、それでもゼルグはセラを見上げる。


「……ははっ……やっぱ、てめぇの剣は……冷てぇな……」


 セラの瞳には、何の色も宿っていなかった。ただ、過去の清算として、ゼルグという男を“切り捨てた”だけ。


 やがてゼルグの目から光が失われる。最後の息が、闇夜に溶けていった。


 セラは黙って剣を下ろし、返り血を払うことすらせず、その場を後にした。


 風だけが、静かに戦場の名残をさらっていった。


 

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