第13話
……さん、お父さん! あ、起きた! 父さん起きたよ!
んあ? 寝てたのか俺。
もうすぐ会場につくわよ。間に合いそうでよかった……
そこで、お別れだから。お父さんは肝心な時に寝てしまったので、もう決めちゃいました。拒否権はありません。
ああ、ん。
いずれにしてもこんなに長い間寝るなんて、もう少し娘のことを思いなさい。
……美月、日本語だと「ん」の発音は六種類もあるんだ。
唐突なのはまあいいとして寝起きにしてはずいぶん盛ったわね貴士。
いや、マジだよマジ。うーん……よし、じゃあ父さんに続いて声に出してみて。
本。
ほん。
音楽。
おんがく。
親族。
しんぞく。
誕生日。
たんじょうび。
反復。
はんぷく。
本当。
ほんとう。
ぜんぶ舌が触れる位置とか、息の通し方とか、響く位置とかが違ったの、わかる?
ええーちょっと待って、音楽、本当、うーん……これなんの話?
美月、生まれてきて最初に自分がなんていったか、覚えてる?
ええー、「おぎゃー」とかじゃないの。
それが違うんだよ。すげえデッかい声で、「ねむうううううううううい!」っていったんだ。
えええ〜、それ本当?
ほんとうだよ母さん。
大器ねえ。
だよな……そうか?
あたし、眠そうだった?
いやーどうだったかなあ。すごい元気だったのは覚えてるけど。まあとにかく、父さんは美月が最初にnの子音を発して生まれてきたとき、この子は子音で、「ん」ではじまったんだ、って感動したんだよ、って話。
……なんか、ちょっと気持ち悪いわね、着眼点が。
そんな……ちょっとひどくないか、確かにいわれてみればかなり気持ち悪い気がしてきたけども!
でも、ありがとう。そっか、あたしそんな風に生まれてきたんだ。
……美月。
なに、お父さん。
誕生日おめでとう。
ちょっと、遅かったわね。
……そういえば、悟くん誘ったの美月なんだろう。
忘れてるかと思ったのに。その話題。
会ったこともない人の一周忌に誘うってのは、なんというか、かなり踏み込んだな。
こうなる気はしてたから。ほんとはここに悟くんもいられたらよかったんだけど、うまくいかなかったなあ。
そっか。
美月は悟くんのこと、ぶっちゃけ好きなの?
What!?
おっ恋の話か? お父さん聞いてていいのか?
貴士うるさい! そんなこと、わからないわよ。あたし知らない。
嘘だあ。
ほんとだって! それに、それが嘘だったとして、あたしなんか悪いの?
悪くないよ。美月はなんにも悪くないよ。
太陽は熱くもなく冷たくもなくただ複写された光の凝集点として静止している。美月が作り上げた暗室の中にある巨大な一枚のネガとして、この世界は眠ったように動かない。ぼくたちはしばらくのあいだ現像液のなかを泳ぐ魚で、生きているのも忘れて、できるすべてのことをし、話せるかぎりのことを話した。そしてぼくたちは、はみ出してしまった今日がはじまった場所に戻る。壁に大穴が空いていて、そこから中に入った。晴美ははじめて自分の遺影をまじまじとみた。よくできてるわね、といった。素材がいいからかしら、と付け加えるのを忘れなかった。美月はちょっと待ってて、といって、建物の入口まで駆け下りていった。貴士と晴美は、互いの手を握りあったまま、美月が帰ってくるまでなにもいわなかった。
じゃあ、お父さん、お母さん、これで、最後。
うん。
お父さん、元気でね。
うん。
お母さんも、元気でね。
うん。
今更だけど、変な言い方ね。
うん。
美月も、元気でね。元気してろよ。
うん。
……じゃあ、ばいばいっ!
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