第2話
しかし次の日も、その次の日も由衣が夕食時にホールに姿を現す事はなかった。
そればかりか、僕の病室に遊びにも来ない。
さすがに心配になったものの、僕は由衣の入院している病室を聞いていなかった為、覗きに行くことも出来ない。
いや、正確には出来なくもない。
同じ病棟の同じ階に入院しているのだから、小児科に割り当てられているスペースにある病室を覗いて回れば確認ぐらいはできるのだが。
しかし二十代の男が一人、小児病棟の病室を覗きながらウロウロしていたら怪しまれる事は確実だ。
子供の付き添いをしているお母さんやお父さん達に変な目で見られるかも知れないし、変質者じゃないかなんて噂がたったらたまったものじゃない。
そう言えば、由衣はもっと幼い頃から入退院を繰り返していると言っていた。今回も体の調子が回復して退院したのかも知れないのだ。
だとしたら、何も言わずに退院して行った事に一抹の寂しさを感じながらも、仕方がない事として受け入れるしかない。
元々入院した病院が同じで、たまたま出会って一緒に夕食を食べる仲になっただけで、さほど特別な間柄な訳ではない。
ただ偶然出会って仲良くなった少女の為に変質者呼ばわりされるかも知れない危険を冒す事はないと、僕は自分を納得させた。
由依は来ないものの、一人病室で食事するのも味気ないと思い、その日も僕はホールで夕食を食べる事にした。
ホールには面会に来た人と歓談している患者さんが数名いる。
いつもの席に座って窓の外に目をやると、韓紅花に染まった空が広がっていて、狭い病室では得られない開放感を感じながら夕食を食べ始めた。
「あの…倉持さん。お食事中すいません」
ホールのテレビを観ながら夕食を食べていると、ふいに声をかけられた。
口の中に脂分が抜けてパサパサになったタラの煮つけを入れたまま、声のした方へ目を向ける。
やつれた顔をした女性が僕を見つめていた。
化粧っけはないが整った顔立ちで、間違いなく美人の部類にはいるだろう。
それは由衣のお母さんだった。
多分退院したのだと思っていた由衣のお母さんが、この時間にホールにいて僕に声をかけている事に戸惑った。
「由衣ちゃんのお母さんですよね?最近由衣ちゃんを全く見かけてなかったので退院したんだと思ってました。また入院されたんですか?」
すると、由衣のお母さんは遠慮がちに言葉をつづけた。
「いつも由衣がお世話になっていたのに、ずっとお知らせも出来ずに申し訳ありませんでした」
そう話すお母さんの顔には生気がなく、僕の胸の中に言われようもない不安の影が渦を巻いた。
「そんな事はないですよ。僕の方こそいつも由衣ちゃんに楽しく遊んでもらって感謝してます。由衣ちゃん、どうかされたんですか?」
胸に去来する不安感を否定するかの如く、僕は努めて明るく由衣のお母さんに聞いた。
「実は…由衣の容態が思わしくないんです」
「どういう事ですか?」
そこから由衣のお母さんが話した事は、僕の想像を絶していた。
「由衣は…白血病なんです。完治できるのか分かりません。いえ、それだけじゃなく、この先何年生きる事が出来るのかも分からないんです」
お母さんの話では、由衣は現在『移行期』と呼ばれる白血病を患っているらしい。
白血病には『慢性期』『移行期』『急性転化期』と言われる進行状況があるらしく、由衣の白血病は、慢性期での発見が遅れ、移行期での発見となったそうだ。
昔は白血病は不治の病とされていたが、現在の医学では生存率も高くなり、完治と言っても良い程までに治療率が高くはなっているそうだが、実は『骨髄性』や『リンパ性』など様々なケースがあり、長期の治療を必要とし、病気が再発したり『慢性』が『急性』に転じる場合もあるそうだ。
その為、一時は良くなったとしても、ひと時も気を抜く事が出来ない予断は許されない病気であるらしい。
僕はまるでテレビドラマを観ているような感覚でその話を聞いていた。
「由衣が…由衣が倉持さんに会いたがってるんです。あの子、お兄ちゃん、由衣が一緒にご飯食べてあげられないから凄く寂しがってると思うの。なんて言ってるんです。きっと本当は倉持さんに会えないのが凄く寂しいんだと思います。…もしも良かったらですが、由衣に会ってあげてくれませんか?」
むろん僕はすぐにそれに同意し、お母さんと一緒に由衣の病室に向かった。
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