やさぐれ宇宙なんでも屋リコ
錯千メイハ
第1話:ここから無事では帰せませんから。
小惑星帯の外れ。
彗星墓場と揶揄される地帯の一角に、希少な水棲生物群の保全目的で設けられた搬入口がある。
男はそこに小型宇宙艇を停めると、警備用ドローンに導かれるまま青黒い半円形の回廊を歩いていく。
奥まったところに登録制の宇宙探偵事務所の、看板も無い裏口が控えている。
ここがツノ付きと呼ばれる生物を捕獲している怪しい組織の隠れ蓑だという噂もある。もちろん真偽は定かではないが、こうした話はいつの時代も絶えないらしい。
「……行くしかない。ここで立ち尽くしてても、どうしようもないしな」
男は自分に言い聞かせるように小さくつぶやくと、意を決して扉を押した。
ガタリ……。
扉がきしむ音とともに、内部の様子がちらりと見えてくる。薄暗い通路に、青白く発光する観葉植物が揺れている。途端に、先ほどの外気よりもさらに重たい生温い空気が、濃密な霧のように飛び出してきて男の身体を包んだ。不気味だ。
「こんにちは。宇宙探偵事務所です。ご用件は?」
カウンターの奥で、少し低めの女性の声が響く。名札にリコと書かれた女性が座っている。頭に生えた二本のツノが、赤味を帯びた暗闇の中でくっきりとシルエットを描いている。
長く結んだ髪はきっちりとまとめられ、鋭い眼差しと背筋の伸びた立ち姿からに最初こそ目を奪われたが、すぐに不安がよぎった。
「探偵様ですか? ライセンスの提示をお願いします」
どこか事務的な、それでいて尊大にも聞こえる口調。
男は一瞬息を飲みかけながらも、無表情を装ってポケットからシンプルなカードを出した。写真も特記事項もない、何とも頼りないほど簡素なライセンス。
「……これです」
「ありがとうございます。それではご本人確認のため、いくつか秘密の質問をさせていただきますね。──面倒ですよね、すみません。正直、私もこんな仕事はあまり好きではないんです」
彼女はそう言って、手元に置かれた薄型の端末をトントンと叩いた。鍵盤の代わりに空中ディスプレイが浮遊しており、彼女の指先が滑るたびに小さな機械音が断続的に響く。まるで木琴のリズムのようにも聞こえるが、それはこの建物独特の音響設定のせいかもしれない。
軽く眉間にしわを寄せているのは職務に対する不満か、それともこの軽い警戒か。いや、もしかしたら単に湿気がうっとうしいだけかもしれない。
「大丈夫です」
男はすぐさま返答する。
──不意に電灯が一瞬だけ明滅した。さっきまでの薄暗い廊下が闇に沈みかけて、すぐに光を取り戻した。
「またか。ごめんなさい。ここの電源供給、いつも不安定なんですよ。湿度のせいで配線がすぐダメになるし、修理は上がやってくれないし。まったく、勘弁してほしいです」
「お気遣いなく」
「失礼しました。──では、質問を始めます。まず、生まれ故郷は?」
「惑星クオンガです」
受付の指先が端末の上を滑る。キーを叩くたびにカチリカチリと機械的な音がした。
「ああ、クオンガ。ツノ付きの多い地域ですよね。──いえ、捕獲とかそういうのは時々耳にするんで。ここも同じだと思われたら大迷惑、っていうか」
妙な言葉が混じった気がして、男は一瞬ぎくりとする。実際のところ、この事務所の正体はどうなんだろう。でも、彼女はきっぱり「大迷惑」だと言った。つまりここは違うのか。男は少し安堵しながらも、彼女が抱えている鬱憤の一端を感じ取って申し訳なく思った。
「いいんですよ。どうせ私はツノが生えてるってだけで、あちこちで『あんた大変ね』とか『危ない組織に狙われない?』とか訊かれてヘトヘトです。疲れますよ。──ああ、ごめんなさい。つい愚痴が口をついて出ちゃうんです。でも、その優しさはありがたいです。まあ、別に同情なんていらないですけど。でもやっぱり優しくしてくれるとうれしいです」
「……はい」
「次の質問です。飼っているペットの種族は?」
「ペット、ですか? ええと……」
男はそんな情報があったかと一瞬混乱する。なにしろ彼自身、このライセンスの持ち主である“クロウ”について、全く記憶がない。日誌にあったわずかなパーソナルデータを除けば、何もわからない。──その不安が一気に襲いくる。いや、ここで焦りを見せてはまずい。
「うーん……」
「やっぱりアザラシモドキでしょうか。クオンガの定番ペットですよね。まぁ、私は可愛いと思ったことないですが」
彼女は淡々としながらも口元を少し曲げる。どうやらアザラシモドキに対してあまり良い印象を持っていないらしい。それでも、この質問に対する“正解”はそれしかないようだ。
「……アザラシモドキ、です」
その瞬間、彼女は舌打ちに近い短い音を漏らしながら端末の入力を再開する。カチカチというキー音が再び廊下を満たした。まるで電子音の子守唄のようだ。男はその不気味な調和に、思わず背筋を伸ばす。
「はい、認証は通りました。奥の部屋へどうぞ」
彼女はあっさりとそう告げて、カウンターの端を押し開いた。そこには金属製の床が見える。半透明のゲートが自動でスライドし、涼しげな電子音を立てながら道を示した。
「本当に今のでいいんですか?」
「ええ。あまり時間かけると、こっちも嫌になりますからね」
彼女は肩をすくめる。
まるで、「もう手間を増やさないでほしい」と言わんばかりに。だが、それでも彼女が不服を感じ続けている気配は残る。
彼女はあっさりカウンターを開けて男を廊下の奥へ通す。
「エレベーターで地下に降りる形ですが、足元にはお気をつけて。私なんか躓くはツノが天井にぶつかるわで毎日ストレス溜まるんですからね」
「それは、大変ですね」
「大変なんてものじゃないですよー、ここのところ不眠続き。でもまあ、仕事なんでね。──でも聞いてくれてありがとうございます。助かります」
彼女の声に微妙な震えが混じるのを感じ、男は少し胸が痛んだ。
その時、小型のロボットがゴロゴロと車輪を鳴らして二人の足元をかすめた。先端に水中カメラのようなレンズが取り付けられており、何やら周囲を観察している。胴体部分には小さなヒレのようなパーツが見えている。
「かわいらしいですね。小型のペットロボットですか?」
「今のがアザラシモドキですよ。お客さんからお土産でよくもらうんです。見た目は可愛いって言う人もいますけど、私はねぇ……あ、それと大事なことが」
ツノのラインが廊下の淡い非常灯でくっきりと浮き上がる。
「ひとつだけ。もしこれが偽造ライセンスだったら、もう返還できませんから。身柄」
男はその言葉に、喉の奥で唾をひとつ飲み下した。
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