第10話(中編)――「罰と庇護の線引き」

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『エルデン公爵家の末子』(第九章第10話)の【登場人物】です。

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『エルデン公爵家の末子』(第九章第10話)【作品概要・脚注※】です。

https://kakuyomu.jp/users/happy-isl/news/7667601419837622757

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前書き

トーマスの前でバルドとエルザが陳情するが、王は「火縄の安定化はエルザから」「銃身内仕上げはレオナルドから」と既に核心を得ていることを明言し、遅い釈明を退ける。バルドは失脚・処刑、エルザは子どもたちの助命を懇願し、自らは王の側女となる選択を申し出る。トーマスは一族皆殺しを退け、エルザを迎え、子どもたちと実家を保護・再編する。夜、ヘレナが謁見し、東海岸の列島の向こうに広がる大陸の話を語り、1月20日出立の探索計画が形になる。


本文


 王宮。絹の帳が音もなく垂れ、外廊の冷気が扉の継ぎ目から細く入り込む。トーマスの居室には、金属器の淡い反射と書類の紙の匂いが満ちていた。


 やがて、衛士に伴われてバルドとエルザが進み出る。床に膝をつく音は低く短く、緊張は張り詰めた弦のようである。トーマスは沈黙したまま視線を落とし、その冷たい光は動かない剣の切先のように二人を射抜いた。


 バルドは口を開き、ひとつ、またひとつと火縄銃の秘密を語り始める。

 「火縄の安定性と均一な燃焼については、特別な繊維と硝石液を用いるのですが……」


 王の手が、静かに上がった。

 「それはエルザから聞いた。もうそれ以上は聞きたくない」とトーマスは言った。


 空気がひやりと揺れ、バルドの喉が鳴る。つづけて彼は「銃身の内部仕上げ技術」へ踏み出そうとした。だが、王の手は再び上がる。

 「そのことも既に聞いた。レオナルド・クレメンテからだ。それ以上は聞きたくない」


 追い詰められた男の胸に、最後の言葉が残る。「トリガー機構の改良」。そこへ、冷徹な声が落ちた。

 「そのことはまだ知らないが、もうお前の口からは聞きたくない。何故なら、お前はもう俺の部下ではないからだ」


 その一言は、冬の水面に落ちた鉛のように重く沈み、波紋を残さなかった。命は言葉の次の瞬間に断たれ、王命に従い衛士が職務を全うする。


 静寂の中、エルザは床に掌をつき、声を振り絞った。

 「子どもたちの命だけはお助け下さい!」


 王の顔には何の感情も浮かばない。時間が伸び、灯の炎がわずかに揺れる。エルザは唇を噛み、覚悟を結晶させた。

 「私がトーマス様の下に参ります。その代わりに、どうか子どもたちの命を助けて下さい」


 沈黙は短い刃のように鋭かった。やがて王が言う。

 「国王を欺いた罪は重い。本来ならば、バルドだけでなく一族郎党皆殺しにするところだが……。俺にもエルザに惚れた弱みがある」


 言葉の温度が、凍った部屋にわずかな温を差しこむ。つづけて宣言が置かれる。

 「エルザ、お前を側女に迎える。また、お前の子どもたちと実家の全員を俺の部下にする」


 エルザは深く頭を垂れた。涙の塩が唇に触れ、胸の奥で安堵と痛みが交錯する。ここに、罰と庇護の線引きが明確に刻まれたのである。


 ◇ ◇ ◇


 同日、夜。王都セリカンの灯は高窓に小さく揺れ、私室には洗い立ての布の香と蜜蝋のあたたかい匂いが満ちる。


 扉がしずかに開き、ヘレナ・ガンナスが入る。白のトップスは輪郭を清潔に縁取り、緑のレギンスが脚の稜線を引き立てる。健康な体温と自信が、彼女の歩みに確かな影を与えていた。


 トーマスは立ち上がり、一歩、また一歩と距離を詰める。

 「ヘレナ、君は本当に見事だ。君の美しさは、ただ外見にとどまらず、その自信と自然との調和にある。君のような女性がそばにいてくれることが、どれほど心強いか、言葉では言い尽くせない」


 ヘレナは唇に笑みを灯し、赤の彩りが顔の温度を上げる。

 「トーマス様、ありがとうございます。お言葉が私にとってどれほど嬉しいか、胸が熱くなる思いです。私は、トーマス様のために全力を尽くしたいと思っています」


 王はその手を取り、脈の鼓動の確かさを掌で受け止める。

 「ヘレナ、君の存在は私にとって特別だ。君がそばにいるだけで、私は力を得ることができる。これからも君のそばで共に歩んでいきたい」


 ヘレナは静かに頷いた。ふたりの間に交わる呼気は、冬の夜気をやわらげる灯のようである。


 ◇ ◇ ◇


 やがて、語らいは東の海へ向く。窓の外、海風の匂いがわずかに運ばれ、帆布の記憶が部屋の壁に浮かぶ。


 「御殿様。東の海岸へはもう行かれましたか?」とヘレナ。


 「いや。まだ行ったことがない。何か面白いものでもあるのか?」とトーマス。


 「ガンナ国の東海岸から、小さな列島(【作品概要・脚注※①】を参照されたい)が連なっており、激流のため誰もそこから先へ行ったことがないそうです。私は子供の頃父に連れられてその先に行ったことがあり、父親からこの島はガンナ国より遥かに大きいと聞きました」とヘレナ。


 「面白そうだな。良し、1週間後の1月20日からから行ってみよう。火縄銃の研究は他の人間に任せて、お前たちを連れて遊びに行こうじゃないか?」とトーマス。


 「父や一族の者も連れて行ってよろしいですか?国外追放になった次男アレクサンドロス・ガンナスも連れて行ってやりたいのですが?」(【作品概要・脚注※②】を参照されたい)とヘレナ。


「アレクサンドロスはいくつになった?」とトーマス。



 「15歳になったばかりです」とヘレナ。


 「まだ幼いな。良いだろう。国外追放は解除してやる。俺の部下として同行させよ」とトーマス。


 「有難うございます。殿様。感謝いたします」とヘレナ。


 潮の気配が、遠い冒険の輪郭を運ぶ。決意は静かに固まり、部屋の灯は揺らぎながらその誓いを見届けた。


後書き

中編は『裁きは冷厳に、庇護は公正に』を示した回で、秘伝は力で奪うのではなく信義で渡るという統治の原則がはっきりする。同時に外海探索という新しい目標が置かれ、物語のベクトルが内政から外へ広がる。

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