2025w43 秋のミチバタ会議
最近急激に空気が冷たくなり、忍び寄る冬の気配に怯えています。
とりあえずメダカ鉢のアオミドロを除去し、富栄養化しているであろう水の多くは堆積物と共に植物の鉢にやって新たな水を追加しました。『下ノ畑ニ居リマス』の土地で草を引いていたら「メダカ要るかー?」とお声がけいただき、春に生まれた二世代目と夏に生まれた三世代目が今のうちの庭の住民です。
こちらの町の古くからあるお家では、一家に一本柿の木を装備しているように思えます。奈良の御所市と違って柿農家は一軒もありませんが、果実のなる木を植えておくのは不作の年への備えでもあったのでしょうか。昔からの知恵というか。日本の古代遺跡からも柿の種が見つかっていますし、日本書紀や古事記にも記述があり、奈良時代には既に流通品として扱われていたようです。
柿そのものは大陸より渡来しましたが、採ってそのまま食べられる甘柿は日本で突然変異した固有のもので、今では海外でも栽培されています。一応熱帯性の植物のため北海道での栽培はなく、東北地方でも数少ないのだそうです。
かつては一般的には食べるには一手間必要な渋柿の木が殆どで、採ってそのまま食べられる甘柿は珍しいのだとか。
そうなの? 秋に甘柿を食べて、冬に干し柿を食べるんでないの?
皆さんの土地に、甘柿は植っていますか?
柿の学名は
数年前に開催された『ミイラ』展で即身仏となった方が紹介されていました。入滅に至るまでに「如何にして保存状態の良いミイラとなるか」について御本人が熱心に研究されていたようで、至った結論が「柿を食う」ことだったようです。生きている間に柿を食って食って食いまくり、結果、見事に肌の弾力を保つほどの即身仏になられました。
恐らくは抗酸化作用のあるポリフェノールと革なめしに使われるタンニンを全身の細胞に行き渡らせ、低温かつ除湿を徹底した保存状態によって現代に遺ることができたのだろうと考えられています。腹の中から柿の種が沢山見つかったのだとか。
『下ノ畑』の前の道を挟んで見上げる位置には、石垣から水路の上へと迫り出し、お庭へと上がる階段側へとぐるりと回り込むように生えた、めちゃくちゃカッコいい柿の木があって、子供の頃から通る度に登ってみたい衝動に駆られてきました。
植栽の手入れが行き届いた家と一体化した巨大な盆栽のようでもあり、小さなガレージや裏手の「モリさん(詳細は来週)」もひっくるめて、『ハウルの城』みたいな様相でもあるのです。持ち主の方が造園業の家系の方で、田畑だけでなく、ご自分で庭師仕事もされるので、おそらく頭の中にあるイメージを有機・無機が調和する構造物として具現化されているのでしょう。
最近こちらの柿をいただきました。今年はどこも豊作だそうで、「好きに採って」とハサミまで置いてあるのです。まあ、通りすがりの誰もが取って良いということではないでしょうけれど。
柿の品種は200種ほどあるそうで、奈良でよく生産されているのは生産量全国一位を誇る『
果実が小さくて丸い見た目、他にもその性質をお聞きするに、おそらくは『
切ると黒い斑がたくさん入っていて、これが渋が取れた食べ頃の証拠です。硬めのしっかりした果実ですが、甘くて美味しいのです。地元の人たちはこれを「砂糖が入っている」と表現します。
『下ノ畑』とその柿の木の間にある道端は、人が出逢うミチバタ会議の場でもあります。見通しの悪い角を含む三叉路の脇で、住民はそこを通るしかないので時折ある程度の車通りがあります。車は対向できない道幅です。
日々、老若男女問わず散歩されている方たちがいて、親子連れ、学校帰りや遊びに出かける子供たちが通り、車の数と同じか、歩く人の数の方がやや多いくらいの町のメインストリート(地形に合わせた山道風)でもあります。
その道のそばにずーっと昔からある柿の木の下では、いろんな方向からやってくる散歩中の人が出会い、時に立ち話をし、
「柿いるか?」
「勝手に採っていいの?」
「大丈夫大丈夫! 持ち主が好きに持ってってと言うてんねん」
「これは食べ頃や。こっちはあかん」
なんて会話が生まれます。
これが今、私が見ている日常の風景です。
このような遭遇から始まるミチバタ会議は、私が知らない時と場所でもあるのでしょう。ただ『下ノ畑』で私が作業している時に関しては、たいていの場合、通りかかった人が私に声をかけるところから始まります。
「おう、久しぶりやな」「こんなに広い土地を一人でやってるの?」「何か珍しいもの生えてる?」「その里芋そろそろちゃうか?」「菊芋の花咲き始めたんか」「あんた頑張ってんなあ」「無理すんなよ」とまあ、いろんな声がかかります。
ありがとうございます。
中でも「いつも通る時に、(私が)居るかなと思って楽しみにしてる」「ちょっとずつ変わっていくのが面白い」という声が一番嬉しいですね。ものすごーくゆっくりと形になっていくライブペインティング(ただし草を引いているので引き算)みたいな、ある種のエンタメとしてお楽しみくださいませ。
私が仕掛ける引き算のネイチャー・アートと、自然に生えてくる足し算のアート・ネイチャー。そのバランスによって出来上がる空間インスタレーションのようなもので、自然との対話による造形表現のため同じ状態は二度と見ることがないでしょう。
……という話はさておき、私が狙っていたのはこの土地に人の目が向く状態を作ることです。
元々『下ノ畑』の内側、道沿いのあたりは、生い茂る草に紛れて多くのゴミが落とされていました。それを日常的に目にすることで自分がすり減ってゆく感覚があったので、出入りさせてもらって草を引きゴミを拾っていますが、別に作業風景を見せつけたいわけではありません。
何をやっているのかはよく分からないけれど度々人が出入りしている土地、鬱蒼とした状態からサッパリした状態へと変化し何やら管理されているっぽい土地、季節を通して変化しよく見ると其処此処に植物群がある土地、などという風に意味ありげに見え始めると、人はそれなりに興味を示します。だって人間だもの。
何かしら人が興味を持って日常的に目を向ける土地、しかも好意的な目を向ける土地になれば、そこへゴミを落とすことを平然とはできなくなります。うっかり落ちてしまうことはあるだろうし、もちろんゼロにはならないでしょう。
ただ余程の悪意が浮き彫りになって見え易くはなります。それに対し、「私は良いけど、この町の人たちは何て言うだろうね」という状態を目指しているわけです。
要は古き良き防犯システムですね。監視カメラや注意書きよりも景観や心象が損なわれないように思えます。注意書きの立て看板が大嫌いなスナフキンも、こういった方法なら面白がるのではないでしょうか。
立ち止まっている人がいると、後から通りかかる人の中から引っ掛かるようにして足を止める人が現れます。そしてまた一人と、なんでもない道端が賑やかになっていきます。犬の散歩の方も多く、日常的に顔見知りになりやすい面子がいることも、こういったシチュエーションを生む要素なのでしょう。
人が足を止める柿の木の下あたりは、ここ数年のうちに『下ノ畑』に勝手に生え始めた木の枝や草が盛大に道路へとはみ出していました。だから車も通りにくかったし、車を避けるようにして人が道の端に寄るのも難しかったけれど、今は土地の内側に収まるように随時剪定し草を引いて管理しているので、立ち止まって人が集いやすい環境にもなったのかもしれません。
暑い日々が過ぎ、日が短く少し肌寒くなった今日この頃、誰もが夏よりも早めの時間に『いつもの時間』をいつものミチバタで過ごしています。
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