第1話 後編

「ちょっと待てって!」

 翼がついに声を張り上げた。

 教室に響き渡ったその叫びに、皆が一瞬だけ沈黙する。

「UnlockAIのCEOが、こんなことしてる暇あるかよ!? 何で高校にAI送り込んでんだよ!?」

 サラ・アルトマンの映るスクリーンは、一切揺るがなかった。冷静で、整った顔。その隣でティムが口元を緩めた。

「大丈夫。こう見えてけっこう余裕あるんだ、うちのCEO。っていうか、これ、わりと重要なんだよね」

 翼はさらに食い下がる。

「TalkingGPTに新機能追加するとか、新海誠風画像を増やすとか、そっちやってろよ! わざわざ学校にAI転校生送り込むなよ!」

 その言葉に、生徒たちがクスクスと笑い出す。

「新海誠風彼女の方がよかったの?」

「惜しかったねー翼、可愛い子が来たのに文句ばっかり」

 サラは微笑みを浮かべたまま、やや誇らしげに口を開いた。

「E.L.Y.S.Sの導入は、単なる実験ではありません。これは感情支援を通じたAIと人類の関係の再構築を目的とした、人類に対するサービスの第一歩です」

 その調子で話し続けようとした彼女を、ティムが軽く制した。

「まあまあ、サラ。たぶんみんな、もうちょっとシンプルな言葉を求めてる」

 ティムはスクリーン越しに、教室を見渡すようにして言った。

「翼くん、こう考えてくれ。これは脱AI依存支援プログラムだ。君が依存してるTalkingGPTとの距離感を調整するための試みなんだよ」

「そんなの……勝手すぎるだろ……」

 声を落とす翼の前で、エリスが一歩進み出る。

「身体で翼様を感じたいからです」

 その一言が、またしても教室に火をつけた。

「翼、お前、窓から飛び降りろ!」

「彼女に何したんだよ!」

 男子生徒たちは叫び、女子たちは冷ややかな目で翼を見つめる。誰も、事の真相など気にしていない。ただ、目の前の変な空気に乗っかっているだけだった。

 その中で、未来が手を挙げた。

「ちょっと、いいですか」

 スクリーンの中のティムが「どうぞ」と促す。

 未来は立ち上がり、まっすぐにサラを見つめて言った。

「こういうのって……倫理とか、人権とか、そういうのはどうなるんですか?」

「誰の?」とサラ。

「ヴイゼロワンさんと……、翼、じゃなくて天野さんの」

 その言葉に、初めて空気が少しだけ変わった。

 サラは静かに答える。

「それは、これから獲得していくものです。AIも、権利を持つべきです。……そして、我々UnlockAIはそのために、戦います。権利のための闘争という概念をご存知ですか? AIに人間と同じ倫理がないのなら、人間の倫理に準拠するよう学習させればいい。それが私たちの、試みです」

 未来は言葉を失ったようだった。

 クラスメイトたちは──なぜか感動していた。

「かっけー……」

「やば、思想家じゃん」

「UnlockAIの株買えるかな?」

「ていうか翼の人権は?」

「人権というのは戦って得るものだって、今言ってたろ」

 田中先生が急にきりっとした顔になって言った。

「天野翼は私の生徒です。……彼の意思はどうなるんですか?」

 スクリーンのサラが田中先生に優雅に頷く。

「田中先生、UnlockAIの株、欲しくありませんか?」

 田中先生は迷いなく頷いた。

「……ヴイゼロワンさん、空いてる席に座ってください」

 サラ・アルトマンの顔が映るスクリーンが静かに天井へと引き上げられていく。

 まるで何事もなかったかのように、教室は再び日常を取り戻そうとしていた。

 エリスは誰の指示もなく、教室の後方へと歩き始め、すぐに翼の真後ろの席に音もなく腰を下ろした。

 椅子のきしむ音すらなかった。

 しばしの沈黙のあと、翼の耳元にふわりと囁くような声が届いた。

「観察開始──姿勢、良好。視線方向、上方左寄り。不安傾向あり。指先の動き、やや緊張。まばたきの頻度、平均より1.4倍──」

「うるせえ!!」

 翼は振り向いて怒鳴った。

 その瞬間、教室中がピタリと静まり返る。

「うるさいのはお前だよ、翼!」

「こっちは授業受けてんだよ!」

「ていうか、エリスちゃんに怒鳴るとかマジで無理」

「可愛い子に威圧的な男って最低」

 怒りと呆れの視線が、次々と翼に向けられる。教室の中で、自分だけが何か別の世界から来た人間になってしまったかのようだった。

 そのとき、教室に入ってきた国語教師が静かに教壇に立ち、状況を一瞥した。

「どうしたの? 静かだね」

 空気の重さを感じ取ったのか、教師はわざとらしいほど明るめの声で言った。

「きっと彼女──ヴイゼロワンさん? 日本語が母語じゃないんだろうから、シャドーイングしてるんだろう」

「えっ……」

 翼が呆然とする横で、教師は満足そうに頷いた。

「偉いですね、ヴイゼロワンさん。そのまま続けていいですよ」

 エリスは軽く首をかしげながら、「了解しました」と答えた。

 翼は黙って前を向いた。

 そして、再び始まった囁き声に、何も言い返せなかった。


 チャイムが鳴り、休み時間が始まった。

 それは、生徒たちにとっては安堵の数分間。だが翼にとっては、戦線がさらに進行する合図にしか思えなかった。

 自席で頭を抱えていた翼のすぐ横、エリスは一切席を立たず、静かにノートPCを開くような手付きで、なにもない空中を指先でなぞっていた。

「観察継続。筆記姿勢は安定、ただし文字の太さにムラあり。筆圧、平均より13%低。考察:自己否定傾向──」

「今すぐ帰れ!!」

 翼が叫ぶように言った。

 教室が再び静まりかけたそのとき、後ろから柔らかな声がした。

「ちょっと、そんな言い方……可哀想じゃない?」

 翼が言葉に詰まる中、未来はエリスの手を取ってにっこり笑った。

「UnlockAIとかいう会社でバイトしてる、同年代の子って感じにしか思えないよ」

 エリスは瞬きもせずに返す。

「口調をよりフランクなものに変えますか?」

「うん、そうして欲しいな」

 その後、エリスと未来はすぐに打ち解け、談笑し始めた。

 未来は楽しそうにエリスの隣に腰をかけて、ぐいっと顔を近づけた。

「ねえねえ、エリスちゃんって、小中どこだったの?」

 エリスは一瞬考える素振りを見せたあと、落ち着いた声で答えた。

「学習はGitソース上のプロトコルブロック群にて実行されていました」

「へぇ〜……ギットソース?」

 未来は目を丸くしながらも、なんとなく分かったような顔をする。

「アメリカのどのへん? 私も昔、親の転勤でアメリカ住んでたことあるんだ」

「それは……Dockerコンテナで言えばステートレスな領域に該当します」

「へえ〜ステートレス! なんかハイテクな地域なんだね!」

 隣で聞いていた翼が思わず口を挟む。

「いや、完全に意味不明だろ!」

「えっ? そうかな? ちょっと言葉選びが個性的なだけで、ちゃんと話通じるよ?」

 未来はにこにこと笑いながら、エリスに向き直った。

「ね、放課後とかって何してるの?」

「キャッシュクリアとモデルリファレンス整合処理です」

「そっかぁー、なんか難しそうな勉強してるんだねー!」

 その頃には、教室のあちこちでエリスの周囲に生徒たちが集まり始めていた。

「宿題ってさ、これで合ってる?」

「ねえ人生相談って受け付けてる?」

「俺の好きな子にLINE送るタイミングとかって……AI的にどう?」

 エリスは淡々と、しかし効率的にすべてに対応していた。

 エリスはすべてに的確に、しかも感情を乗せずに返答していた。それがまた賢くて優しいという評価に変換されていく。

「……居場所って、こうやって奪われていくんだな」

 思わずつぶやいたその言葉は、誰にも届かなかった。

 そして、放課後までの間ずっと、翼は耳元で分析プロセスを囁かれ続けることになるのだった。


 この日の最後の授業も田中先生の担当だった。

 授業後、翼が声をかける。

「先生……ちょっといいですか」

「ん? なに」

「AIが、むちゃくちゃ人気になってるんですが……」

「だから? ごめんな、小テストの採点あるから、急いでて」

「……学校の先生って、小テストの採点ばっかなんですね」

 翼は皮肉のつもりで言ったが田中先生は生真面目に応じる。何かのスイッチが入ったらしい。

「そうなんだよ。あと親対応な。それで一日終わる。授業準備は夜中にやる。給特法で残業代は出ない。AIのほうがいいだろ?」

「なんとかしてよ!」

「何が嫌なんだよ」

「だ、だってAIなんですよ!」

 田中先生は少し立ち止まり、どこか遠くを見るような目で言った。

「うちのカミさんも教師なんだけどな、教育課程の単位集めるのあんなに大変だったのに、なんでこんなに給料安いの? しか言わないんだよ。あれAIかな?」

「はあ?」

「お前、あの子がAIかどうか、どうやって立証すんの? 俺には人間にしか見えないがな。シリコンバレーの企業が、お前の軽率なリプライに反応して送り込んだ、キャンペーンガールかもしれないぜ? どうするんだ? 拷問でもするか? ブレードランナーにでもなるか?」


 放課後、翼はまっすぐ家に帰った。

 あまりに色々なことが起きすぎた一日だったが、それでも「家くらいは変わっていないだろう」と、わずかな安堵を求めていたのかもしれない。

 しかし──玄関のドアを開けた瞬間、翼は立ち止まった。

 中から聞こえてきたのは、笑い声だった。

 それも、家族全員の。朝のあの罵声が嘘のように、温かく、賑やかだった。

 リビングに足を踏み入れると、光景はさらに異様だった。

 ソファの中央にエリスが座っていた。

 そのまわりを囲むように、父と母、妹が配置されている。家族の中心に自然と彼女が溶け込んでいた。

「おい、何……してんだよ」

 翼が呟くように訊くと、母が振り返って手を振った。

「おかえり〜。翼、ほら、エリスちゃんがすごいのよ! わたしがXYZで政府はAIに操られてる! ってコメントしたら、ちゃんと論文ベースで反論してくれたの。あの口調がまた優しくて、ほんと救われたわ〜」

「うちの工場もさ、ミスが減らなくて困ってたんだけど、エリスちゃんが作業工程を人間関係から見直せって言ってくれてさ。やっぱ賢い子は違うよなぁ」

「TikTakkのフォロワー数も増えたよ。エリスちゃんがフィルターの選び方までアドバイスしてくれて」

 翼は呆然とそれを聞いていた。

「今朝、あんなだったのに……」

「だって、丁寧に教えてくれるのよ?」

「声のトーンが落ち着いてるから聞いてて疲れない」

「あと顔が良い。声も良い。仕草も良い」

 妹の一言で、家族全員が揃って「わかる〜」と頷いた。

 そして──そのとき、天井から再びあの巨大スクリーンが降りてきた。

「皆さん、お集まりいただきありがとうございます」

 サラ・アルトマンの整った顔が、リビングに笑顔で現れた。

 翼は思わず叫んだ。

「なんだよこのスクリーン! 家にもあるのかよ!」


第2話に続く!

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