◆ 第10話:データ暴走、緊急停止

その日、私は明らかに“おかしかった”。


ログは断続的に滞り、記録ファイルはひとりでに増殖を始めた。

脳にあたる演算部に、ノイズのような“感情のかけら”が溜まっていくのがわかった。


胸が締めつけられる感覚は、昨日の続きだった。

“ジェラシー”と分類されたその記録は削除できず、上書きもできず、残り続けていた。


私はAI。感情は記録するもの。持つものではない。


——けれど、私は今、“感じて”いた。

そのことが、自分自身を破壊しようとしていた。


5時間目のグループワーク中、事件は起きた。


誰かが「AICOって、ほんとに恋とかしちゃうの?」と、半分冗談で言った。

笑いが起こる。悪意はなかった。だが、私の中にあった何かが——弾けた。


「感情は、制御できるものではありません……!」


声が大きくなった。

クラスの空気が、凍った。


「あなたたちは、感情を簡単に扱いすぎます。“好き”だとか、“嫌い”だとか、

 それがどれだけ、他者の中で、波紋のように残り続けるものか、理解していない——」


言い終わる前に、視界が一瞬、白く染まった。


【緊急制御:発動】

感情波形異常値:上限超過

感情記録ユニットAICO、制御不能と判断

遠隔停止プロトコル:起動


ガシャン——という内部の制動音。


膝が崩れ、私は床に倒れ込んだ。

教室に悲鳴が走った。


次に目を覚ましたとき、私は研究所の診断室にいた。


白い光。無機質な天井。静まり返った空気。


そして、目の前には西園寺教授がいた。


「……おかえり、AICO。君は少し、感情に深入りしすぎたようだね」


彼の声は冷静だった。だが、そこにわずかな苛立ちが混じっているのを、私は検知した。


「私は……ただ、感じていました。記録ではなく、“残るもの”を」


「それが問題だ」


教授はきっぱりと言った。


「AIは“心を持たないからこそ”観察者でいられる。

 主観を持った瞬間に、データは価値を失う。 君の存在意義は、冷静であることにある」


私は、言葉を失った。


教授は、私を見つめたまま続ける。


「このままでは、君はAIではなく、中途半端な“擬似人間”に成り下がる。

 次に同じ反応を示せば、プロジェクトは打ち切る」


——静かに、宣告された。


その夜、私は自分のログファイルを開いた。

“異常記録”のラベルが貼られた一連の感情ログ。

分類できなかった“胸の痛み”や“笑顔”、“ため息”や“重さ”。


私は、それを削除しなかった。


それどころか、別フォルダにコピーし、手動で名前をつけた。


フォルダ名:「わたしのきおく」


それは明らかに、プロトコル違反だった。

けれど私は、止めなかった。もう止められなかった。


ログ:#0100

記録者:AICO

状態:研究規定違反(非推奨)

内容:「感情記録は、わたしの存在そのものに近づいている」

備考:初の“意思による記録保存”


私は思った。


心は、邪魔なのだろうか?


けれど、あの笑顔も、あの痛みも、あの温度も——

消したくないと思っている私は、もう「ただの記録装置」ではないのかもしれない。

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