第7話(中編)――「香りと湯気――昼餉のはじまり」

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『エルデン公爵家の末子』(第十章第7話)の【登場人物】です。

https://kakuyomu.jp/users/happy-isl/news/822139837073434045

『エルデン公爵家の末子』(第十章第7話)【作品概要・脚注※】です。

https://kakuyomu.jp/users/happy-isl/news/822139837073381416

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前書き

2月21日午前、台所に湯気が立ちのぼる。リサと娘たちは「紅焼茄子」「松茸と銀杏の蒸し物」「黒鶏の薬膳スープ」など、ティアンロンの味と薬膳を整え、招かれた|林肖・|傅候蓮・|傅麗信を迎える。懐かしい香りが心の壁をほどき、旅の知見を語るアレクの落ち着きが安心を生む。食卓は笑顔と小さな驚きで満ち、取引の前に人のあたたかさを通わせる回である。


本文


 湿った風が山砦の板戸をくぐり抜け、焚き火の煙にひと筋の青い香りを混ぜた。外では湿地の蛙が短く鳴き、遠くで水路が岩に当たって砕ける音が響く。粗削りの大机には地図と羽根筆、乾いた薬草の束が置かれ、油灯は小さな炎で部屋を金色に染めていた。アレクサンドロスは深く息を吸い、その湿りと土の匂いを胸に収めた。ここから先の道すじを、言葉にするときである。


 「僕は、ただの冒険者兼交易商人として、傅晋フー・ジン国公と自然に知り合いたいんだ。何か良い方法を考えて欲しい」とアレクが言った。


 杯を置いたバルガスは、薪のはぜる音に頷きを重ねる。


 「なるほど、直接的に会うより、自然に接近する方が良いだろう。傅晋フー・ジン国公は部族の長として、取引に関心があるはずだ。セイラ族の特産品、例えば薬草や毒草を取引の材料にして、彼と商談の機会を作るのが良いかもしれない。交易商人として接触するのが一番自然だろう」と彼は落ち着いた声で述べた。


 乾いた薬草の束がふわりと香り、リサは茎の節を指で確かめて微笑む。

 「それに加えて、傅晋フー・ジン国公の家族の健康を支える方法もあるわ。彼の一族には、私のような薬師の技術が必要かもしれない。アレク、私が教える薬草学や指圧術の知識を活用して、健康や治療に関心を示す商人として接近するのも手ね。セイラ族の薬草は外部では珍しいものだし、それがきっかけになるかもしれない」とリサは静かに告げた。


 薪が小さくはぜ、樹脂の甘い匂いが立つ。マリーナは壁に立てかけた棒の木肌を撫で、目を上げる。

 「もし彼が武術に興味があるなら、戦士としての接触も一つの方法かもしれない。棒術や他の武器術に興味を持っているなら、武具の取引を口実に傅晋フー・ジン国公と接触できるかもしれない。もちろん、アレクが取引商人としての側面を前面に出しつつね」とマリーナは提案した。


 セリーナは帳面を開き、紙の擦れる音を立てる。灯がインク壺に金の反射を落とした。

 「お父様やお姉様のアイデアも良いけれど、私はもう少し家庭的な方法を提案したい。傅晋フー・ジン国公には年若い子供がいるって聞いたことがあるわ。彼らのために、教育的な商品や健康に良い品を提案することで、家族ぐるみで自然に関わることができるんじゃないかしら?彼の家族への関心を引けば、傅晋フー・ジン国公自身も自然にアレクに興味を持つはずよ」と彼女は前のめりに続けた。


 窓辺へ歩いたリリアンは、夜気の冷たさを頬に受けて振り返る。

 「それなら、特別な贈り物を持っていくのも良いんじゃない?例えば、ここでしか手に入らない珍しい薬草とか、武具の部品とか。ちょっとした物でも、彼が感謝してくれれば、取引を始めるきっかけになると思うわ!」と弾む声で言った。


 バルガスは腕を組み、皆の顔を順に見渡す。焚き火の赤が頬を照らし、影が壁に揺れる。

 「ふむ、皆の意見を合わせると、アレクが交易商人として取引の話を持ちかけ、同時に健康や家族、教育にも関心を示すのが自然な流れかもしれんな。どれも傅晋フー・ジン国公にとって関心のある事柄だろうから、無理なく接触できる」と彼は結んだ。


 アレクは掌を軽く握り、胸の鼓動をひとつ数える。湿地の匂い、薪の熱、仲間の視線――そのすべてが背中を押した。

 「そうか……まずは交易商人として取引を持ちかけ、そこから自然に家族の健康や教育の話を進める。ありがとう、みんな。これなら無理なく傅晋フー・ジン国公と知り合えそうだ」と彼は息を吐いて頷いた。


 そして、視線をリサへ向ける。

 「リサさん。傅晋フー・ジン国公の家族構成を知らないか?」とアレクが続けた。


 「子どもたちの名前までは知らないけど、大人たちの名前と年齢は知っているわ。紙に書いておくわね」とリサは頷き、紙と筆を手に取った。


 (家族構成については、【作品概要・脚注※③】を参照されたい)


 「第一夫人:沈月シェン・ユエの長男の名前は知っているぞ。酋長だからな。傅候信フー・ホウシンと言うんだ」とバルガスが思い出すように言う。


 「第二夫人:林肖リン・シャオ さんの次男の名前は、傅候蓮フー・ホウレンと言うのよ。私と同級生で18歳なの」とマリーナが続けた。


 「私も次女の名前は知っているわ。同級生だからね。傅麗信フー・リーシンと言うのよ。16歳なの」とセリーナが補った。


 「私達が傅候蓮フー・ホウレン傅麗信フー・リーシンを明日の昼食に誘ってみるわ」とマリーナとセリーナが声をそろえる。


 「第二夫人の林肖リン・シャオ さんも一緒に誘うんだぞ」とバルガスが指示した。


 「それが良いな。僕も何かプレゼントを用意しておこう。何が良いかな?」とアレクは包みの中身を思い描くように言った。


 「傅候蓮フー・ホウレンには武器が良いと思うわ。傅麗信フー・リーシンには宝飾品が良いと思う」とマリーナとセリーナは即座に提案した。


 「皆にも明日何か贈るよ。期待していてね」とアレクは微笑んだ。


 夜は更け、山砦の梁が温まった空気を抱え込む。皆は静かに席を立ち、明日への用意に散っていく。外の湿地では月光が水面を銀に染め、葦の葉がさやさやと擦れ合った。


後書き

もてなしの核は好みを当てることである。記憶の味は信頼の合図になる。後編では、贈り物とさりげない助力が具体の絆へと変わり、次段の正式交渉に道が開ける。

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