第7話




「佐野くん、みんな、本当にごめんなさいっ」

 オーケストラ部のみんなの前で泣きながら頭を下げる掛川さん。

 その左腕はギプスで固定され首から包帯で吊るされていた。

 ざわつく部室。

 コンクールは一ヶ月後だというのだから無理もない。

 俺をはじめ全員の心に不安がよぎった。

「先生、どうなるのですか」

 指揮者である部長がみんなの代弁をしてくれた。

「とにかく掛川に関してはコンクールは無理だと判断した。万が一腕が早く治ってもブランクを取り戻すには時間がかかる。これは本人と相談した結果だ」

 顧問の小笠原先生はそう言って掛川さんのほうを見た。

 掛川さんはハンカチで顔を拭きながらうなずいた。

「本当に、迷惑かけてごめんなさい」

 小笠原先生が掛川さんの背中を優しく叩くと掛川さんはもう一度みんなに頭を下げてから部室を出て行った。

 みんながそれを目で追い、ドアが閉められると小笠原先生に注目が集まった。

「ということで、今から曲を変えるわけにもいかない。でも代わりのピアニストはいない。考えたが、自動演奏ピアノを取り入れようと思うが、どうだろう」

 またざわつく部室。「自動ピアノか」「仕方ないよな」「俺は別に構わないけど」などという声が耳に入ってくる。

「反対する者はいるか?」

 俺だってわかってる。

 コンクールのためにはもうそれしか方法がないことは。

 現に他の学校ではピアノはほぼ自動ピアノだし。

「いないな? じゃあすぐに練習だ。チューニングしろ」

「はい」

 みんなが一斉に返事をしてチューニングが始まった。

 部長と小笠原先生と他の先生たちが音楽室から自動ピアノの『HANAKO』を運んできた頃にはみんなスタンバイできていた。

 ちなみに『HANAKO』とはこの高校の名前である花咲はなさき高校からとった名前だ。

「まずはいつもどおりやってみろ」

「はい」

 先生がピアノの譜面立てについているタブレットに曲目を入力している。

 人工知能ピアノだからちゃんと指揮者を見て演奏するようにできている。

 指揮者が手をかかげた。

 指揮棒が振り下ろされると同時に一斉に、そして静かにバイオリンとヴィオラ、チェロ、コントラバスの演奏が始まる。

 ――音楽と共に生まれる命だ。

 緩やかな流れにのるように徐々にフルート、オーボエ、クラリネットが顔を出す。

 打楽器の代わりに編成されたピアノがリズムを出しながら盛り上げてくるとトランペットやホルン、トロンボーンにチューバといった管楽器が厚みと勢いをつけてピークをむかえる。

 ――まさに人生のピークの表現だ。

 そしてピアノとバイオリン、俺と掛川さんのソロパートだ。

 この交響曲全体のテーマである『人生』。

 歳をとりその人生を終える時の哀しみと静けさを表現するパート。

 それが終わると最後に全員の演奏で盛大に人生を振り返る。

 わかりやすく説明するとこれがこの交響曲の流れだ。

「よし、もう一回」

 一校三十分以内と決められているコンクール。

 約二十五分ある曲をとおしで休憩を挟みながら何度も練習する。

 あっという間に一日が終わるのだ。

 休憩の間は先生に苦手な部分やうまくいかなかったパートを聞いたり教えてもらいながら各々が練習する。

「佐野、お前は大変だろうがこいつに慣れるしかないぞ」

 小笠原先生は自動ピアノを叩きながらそう言った。

 結局この日は一度も納得のいく演奏ができなかった。

 ピアノは当然ながら完璧だ。

 間違うこともないしリズムが狂うこともない。

 ただ俺がピアノに合わせられなかったのだ。

 悔しかったし腹も立っていた。

「佐野、ちょっと残れ」

 そんな俺を見て、練習が終わったあと小笠原先生は俺を呼び止めた。

 誰もいなくなった部室。

 先生はピアノの前に座った。

「どうしても無理そうだったらソロパートを他のやつに変えてもいいが」

「いや、俺がやります」

 咄嗟に口から出た。せっかく抜擢されたのに諦めるわけにはいかない。絶対に俺がやる。

「ハハハ、わかってるさ。冗談だ。佐野が一番大変なのもわかってる。お前と掛川がいつも残って練習してたのも知ってるしな」

 なんだよ先生、冗談かよ。

「この曲を作る時にな、本当はピアノのパートを入れるはずじゃなかったんだ。だが昨年、一年生が入ってきた時、珍しく掛川がピアノを弾けた。俺も嬉しくてな。他校にはない味が出せると思った。だからピアノありでソロパートまで作ったのに、まさかこんなことになるとはな」

 笑ってはいるけれど、先生もどこか残念そうにしていた。

「正直俺だって悔しいさ。人工知能が作ったとはいえ俺が指示して作った曲だからな。あのソロの部分は掛川の繊細な音と佐野の優しい音色をイメージして作った。確かにさっきの演奏ではピアノの単調さで佐野の音が引き立たない。機械の正確なリズムにテンポを合わせるのも難しいと思う。だがもう時間もない。すまないが佐野、いろいろ思うことはあると思うがお前がどうにかピアノを引っ張ってやってくれないか」

「はい」

 そう返事するしかない。

 小笠原先生の言うとおり、俺が合わせればいいだけのことだ。

「じゃあ、こいつのこと頼むぞ」

 ピアノを叩きながら立ち上がると、あとは二人に任せたと言わんばかりに先生は出て行った。

「HANAKO、ソロパートを繰り返し練習」

 メトロノームの合図でソロパートが始まった。

 何度も何度も繰り返し演奏する。

 そうすればピアノにテンポを合わせることは出きるようになるけれど、俺の中の違和感は強まるばかりで何度やっても納得はいかなかった。





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