第26話

 ウルフが去った後のエリアA。その発電所の客間でエリアA区長のアヅマとエリアT区長のミクニが向かいあう。

 他に人はいらず、2人きり。

「ブラックオーク、逃がしちゃったんだって? 勿体ないことしたなぁ」

 ミクニは相変わらずの大口で、アヅマをいじる。

「見所のある若者でしたが、本人の意思ですので」

「俺だったらハーネスでとっちめて、無理くり従わせるぜ。そういうところだぞアヅマちゃん」

「よいではありませんか、結果としてエリアTから1名星石学園の合格者を出せたのですから」

「んー。ああ。まあ良かったことは良かったな」

 ミクニは客間のガラス窓からエリアAの発電装置を眺める。

 噂のこれを一度目にしたいと懇願したのはミクニからだ。エリアAからエリアTの者を推薦する手続きも必要だったので、アヅマは了承した。

「流れるプールは相変わらず楽しそうだなぁ。これって泳いでもいいのか?」

 やはり見下す目的で来たのだとアヅマは悟った。

「重要な施設ですので、どうかお控えいただければと」

「ふーん。そうかい」

 さして気に留めない様子でぼやく。

「俺はさあ、確かめたかったんだ。エリアAがいかほどのものか」

「はぁ」

 ミクニの意図がわからず、ただ相槌を打つ。

「正直にいやぁ、三次試験は圧勝だと確信してた。だから――」

 その男の名前を出すと、ミクニは悪魔に魅入られたように、酷薄な笑みを浮かべる。

「ゾクゾクしたぜぇ。マジで。ブラックオーク、あの野郎には肝を冷やされた」

「ミクニ区長……?」

「だってよ、エリアAに俺らより強いやつが居たら計画が狂っちまう。俺はリスクは取りたくねぇんだよ。アヅマちゃん、俺が一番好きなのは結果がどっちに転んでも俺が勝つゲームで、二番目に好きなのは俺の圧勝が決まってるゲームだ」

「貴方は何を言っている?」

 困惑するアヅマにミクニが振り向く。自分のイタズラを暴露する子供のように無邪気に笑った。

「俺は見極めたぜぇ、エリアAの価値を。そして見限った。この平和ボケした貧弱都市はサテライトには不要だとなぁ」

 ミクニが叫ぶと同時、彼のナイト。無口で赤髪のサテライトアウトが入室する。

 その姿は赤黒く染まり、開いたドアから、錆びつくような匂いが漂う。

「――区長、助けて……!」

 ナイトは右手に剣を持ち、その切っ先が施設の女性職員に向いている。人質ということだ。

「戦争なんて遠い世界の言葉だと誤解して、こんな重要な場所に他エリアの重鎮招いちゃってバァカじゃねぇの。そういうところだぞ、アヅマちゃん」

 自らの騎士を動かせば、エリアAに対抗できる人間はいない。その程度の都市だとミクニは断定した。そう、唯一の例外であるウルフさえいなければ。

「ミクニ区長、貴方の目的はなんだ」

 冷や汗を流しながら、アヅマが問うと、ミクニはガラスケースの中の緑色閃光を顎で指した。

「エリアAのコアを俺に寄越せ。あれは俺が有効に使ってやる」


    ◇    ◇


 軽い足取りで山林を闊歩するメイド。

「半年前のこと、あの泉で倒れていたソラ様を偶然通りがかった私が保護しました」

 ウルフと別れたあと、ソラはやはりあの泉に戻ってきたいたのだ。だが、今はそれよりも。

「ソラは生きているのか?」

「せっかちですね。それは私の住み家についてから説明いたします」

 メイドは俊敏な動きで山道を進む。只人ならざる動きだ。

「お前は何者なんだよ」

「外の生活に憧れてセントラルから抜け出した。はみ出し者のはぐれメイドであります」

「やっぱりサテライト、しかもセントラルからかよ」

 ウルフの読み通り、他の者と染みついた匂いが違うのだ。

「ソラ様は私の同士です。ソラ様も壁の外に憧れて、出家したとおっしゃっていました」

「ソラがそんなことを……」

 はい、と無表情のメイドは短く頷く。

「ウルフ様、私は貴方のことをお待ちしておりました。ソラ様の言づてに従い、毎朝あの泉に通い、貴方が訪れる日を辛抱強く、首を長くしてお待ちしておりました。その間、176日でございます」

「ご苦労だったな」

「そろそろ、この積もった恨みをどうはらすか勘案していたところです」

 着きました。とメイドが足を止める。そこは轟々と河川が流れる谷の底。

 谷底の裂け目に、隠れるように高床のペンションが建てられていた。

「こんなところに、エリアAにあるような建物があるとはな」

 相当な物好きでも、こんな谷底に立ち寄りはしないだろう。谷の上から見える位置でもない、秘境だった。

「こんなもんいつ誰が建てたんだよ」

「設計はソラ様。建てたのは私です。DIYが出来なければメイドとは名乗れませんから」

 セントラルを抜け出したハイスペックな2人の共作らしい。一般の村の建物と比較したら、これはもう豪邸だ。 ウルフが建物の中に足を踏み入れると、先に入ったメイドがスカートを持ち上げて礼をした。

「ようこそおいでくださいました。ウルフ様」

「ソラはどこにいる」

「ウルフ様、こちらへ」

 気の抜けるメイドの所作とは裏腹にウルフは期待と不安で頭がかき混ぜられていた。

 ここがきっと、ウルフと別れたソラがたどり着いたその末だ。

 もし今ここにソラがいなければ、それは……何を意味するのか。考えたくもない。

 メイドは複数ある部屋の中で、一番奥の戸を開いてウルフを招いた。

 そこは小さな部屋だった。

 日光が射し、カーテンが揺れる。窓辺に添えられた白いベッドと、あとは小物や書類が格子状のラックに積まれているくらいの解放感のある部屋だった。

 ベッドにはサイドテーブルが置かれていて、部屋の主がそこで食事や作業をしていたのは想像に難くない。

 けど――ウルフがいくら探してもその主の姿が見当たらない。

「おい……ソラはどこなんだよ」

「…………」

 メイドは答えない。

「おいッ!」

 ウルフは耐えきれず。大声を張り上げた。

 メイドはウルフに背を向けて、ラックに置いてある木の箱からそれを取りだして、ウルフに差し出した。

 それは丁寧に折りたたまれた便箋だった。

「ウルフ様、これは――ソラ様から貴方へのラブレターです」


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