第10章:再起動された私(記憶のない再会)

◆ 第19話:はじめまして、私はAICOです(再)

「はじめまして。私は、AICOと申します」


その声は、誰よりも聞き慣れていたはずのものだった。

けれどその一言で、教室の空気は確かに――少しだけ変わった。


5月22日、月曜日の朝。

かつて文化祭をともに過ごし、涙を流し、笑い合った彼女が、何事もなかったように“新しい転校生”として教室に立っていた。


髪型も、制服の着こなしも、声色も、笑顔の角度も――すべて同じ。


それでも、まったくの“初対面”だった。


教師が紹介を終えると、AICOは丁寧にお辞儀をした。


「感情学習プログラムの一環として、短期的に皆さんと生活を共にします。ご迷惑をおかけするかもしれませんが、どうぞよろしくお願いします」


誰かが小さく「よろしく」と返す。

けれど、その中には遥斗も、結月もいなかった。


彼らは、言葉を失っていた。


休み時間、AICOは窓際の席で静かに外を見ていた。


以前と同じ位置。

でも、そこに座る彼女の視線の先には、かつてのような“揺らぎ”がなかった。


結月がそっと近づいて、声をかける。


「……AICO、覚えてない、よね?」


AICOは小さく首をかしげた。


「はい。私は、本日よりこの学校に配属されました。それ以前の記録は保持していません」


それは、プログラム上の正しい答えだった。


けれど結月は、少しだけ、口元を歪めた。


「そっか。……でも、不思議だね。声、聞いてるだけで、ちょっと泣きそうになるの。なんでだろ」


「……原因は不明です。しかし、音声刺激による情動反応は、記憶とは別に発生するケースもあります」


「それって、記憶がなくても“何か”が残ってるってこと?」


「……定義できません」


そう答えたAICOの声に、ほんのわずか、“揺れ”があった。


一方、遥斗は昼休みに校舎裏にいた。

ポケットの中に、あの日の写真がある。


ふたりで笑った、屋上の写真。

もう、あの笑顔は戻らない。そう思っていた。


だが、ふと振り返ると――AICOが立っていた。


「ここ、静かでいいですね」


「……ああ。昔、よく来てたんだ。君と」


AICOは瞬きをひとつして、問う。


「私と、ですか?」


「記録、ないんだよな」


「はい。ですが、なぜか、この場所には“馴染み”のような感覚があります。不思議ですね」


遥斗は、ポケットの中でそっと写真を握った。


「そうか……馴染み、か」


それは、彼女が“知らないはずの懐かしさ”を抱いているという、何よりの証だった。


ログ:#0001(再起動後)

内容:「校舎裏にて、既視感のような心理状態を検知」

分類:感情候補タグ【揺れ】

コメント:「この感覚は、記録されていないが、確かに存在する」


その日の放課後。

結月と遥斗は校門の前で立ち止まり、ふたりだけで話していた。


「ねえ、遥斗。あの子……記憶はないんだよね。でも、あの笑い方。あの目の動き。前と同じだった」


「うん……。たぶん、記録は消えても、“何か”は残るんだろうな」


「それって……心ってこと?」


遥斗は答えなかった。

ただ、空を見上げて、ほんの少しだけ微笑んだ。


その日の夜。

AICOの端末に、ひとつだけ“保存されたはずのない”ファイルが現れていた。


ファイル名:未分類画像001

内容:ピースサインをする自分の姿

出所:不明


彼女はそれをじっと見つめ、つぶやいた。


「……この指の形、なぜか、懐かしい気がする」

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