第3話『猫獣人が好き放題しているので、お仕置きすることにした』


 理想のメイドを集める――そう決意したものの、そう簡単に理想通りの人物が見つかるはずもなかった。


 僕の求めるメイド像は、ただ従順で礼儀正しいだけでは足りない。

 ツンデレ、ドジっ子、罵倒系……あの“メイド楽園”で味わった極上の属性たち。

 そんな逸材が自らやってくるわけがない。いや、やってきたとしても門前払いされるのがオチだろう。


 ――やはり、自ら探しに行くしかないか。


 そこで僕は、ヴァイスベルグ領最大の都市――ローエンブルクへ向かうことにした。

 交易の要でもあるこの街には、人も物も情報も集まる。

 ついでに“視察”ってことにして、街の人たちに困っていることがないか聞き回れば、僕の“次期当主”としてのイメージもバク上がりだろう。


 ――まさに一石二鳥である!


 そうして僕は、ローエンブルクの街を歩き始めた。


 石畳の通りには活気が溢れ、屋台の呼び声や人々の笑い声がそこかしこに響いている。

 店先では焼き菓子や果物、装飾品までがずらりと並び、まさにこの街が交易都市として栄えていることを物語っていた。


 (うむ、やはり視察に来たのは正解だったな。街の様子も活気に満ちているし、視野も広がる)


  ――と、そんなことを考えていた矢先だった。


「おい、また猫獣人のやつがやらかしたらしいぞ!」

「まったく、市場で盗みばっかしやがって……逃げ足だけは一人前なんだからよ」

「憲兵も手を焼いてるって話だぜ。誰かどうにかしてくれよ!」


 ……猫獣人? 盗み? 憲兵もお手上げ?


 なんとも香ばしい話が耳に飛び込んできた。

 これは……いかにも“トラブルの香り”ってやつだな。


「すみません。その話、詳しく聞かせてもらえますか?」


 僕が声をかけると、男たちはぎょっとして振り返る。


「えっ……クラウス様!? い、いえ、これはその……!」


「そんなに緊張しなくても大丈夫ですよ。ただの視察中ですから」


 僕はにこやかに笑いながら、男たちの話を聞いた。


 どうやら最近、街の中で猫獣人の少女が市場で食べ物を盗んだり、財布をすったりしているらしい。

 目撃証言は多いものの、あまりにも素早いため誰も捕まえられず、憲兵たちもお手上げ状態とのことだった。


 (なるほど……これは確かに厄介かもしれない)


「分かりました。この件、僕が解決してみせます」


 きっぱりと言い切ると、男たちは目を見開いて驚いた。


「そ、そんな……クラウス様が直々に!?」 「でも、あまり無理はしないでくださいね。まだお若いんですし……」


「おいおい、何言ってんだ。クラウス様は“神童”様だぞ? 魔法の腕は折り紙付きなんだ! あいつなんてすぐにとっ捕まえてくれるさ!」


 どこか期待と心配が入り混じった視線を受けながら、僕は軽く微笑んだ。


 父上が王都に出向いている今、領地の問題を解決できるのは僕しかいない。これもまた、貴族としての務め――そういうことだ。

 

 猫獣人という種族は、人間よりもはるかに優れた身体能力を持っている。

 特に俊敏性と跳躍力に長けていて、その身軽さはまさに“獣”の名にふさわしい。

 加えて、筋力も見た目以上に高く、真正面からの追跡や捕縛は至難の業だ。憲兵たちが苦戦しているのも無理はない


「よし……まずは現場を見に行こうか」


 そう呟いて、僕は街の市場へと足を向けた。

 目指すは、噂の“問題児”が現れるという市場――この街でも最も活気ある、そして混雑する場所だ。


 屋台がずらりと並び、香辛料の匂いや果物の甘い香りが鼻をくすぐる。

 魚の干物を売る男の威勢のいい声、客と商人の値切り合戦、通りすがりの子どもたちの笑い声――喧騒の中に、活気と混沌が渦巻いていた。

 まさに、情報と人の交差点。僕のような貴族が歩くには少し騒がしいが、こういう雰囲気も悪くない。


 と、そのときだった。


 ふと、視界の隅に素早く動く影が映った。


 (……ん?)


 瓦屋根の上を、まるで忍者のように跳ねながら走るシルエット。

 風に揺れる黒い尻尾と、ピクリと動く猫耳――その姿は、噂に聞いていた“猫獣人”そのものだった。


 ボロボロの服を纏ったその姿は、まるで野良猫のような雰囲気を漂わせている。

 だが――

 その瞳は鋭く、市場を見下ろしながら、まるで獲物を見定める狩人のようにギラついていた。

 (……まさか、あれが?)


 さっそく出くわすとは……これは運がいいのか、それとも悪いのか。


 市場のざわめきの中、僕は静かに息を整え、彼女の動きを目で追い始める。


 猫耳の彼女は、人混みに紛れながら何気ない仕草で、パン屋のカウンターへと手を伸ばした。  一瞬の隙を突く、見事な動きだった――が、


「こらぁっ!!」


 店主の怒鳴り声が響いた。


 どうやら、たまたま振り返った店主の目に留まってしまったらしい。  彼女は肩をぴくりと震わせたが、すぐに身体を反転させて逃げ出した。


 そして、飛び跳ねるように屋根の上へと駆け上がる。

 瓦の上を軽やかに走り抜けるその姿は、まさに“猫”そのものだった。


 市場の人々が驚きの声を上げる中、僕だけは冷静にその動きを観察していた。

 彼女は逃げ道を見極めるように視線を走らせ、屋根と屋根の間隔を正確に見定めながら、一切の無駄なく移動していく。


 なるほど……この身のこなし、まるで訓練された狩人のようだ。これでは、憲兵たちが捕まえられなかったのも無理はない


 ――けれど。


「ふむ……逃げられる前に、捕まえておくか」


 僕は軽く息を整え、右足に魔力を集中させる。


風の跳躍エア・ブースト


 足元に風の魔法陣が展開し、軽やかな反動と共に一気に屋根の上へと飛び上がった。


「ニャッ!? な、何ニャ!?!?」


 空から現れた僕に、猫獣人は目を丸くして後ずさる。  完全に虚を突かれたその様子に、僕はにやりと笑みを浮かべながら一歩踏み出す。


「君が噂の猫獣人だね」


「ニャッ!? なんでガキンチョがここまで来れるニャ!? おかしいニャ!!」


「……ガキンチョ?」


 僕はニヤリと笑う。


「でゅふふふ」


「なんニャ……こいつ、笑い方気持ち悪いニャ……」


 僕の満面の笑みに、猫獣人は若干引いたような顔をすると、警戒心を露わにしながら後退る。


「いったい何者ニャ……」


「僕はここヴァイスベルグ領、領主の息子クラウス。君のイタズラに領民が困っているようだから、君にお仕置きをしにきたんだけど……」


 僕はにっこりと笑いながら、手を胸に当てて名乗る。

 だが、目の前の猫獣人は鼻で笑った。


「そういうことかニャ! 残念だったニャ! ガキンチョ如きに捕まるあたしじゃないニャ!」


 彼女はふんっと鼻を鳴らしながら、しなやかに腰をひねって構える。自信満々の笑みを浮かべ、尻尾をピンと立てた。


「随分と自信があるようだね」


 僕が感心したように言うと、彼女は胸を張り、誇らしげに叫んだ。


「はんっ、当然ニャ!! 私はニア、誇り高き猫獣人の族長、オルサムの娘ニャ!! 人間のガキンチョなんて一捻りにしてやるニャ!!」


 その目はまるで王者のように輝き、プライドの高さを隠そうともしない。


「へえ、君の名前はニアっていうのか。それに、族長の娘とは……なるほどね」


 僕はゆっくりと頷きながら、じっと彼女を見つめる。


(おお……良い。実に良い)


 強気で誇り高く、それでいて僕を見下すようなその態度。

 ふわっとした紫色の髪の上に、ピクピクと動く三角耳。腰から伸びる、しなやかな尻尾がゆらりと揺れている。


(これは……ツンデレ猫耳メイドになるのでは!?)


 思わず口元がにやけてしまった僕を、ニアが訝しげな目で見た。

 ピクリと耳を動かし、ギラリと目を細める。


「その舐め回すような視線、気持ち悪いニャ……なんかすごく嫌な気分ニャ!!」


 肩をすくめながら、僕は照れたように微笑んだ。


「でゅふふふ、つい君が可愛くてさ。ごめんね?」


 ニアは心底うんざりしたように顔をしかめ、尻尾をピシッと振った。


「はぁ!? 何気持ち悪いこと言ってるニャ!」


「でも、ひとまず街の人達に迷惑をかけた事は反省してもらわないとね」


 僕が真顔に戻すと、ニアも表情を一変させる。

 口元をキュッと引き結び、獣のように低く身を構えた。


「ふん、ガキンチョが生意気ニャ……ボコボコにしてやるニャ!」


「だけど、街の中では少し都合が悪いな」


「……どういうことニャ?」


「せっかくのバトルだ、広い場所の方がいいだろう?」


「……ほう、いい度胸ニャ! 逃げるんじゃないニャよ!?」


 僕は余裕の笑みを浮かべながら、ゆっくりと手を掲げる。


空間転移フェイズシフト!」


「ニャッ!? な、何ニャ!? ちょっと待つニャ――」


 瞬間、視界が一瞬にして歪み、次の瞬間、僕たちは街の外の広大な平原に立っていた。


「……ニャ!? え!? 何ニャ!? どこニャここ!? 何したニャ!!?」


 ニアは大きく目を見開き、尻尾を逆立てながら驚愕している。

 どうやら、彼女にとって転移魔法は馴染みのないものらしい。


 まぁ、僕以外に使える人なんて知らないけど。


「……バカなニャ……一瞬で移動だニャンて……!? こんなの聞いたことないニャ!!」


 まだ困惑が抜けきらない様子のニアを見ながら、僕は軽く肩をすくめた。


「ここは街の外。広い場所なら、君も思い切り戦えるだろう?」 


 ニアは数秒の沈黙の後、ハッと表情を切り替え、ギラリと鋭い目を向けてきた。


「……チッ、なるほどニャ。まぁ、これで遠慮なくブチのめせるニャ!」


 ニアは鋭く爪を伸ばし、しなやかに地を蹴る。


 一瞬で間合いを詰め、鋭い爪が僕の首元へ迫る!


「……速い!」


 まるで疾風のようなスピード。

 猫獣人の俊敏さを活かした、一切の無駄がない動き。


 だが――


風の跳躍エア・ブースト!」


 僕は魔力の風をまとい、後方へと軽やかに飛び退る。


 ニアの爪は空を切り、彼女は鋭く舌打ちした。


「チッ……避けるとはやるニャ! でも、こんなのはどうニャ!!」


 彼女は横へ跳躍し、死角から爪を振るう!


 僕は右へ回避するが、そこへ追撃が来る。

 次の攻撃は前とは違い、低い姿勢から爪を振り上げるカウンター。


「……なるほど、やるね」


 この戦闘技術、人間ならまともに対応するのは難しいだろう。

 だが、僕も神童と呼ばれる身。簡単にやられるつもりはない。


魔力障壁マナ・シールド!」


 バリアを展開し、ニアの爪を弾く。


「ニャッ!? 何ニャ!? そんなのズルいニャ!」


「ズルい? いやいや、猫獣人の俊敏さもある意味チートみたいなものだろう?」


「うぐっ……ニャ、ニャにゃにゃ……!?」


 悔しそうに歯ぎしりしながら、ニアは再び間合いを取る。


「なら、次は本気でいくニャ!!」


 彼女の体が低く沈み込む。

 そして――


獣王迅閃ビースト・ラッシュ!」


 ニアの身体が一瞬で消えた。


「……!」


 それは、完全に見切るのが困難な速度。

 並の冒険者なら、見えた瞬間にはすでに仕留められているだろう。


(でも……遅い)


 僕は口元に笑みを浮かべ、すでに魔法を発動していた。


魔力拡張マナ・エクステンド


 魔力探知の範囲を広げ、ニアの動きを瞬時に察知。

 彼女の爪が僕の首筋を狙う――その刹那、


風刃衝撃ウィンド・スラッシュ!」


 風の刃がニアの進路を遮るように放たれる!


「ニャッ!? ぐっ……!」


 ニアは急制動をかけて回避するが、その動きには明らかな焦りが見えた。


「どうした? 族長の娘がこんなもんかい?」


「くっそぉぉぉ!! ……本当にムカつくニャ!!!」


 ニアは再び間合いを詰めようとする。


 ――が、ここで終わらせてもいいだろう。


重力拘束グラビティ・バインド!」


 地面に魔法陣が展開され、ニアの体が一気に沈み込む。


「ニャアアア!? ちょ、ちょっと待つニャ!! 体が重くなったニャ!!」


「ふむ、君のスピードはこれで封じられたな」


「くっそぉぉぉ!! ズルいニャ!! さっきのはまだ分かるけど、これはダメニャ!!!」


 必死に抵抗するニアだが、すでに彼女の俊敏さは完全に封じられていた。


「さて、そろそろ決めようか」


 僕はゆっくりと右手を掲げ、魔力を収束させた。


「――偉大なる炎の加護を受けし力よ、天地を焦がし、すべてを塵と化せ――」


 ズズン……


 地面が震え、赤黒い魔法陣が次々と浮かび上がる。


「――神々の怒りを宿し、灼熱の業火を顕現せよ――」


 バチバチと魔力が弾け、第二、第三の魔法陣が重なる。

 周囲の大気が揺れ、空の色が赤みを帯びていく。


「ニャッ!? ま、待つニャ!! 何かヤバいのが出てきてるニャ!!」


「――天と地を分かつ紅蓮の閃光よ、汝の名は――」


「ニャアアアアア!! そんなの絶対死ぬニャ!!!! 何でもするニャ!! 何でもするから許してほしいニャーーー!!!」


 「大爆グランド・エクスプロー――」


 「……ん?」


 僕は詠唱を途中で止め、ニアを見る。


「今、何でもするって言ったね?」


「ニャ!? ……あれ? どうなったニャ?」


「君が何でもするなら、魔法を撃つ必要はないよ」

 

「ちょ、ちょっと待つニャ!! 何でもするとは言ったけど、本当に何でもって訳じゃニャいニャーー!!」


「でゅふふふ、もう遅いよ!」


 僕は満面の笑みで魔法を解除し、ニアに手を差し出した。


「ようこそ、僕の専属メイドへ」


「ニャッ!?メ、メイド!? ふ、ふざけるニャーー!!!」


 ニアは全力で跳び退き、耳と尻尾を逆立てながら叫ぶ。


「あたしは絶対にメイドなんかにならないニャーー!!!」


 そう叫びながら、尻尾をバッと振り上げたが、重力拘束を解いたばかりで体勢が崩れ、そのままズベッと転ぶ。


「ニャあああ!? こっ、こんなの認めないニャ!!!」


 負けたとはいえ、まだ完全に折れていないそのツンツンした姿。


 いいね、実に良い。


(でゅふふ……これは、じっくり調教していく楽しみがあるというものだ……!)


 こうして、僕の理想のメイド探しはまだ始まったばかりだった――。


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