02.実験
いまから実験を行います。
いくつか単語を読み上げるので、その後に続く質問に、正面を向いたままお答えください。
では、始めます。
白い部屋
軋む階段
ぐちゃぐちゃの笑顔
目には見えない雲
暗い森
誰かの囁き
夜中の電話
目が合う感覚
影だけの人
開かない扉
冷たい指
足りない数
染み
這う音
笑い声
では、質問です。
1.昨日の夕食は何でしたか?
2.ポケットには何が入っていますか?
3.今、部屋には何人いますか?
4.あなたの後ろにあるものは何ですか?
* * *
「ラーメン、財布、ふたり、デスク」
スマホを眺めながら問いかけてきた後輩に、わたしは応えました。
職場には、後輩とわたしのふたりきり。残業中、気分転換に雑談していたときの話です。
「これ、とある実験なんですけど……単語を聞いたあとに質問をされると、脳が勝手に関連づけちゃって、妙な違和感を覚えるんですって。で、どうですか? 何か感じるものとかありましたか?」
後輩は、聞いてもいないのに楽しそうに語ります。
(ほんとオカルト好きだな、こいつ)
内心そう思いつつも、わたしは問いかけました。
「確かに気味は悪かったけど、怖いとかは別に……特段、感じなかったな。それで、この実験がどうかしたの?」
「実は、この実験の本筋はそこじゃないんです」
後輩は、嬉しそうな表情をうかべながら続けます。
「同じ人に、何度もこの実験を繰り返すと……最後の質問、『あなたの後ろにあるものは何ですか?』に対する答えが、どんどん歪んでいくみたいなんですよ」
「え?歪む?」
虚を突かれたわたしは、反射的に質問してしまいました。
「すみません、表現が曖昧でしたね。正しくは“変容していく”って感じですかね。最後の質問に対して、被験者は毎回違うものを答えるみたいです。それも、どんどん抽象的になっていく」
「……というと?」
「“後ろにあるもの”に対する答え……最初は“壁”とか“扉”とか、実際にあるであろうものを答えるんです。でも、同じ実験を頭からもう一度行うと、“空気”とか“気配”とか、そんな抽象的なものを答えるようになる。──そして最後はみんな、口をそろえて“誰かがいる”って答えるようになるんですって」
後輩は、いつになく楽しそうに語り続けます。
「何十人もの被験者を集めて実験を行った結果……一周目では、“誰かがいる”なんて答える人は一人もいなかったのが、二周、三周と繰り返すうちに、“何かの気配”とか、“誰かいるかも”とか、そんなふうに答えはじめる。そして、最終的にはほとんどの人が、“誰かがいる”と断定するようになる。──面白くないですか? この話」
「……作り話だよね?」
あまりに突飛な話だったので、つい訊ねてしまいましたが……それまで織り込み済みだったのでしょう。後輩は、「作り話に決まってるじゃないですか」と半笑いで答えました。
「そもそも、『あなたの後ろにあるものは何ですか?』って聞いているのに、“気配”とか“誰か”とか、モノじゃない抽象的なことを答えるのが不自然ですしね。詰めが甘いですよね、この話を作った人も」
オカルト好きなのに、妙に懐疑的な様子です。
「まぁ確かに……少し変だよね。なんか、『怖がらせてやる!』って狙ってる感じが見え透いてるというか、そんな感じがするかも」
そう返すと、後輩はなにか思いついたような素振りで、こう提案してきました。
「せっかくなので、試してみましょうよ」
「え……?」
「1周目はさっきやったじゃないですか。なので、次やれば2周目ですし。まさに実験ですよ、本当に答えが変わるのか。じゃあ読み上げていきますよ? 白い部屋、軋む階段、ぐちゃぐちゃの笑顔……」
わたしは少し焦り、後輩の読み上げに割り込みます。
「いや怖いって、やめろよ! それにネタバラシしてるんだから、答えが変わるわけないじゃん」
「ははは、そんな焦らないでくださいよ。冗談ですよ、冗談。先輩も怖がりだなぁ」
後輩は、満面の笑みをうかべて笑いました。
場の空気が和やかになったところで、気付けばもう終電も意識しはじめる時間。雑談に気を取られて、全然企画書が進んでいない。これは今日も泊まりかな……そんなことを考えながら、互いにまだまだ終わりの見えない仕事の続きに戻りました。
* * *
……あの日のことは、たまに思い返します。
後輩が、「白い部屋、軋む階段、ぐちゃぐちゃの笑顔」と読み上げはじめたとき。
ただの偶然、気のせいだとは思うのですが、うっすらと……背後に“何か”の気配を感じてしまいました。
──ときどき、思います。
あれは本当に、ただの作り話だったのでしょうか?
このことは、いまだに後輩には言えずにいます。
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