あの日掴みたかったものは、もう届かないけれど……

霜月

第1話 出会い

 走るのが大好きだった。

 でも、その事に気がついた時にはもう大人になりすぎていたんだ……。


 彼女を初めて見たのは近所の公園だった。

 仕事を辞め、職探しもせずふらっと立ち寄ったその公園で彼女は走っていたんだ。

 冬場だと言うのに長ジャージに半ズボンの組み合わせで、まぁ元気なものだと俺はのんびりとベンチからその様子を眺めていた。

 端から見たら通報されるかもしれない。

 けどそんなの当たり屋もいいとこだ。

 先にいたのは俺なんだ。何人なんぴとたりとも俺の自由は邪魔する権利はない……と言いたい。

 そんなこんなでほどよい日差しを浴びながら、彼女の練習風景を眺めていると、唐突に彼女が俺の方に近付いて来る。


『ヤバい……ガン見し過ぎたか』


 強気な気持ちではいるが通報されたら、何て言い訳をすればいいのか。

 通報されなかったとしても、直接注意されればヤバい奴認定で、どの道もうこの公園には来れなくなる。

 咄嗟に目を逸らし、さも何事もないかの様に振る舞うが上手くはいかない。


「こんにちは!最近よくここら辺にいますね!」


 なんて明るい満面の笑みだ。今の燻った俺には眩しすぎる。

 そんな彼女に俺は逃げる事も出来ず挨拶を返す。


「やぁこんにちは。まぁちょっと休暇が出来てね。キミは自主練か?」

「はい!」


 自然な感じで返す事が出来た。

 このまま話が終われば万々歳。

 そう思っていたのだが、願い通りにはいかない。


「夏には引っ越すことになって……。ここでの大会は最後だから。悔いは残したくないんです」


 無理に笑っているのが分かる。

 もっと皆と一緒にいたいのだろう。

 当たり前だ。中学生という時期に友人と別れるのは、耐え難いに決まっている。

 だが、だからと言って俺に出来ることはない。


「そうか。じゃあ頑張らないとな」

「はい!」


 あるとすれば、応援の言葉を投げ掛けることくらいだ。


「ほら、こんな所で喋ってないで練習してきな」

「えー、今日はもう終わりですよー。帰らないと」


 確かに。もう夜も遅くなってきた。子どもが一人でいたら危ないかもしれない。

 というか見ようによっては俺が不審者なんじゃないのかと気付くと途端に脂汗が出てくる。


「そ、そうだ、早く帰りなさい!親御さんが心配している!さぁ早く帰ろう帰ろう!」


 俺は率先して立ち上がると、その場を去ろうとする。


「どうしたんですか?そんなに急いで」

「もう遅いからな俺も帰らないと」

「そうですか」


 少女はどこか納得していない様子を見せながらも、後をついてくる。

 何とか最悪な展開は切り抜けられた。

 俺はこの状況に安堵していた。

 そして公園を出ると少女とは別の方向へと歩いて行く事になる。

 送っていけと思われるかもしれないが、面倒事はゴメンだ。

「じゃあな」と手を挙げ、格好良く別れを告げ、俺は足早にその場を去る。

 もうこの公園には来ないでおこう。

 そう思ったのだが、やはり物事というのは上手くいかない。


「じゃあねーおじさん!また明日ー!」

「誰がおじさんだ!まだ25だ!」


 流石にまだおじさんと呼ばれるには心が決まっていない。

 キレる俺の姿に、少女はヘヘッと笑う。


「25のおじさんまた明日ー!」


 わざとやっているな。

 無視を決め込み歩いて行くが、俺がダメージを喰らった事を理解しているのか、少女は嫌がらせの様に連呼してくる。


「おじさん、明日も来てよ!ねぇ、おじさん!おじさんってば!」

「わーったよ!いいか、俺はおじさんじゃねぇ!太郎だ!分かったな!」

「はーい」


 振り返り、少女に指を差し指摘すると、少女の顔には満面の嫌味ったらしい笑顔が張り付いている。

 してやられた。そう理解した時には手遅れだった。

 俺は差した指と共に項垂れる。


「約束だからね!25の太郎さん!」


 少女は手を振り、走り去っていく。

 何故か懐かれてしまった。だが悪い気分ではない。

 憂鬱な曇り空の中から覗いた太陽に照らされた様に、俺の心は少しだけ清々しくなった。

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