第13話 もっと話がしたいんだ


 俺としては、遠乗りは非常に楽しい時間だった。


 ディアンが、「あ、あそこにリスが」「この森ってこんなに緑が濃かったんですね」「父上の馬は、とても賢いんですね」などなど、絶えず話しかけてくれるおかげで、俺は動物があちこちに潜んでいることに気付けたし、自然にあふれた場所がこんなにも気持ち良いものだと知ったし、馬を褒められてとても誇らしくなった。

 途中でカーラが代わりに乗ったのだが、この子も「たかいたかい!」「すっごくかわいいです、このお馬さん」「うふふー、おとうさまといっしょ」などととんでもなく可愛いことばかり言うので、もんどりうっていた。心の中で。盛大に。表に出していたら変態扱いされていたかもしれない。

 ただ。



 通常一時間で着く湖への到着に、五時間かかった。



 それだけが問題である。もはやお昼をとっくに通り越して三時のおやつに近い時間だ。

 つまりは、屋敷に帰る頃にはすっかり暗くなっているというわけで。



 ――俺の体、ポンコツ過ぎない?



 普段は颯爽さっそうと乗りこなせる馬に、ディアンやカーラがいるだけで固まるこのポンコツ体。馬にもそれが伝わったらしく、ぱか……っ、ぱ、か……らっ、と、一歩一歩進む足が牛歩であった。

 馬の負担が半端ないため、途中で何度も休憩を入れた。愛馬には後で感謝を込めて餌を奮発しまくろうと思う。

 だが、苦労して来た甲斐はあった。


「わあ……っ!」

「きれいです! みずうみって、こんなにキレイなんですね!」


 屋敷の近くの森を抜けた先は、ちょっとした湖の名所だった。

 きらきらと日差しを受けて反射する湖面は磨き抜かれた鏡よりも美しく、その周りに咲き乱れる草花は色鮮やかで、見る目を楽しませてくれる。遠くを見れば雄々しい山々がどっしりと連なり、その山頂をかすめていく真っ白な雲は悠々と流れてまっさらな青空を彩る。

 清らかな風が肌や髪先を撫でて笑うこの空気は、とても気持ちが良い。生前は雑多とした街に住んでいたから、ここまで自然豊かな場所は俺も初めてだ。心が弾む。


「父上! 魚がいます! ずかんでしか見たことない魚が、いっぱい泳いでいます!」

「おとうさまー! このお花、とってもかわいい! おにわで見たことがないものがいっぱいです!」


 ディアンもカーラもそれぞれ興味あるものに興奮している様だ。ディアンは持参していたスケッチブックで模写を始め、カーラも色んな花を指先でつついたり撫でながら楽しんでいる。

 こんなにはしゃぐ子供達、見たことが無かった。五時間かけて来た甲斐があった。俺の体がポンコツでなければ、毎日でもあちこち出かけるのに。

 ぎぎぎ、と無表情で歯ぎしりを鳴らし始めた俺に、ブランシュが「やれやれ」と呆れた様に肩をすくめた。俺もそれがやりたい。俺の体に対して。


「ディアン様、カーラ様。さすがにお腹もおすきでしょう。一緒に遅いお昼を食べませんか?」

「「たべる!」」


 綺麗に声が重なった。微笑ましい。兄妹の仲も良くて何よりだ。きっと俺に見放されていたから、二人とも手を取り合って生きてきたのだろう。――その事実に、泣くと同時に俺の体をボコボコにしたい衝動に駆られる。自分で自分を殴れないのが腹立たしい。

 ブランシュをはじめとする使用人達が作ってくれた昼食は、サンドイッチにパニーニやクロワッサン、マカロンと全て手で食べられるものだ。今度おにぎりを作ろう。こちらの世界では、米はあるのに何故かおにぎりというものが無かった。パンと違って手で食べるという発想が無いのかもしれない。

 いただきます、と手を合わせてみんなで食べ始める。――そういえば、この世界でも食材に感謝をして手を合わせる、という文化が根付いていた。西洋風の世界なのに、文化は日本式も混ざっているんだなと面白くなる。


「おいしいー!」

「サバと玉ねぎの、おいしいです!」

「おにいさまは、サバがお好きね」

「カーラはフライばっかり食べないで、野菜もたべなさい」

「むー」


 色々言い合いながら、競う様に子供達が食べていく。

 確かに、香ばしい鯖としゃきしゃきっとした玉ねぎのハーモニーが絶妙だ。レモンでさっぱりと統一されていて、生臭くも脂っぽくもない。魚と言えばツナのサンドイッチばかり食べていた俺としては、なるほど、美味しい、と発見だらけだ。

 白身魚のフライのサンドイッチも、ほくほくした感触とさくっとした衣の味わいが食欲を刺激する。タルタルソースといった定番から、ほのかにゆずが香る焦がし醤油っぽいソースや、レモンだけがふりかけられたものまである。どれも美味しい。俺の屋敷のシェフは天才ばかりだ。


「……どおおおおおおおおおおおおおれえ、も、……ううううううううううっままあままままああうまうま」

「おいしいですね!」

「おとうさま、フルーツサンドイッチもおいしいです! たべてください!」

「あ、ずるいぞ、カーラ。父上! 僕はチキンもおいしいと思います!」


 はいはい、と競って子供達が俺の紙の皿にどさどさとサンドイッチを置いていく。こんもりとちょっとした山になっていた。

 それが、子供達からのラブコールだと思うと感激する。同時に、俺のところにこんなに食べ物が置かれている状況が少し楽しくなった。



 ――前世の頃は、俺が真ん中だったから、いっつも取り合いに負けてたんだよな。



 兄は食欲旺盛。妹も欲しがり屋。

 二人がいつも競って、中央に置かれていた唐揚げやフライなどをぶん捕っていったため、俺の分が最初に取った分以外いつの間にか無くなっているということもザラだった。そのせいで両親に拳骨を落とされていた二人という光景も珍しくなかった。

 そんな時、二人は「食べるのが遅いからだ」と憎まれ口を叩いて謝らなかったが。



 後でこっそり、俺の好きなシュークリームや肉まんを買ってきて俺の部屋に置いていたりしたのだ。



 それが何となく嬉しくて、俺は特に不満は無かった。

 けれど。


 ――そうか。今は、こんな風に俺に食べ物をたくさん分けてくれる子供達がいるんだな。


 思ったら、何となく泣きそうになった。

 前世の頃の楽しくて優しい思い出と、今目の前にいる優しくて温かい心が、俺の涙腺を刺激した。


「父上?」

「おとうさま?」


 黙り込んでしまった俺に、子供達が心配そうに見上げてくる。「おきすぎた?」

「おしつけはだめだった……」と反省しまくる二人に、慌ててぶんぶんと首を振った。――実際は、一分かけて右に左に一回ずつしか振れなかった。悔しすぎる。


「うううううううううううううううれえええええ、うれうれしい、いいいいいいい」

「……!」

「ぜんんんん、ぶ、た、……べえええええええるっ!」



 ふんっ! と拳を握って気合を入れる。――ぐしゃあっと、握っていたサンドイッチが潰れたのはご愛敬だ。

 ふふふ、と子供達が楽しそうに笑う。

 潰れたサンドイッチを十分くらいかけて平らげている間に、ディアンは何か思いついたのか、スケッチブックに何かを描き始めた。

 カーラはそれを横で見つめ、次第にわあっときらきらした笑顔で興奮し始めた。

 一体何を書いているのだろう。

 気になってきた俺のじれったさを読んだ様なタイミングで、「できた!」とディアンがはちきれんばかりに叫ぶ。


「父上! 見てください!」


 じゃん、とわくわくした擬音が鳴りそうな勢いで、ディアンが俺にスケッチブックを見せてくる。

 そこにいたのは、俺とディアンとカーラだった。

 みんなでサンドイッチを囲み、楽しそうに笑っている。俺は無表情に近かったが、口元が少しだけ緩んでいる様に描かれていた。

 背景には湖面からジャンプしている魚に、日差しを受けてきらきらといっぱいに輝く水飛沫みずしぶき。雄大な山に、透き通る様な青空。


 天才だ。上手すぎる。個展を開いて自慢したい。


 何より、こんなに幸せそうにディアンの目には映っていた。その事実がどうしようもなく胸を締め付けて、暖かな喜びに満ちていく。


「どう、ですか?」

「ほおおおおおおおおおおおおおおおおしいいいいいいいいいいいいいいいいい!」

「え!」


 めっちゃ部屋に飾りたい。今までのディアンの絵も実を言うと飾りたかったが、三人の家族の絵を描かれたのは初めてだ。是非とも記念に飾りたい。

 あまりに欲し過ぎて、かっ! と目力が強くなってしまった。

 慌ててぐっと引っ込めるが、ディアンが何故かくしゃりと顔を歪めた。え。泣くの? どうして?


「……父上。僕、……ほんとうは、少し、こわかったんです」


 え。やっぱり俺の態度や目力やうなり声の様な声が恐かったのか。それはそうだ。子供だもんな。傷付きはするが、仕方がない。

 だが、次の言葉に頭を殴られた様な衝撃が走った。



「……僕、ついさいきんまで、あきらめかけていたんです。……父上は、……僕たちと話どころか、目をあわせてさえもくれなかったから」

「――」

「僕たちのかお、見たくないのかな、とか。声もききたくないのかな、とか。色々かんがえて、……カーラがいるからいい。僕は一人じゃない。そうおもってきたけど」



 でも、と。ディアンはぐっと唇を引き結んで、何かをこらえる様にしてから口を開く。


「でも、……はじめて、あいさつに返事があったとき。すっごくおどろいたけど……それよりもずっとずっと、うれしかった」

「……」

「カーラとも、あのあといっしょに話していたんです。父上が、はじめて声をかけてくれた。しかも、僕たちは父上の子供だって、言ってくれて。……びっくりして」

「……うれしかったの、おとうさま」


 あの、ひっどい挨拶と言葉を。こんなに喜んでくれていたのか。

 俺としては、「ああ」しか言えなかった上に、「可愛い」を抜かして、「俺の子供」しか言えなかった体たらくで頭を抱えていたのに。

 あの時、ブランシュはすごい進歩だったと言ってくれていたが、事実だったのか。愕然がくぜんとする。


「どうして、とか。いろいろ考えたけど。ブランシュが、『お父上は今、とてもこうかいなさっています。お話したいことがたくさんあったのに、さけてきたこと。だから、おそくても今から向き合うことにしたんだ』って。……だから」


 諦めるのを、もう少し先延ばしにした。

 それは、子供に言わせて良い言葉ではない。

 故に、俺は懐からゆっくりとものすごい大振りでスケッチブックを取り出した。ぶあさっと、ひときわ強く吹き付けた風で、スケッチブックの紙が少しだけばさつく。

 正直、長い文章を書ける自信が無い。

 だが、話す方だとよけいに長くは無理だ。

 なので、ぎりぎりとしながら必死にスケッチブックに書いた。ディアンやカーラが俺の手に集中している。正確には、文字に。

 多分、三十分くらいかかった。



『おそい。でも、おな、じ、こうかい、するなら、やって、したい。

 ゆるされなく、ても、はなし、したい』



 たった二文。

 されど二文。

 本当はもっと言いたいこと、書きたいことがいっぱいある。言葉が足りない。もっと伝えたい。

 だが今の俺のポンコツの体ではこれが限界だ。

 果たして伝わるだろうか。

 不安と恐怖に駆られたが、しかし文字を読んだディアンとカーラの顔は泣き笑いの様になった。



「最初から、おこってなんていません、父上っ」

「おはなし! わたしも、おはなししたい!」



 がばっと二人で抱き着いてきた。初日からは考えられない進歩だ。

 怒っていない。そう言った。

 怒ってもいいのに。俺なら怒る。

 いつか、もっと色んな感情を俺にぶつけられる様になって欲しい。

 願って、俺はブランシュの力を借りて、ぎゅうっと子供達を抱き締めた。


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