第23話:静かな祝福

魔王領の山間にある静かな村。春の風が木々を揺らし、花々が穏やかな陽光に包まれていた。かつての戦乱を想起させるものは、どこにもなかった。


レティシアは、村外れの小屋で目を覚ます。窓の外には畑が広がり、小さな子どもたちが笑いながら駆け回っている。


「おはよう、レティシア」


振り返ると、クルーゼが木の扉を開けて入ってきた。手には野菜の入った籠を抱えていて、その表情は以前よりもずっと柔らかい。


「今日も市に出るの?」


「いや、今日は畑の手入れをしてから、村の巡回だ。盗賊が出たって話があってな」


「相変わらず、魔王らしくないわね」


「元からそんなに偉そうな柄じゃなかったさ。――お前に出会う前は、ちょっと背伸びしてたけどな」


レティシアは小さく笑い、籠の中のトマトを一つ手に取る。


「……幸せね、今」


それは心からの言葉だった。


争いも、陰謀も、偽りの運命もない。ただ、目の前にある温もりだけを感じながら生きている。それだけのことが、こんなにも尊いのだと知った。


あの頃、乙女ゲームの世界に転生した自分は、破滅を回避するために必死だった。だが今は、逃げるためでなく、共に歩むために生きている。


「この村、好きよ。静かで、優しくて、誰も肩書きを気にしない」


「お前が望んだ平穏だろ? ここならそれが手に入る」


「ええ。でも……それだけじゃないわ」


レティシアは、籠の野菜を並べながらぽつりと呟いた。


「私、自分が誰かの役に立てることが嬉しいって、ようやく分かったの。聖女でも貴族でもなく、ただの“レティシア”として」


クルーゼはその言葉に目を細め、彼女の肩にそっと手を置く。


「じゃあ、そいつがこれからの名前だ。“魔王の隣に立つ者”、それが、お前の本当の肩書きになる」


「なんか、それも少し恥ずかしいわね……でも、嫌いじゃないかも」


二人は顔を見合わせて、静かに微笑み合う。


遠くで鐘の音が鳴り、昼の訪れを告げた。村の人々のざわめきが風に乗って届き、どこか祝福の音色に聞こえた。


争いの果てに得たものは、壮大な勝利ではなく、ささやかな幸せだった。


けれどそれは、きっと誰よりも価値のある“未来”だった。


レティシアは空を見上げる。


透き通るような青空の下、彼女の心は晴れやかだった。


「ありがとう、クルーゼ。これからも、よろしくね」


「こちらこそ。……長い旅だったな。でも、ようやく一緒にいられる」


静かな祝福の中、ふたりは肩を並べ、新たな日常へと歩き出した。


そしてその物語は、まだ名もなき未来へ続いていく――

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