第7話

 完全に日が落ちた夜道を、ウルフとシエルが歩く。

 夜であっても、住居からこぼれたいくつもの灯りが彼らを照らす。それがウルフには目新しかった。

「思い出した。昔ソラとある村に立ち寄ったとき、何故かわからんが夜にこういう灯りをたくさん点けて露店で飯を食ったり踊ったりしたんだ」

「きっと提灯なのです。お祭りの風習が残っている村だったのですね。特別な夜に皆さん総出で踊り明かすのは、さぞ楽しかったでしょう」

「ああ。変な村だったが、盛り上がったな」

「素敵な思い出なのです」

 そういえば、またいつか来ようと約束をしたことをウルフは一緒に思い出した。

 少し肌寒い宵の口。石で舗装された道を、ゆっくりと歩く。

 この歩道は終わりが無く果てしなく続いているように思えた。

「ウルフくんから見たサテライトはどんな場所ですか」

「人と物がいっぱいだ。あと飯は美味い」

「あっもう無銭飲食はしちゃダメなのですよ」

 シエルは冷ややかな瞳で忠告した。

 やがて、歩道は円を描く形になり、その中央では噴水から水が噴き出している。

「おー水飲み場じゃねぇか」

「これは噴水と言って、景観のための装飾です。決して水飲み場ではないのですが、まさかウルフくんここで水を飲んでいたのですか?」

「喉が渇いたときにな」

 逃走生活中のことをウルフは頷きながら語った。

「ばっちぃからそれももうやっちゃダメなのですよ」

 シエルは、噴水の周りを歩いている途中で、両手を広げてウルフに振り返る。

「今まではウルフくんにはサテライトについて詳しいことを教えていなかったのです。外の人間に内部の事情を教えるのは、あまり良くないことですから。だけど、今は事情が違いますね。ソラさんを探すと言うことは、このサテライトと向き合うことに繋がるのです」

 そうして、彼女はかく語る。

「昔、この島には日本という国が栄えていたのです。最盛期には、このサテライトを超える科学文明が島の隅々……いいえ、それどころか地球全土に広がっていたとか」

 シエルはウルフに遥か遠い日のおとぎ話を言い聞かせる。

 世界中の食材を思いの儘に、いつ何時でも味わえる食文化。

 鉄道、飛行機、津々浦々を張り巡らす交通網。

 ビデオ通話にコンピュータゲーム、高度な情報通信技術の数々。

 楽園のような旧世界の姿を。

「信じられねぇな。そんな夢物語」

「本当のことなのですよ。たくさんの文献に証拠が残されていますから。けれど、その知識や技術のほとんどは失われてしまいました。人類文明は滅びかけたのです」

「そんな無敵の村がか?」

「はい、人類を文明崩壊に追い込んだのは、単純な問題――エネルギーの使いすぎなのです。その高度文明は莫大なエネルギーを基底に成り立っていました。そのエネルギーの中核となるのが石油、石炭、天然ガスなどの化石燃料だったのです。化石燃料は埋没した動物や植物の死骸が、太古から気が遠くなるほど長い年月をかけて変成したもの。それを旧世界では、生成量を遥かに超えるスピードで消費していました。そうなると当然化石燃料は枯渇します。そうしてエネルギー資源の枯渇が、文明崩壊を誘因したのです」

 シエルの話し中、ウルフはふむふむと何度も頷いて、

「オレにはわからないということがわかった」

「ウルフくんにもわかるように言うなら……そうですね。おいしい魚が捕れる池があったとして、そこで毎日山盛り盛りだくさんの魚を捕っていたら、なんと魚がいなくなってしまったのです」

「なるほど、それは大変なことだ。人類が危機になるのも頷ける」

「……あくまで例えなのです。本当はもっと複雑な事情が絡み合っていたのですから……」

 噴水のエリアを抜け、歩道を進む。その先にはまだまだ道が広がっている。

「全世界のエネルギーが枯渇し、資源を巡った戦争が各地で勃発。中東は汚染で人が住めなくなり、次第に各国は国家としての体制を維持できなくなりました。残り少ないエネルギーさえも使い果たし、やがてその戦争の痛みすら風化し、人々は原始の生活に回帰し、人類が溜め込んだありとあらゆる知識が失われていく。人類の衰退が揺るぎないものとなった、そんな或る日――」

 シエルは曇りのない透明な夜空を見上げた。

「莫大な――無限のエネルギーが地球に降り注いだのです。あの、遥か彼方の宇宙から」

 太平洋カナダ近海に飛来した隕石が、世情を一変した。隕石は従来の常識が通用しない物質で構成されていた。「地上で輝く恒星、真の永久機関『超常星石』――地球はその日、無尽蔵のエネルギー源を手に入れました」

 衰退した人類が手にした最上の奇跡。だが語るシエルの表情は浮かない。

「サテライトはその『超常星石』――いわゆる星石によって運営されているのです。サテライト内はエリアという単位で分割されていて各エリアはそれぞれ個別の星石でエネルギーを供給しているのです。そこで――」

 ウルフに顔を向けたシエルは白く細い人差し指と親指で輪っかを作った。

「これは何の大きさだと思いますか?」

 何が何やらわからず、ウルフは首を横に振った。

「これは、このエリアAのコアとなる星石の大きさなのです。たったこれっぽっちの大きさの石が、エリアA全域の電力を賄っているのです」

 都市の稼働をたった数センチの石が一任する。旧世界では考えられない桁違いのエネルギー源。科学技術は劣化したが、星石の存在だけは、旧世界を凌駕していた。

「それで……」

 途方も無いスケールの過去の記憶の渦中、ウルフにはどうしても聞きたいことがあった。

「結局、オレに何を伝えたいんだ」

 ウルフは本人にしては真面目に話を聞いていたが、それでも半分も頭に入っていない。ちんぷんかんぷんと言って差し支えない。

「ちょっとした歴史のお勉強なのです。差しあたりウルフくんが目指す場所についての予習といいますか」

 そして、二人が進む歩道が途絶えた。

 まだ先がありそうな歩道を遮るのは忽然と現われた障害物。雄健に構える青銅の大きな門だった。

「壁の中の壁……か?」

 全長10メートル超えの大門を前にウルフはそう感じた。

「先ほど言ったとおり、サテライトは複数のエリアに分かれているのです。各エリアは独自の文化を築いているそうですが、この先はその中でも別格のエリア。全エリアの中央に位置する、このサテライト・『トーキョー』の統括都市であり、すべての叡智が集まる最大都市――『セントラル』に繋がっているのです」

「セントラル……」

 重厚な扉により空気すら遮断されていて、先の様相はまったくわからない。

「そのセントラルにソラはいるのか?」

「本人がいるかどうかは不明ですが、何かしらの情報は確実にあります。ここは全エリアを統治していますから」

「そうか、なら早速」

 ウルフは遠慮無く門に手のひらを添えて押し開けようとするが、厚さ数十センチの門はビクともしない。

「……人力では無理なのです」

 怪力自慢のウルフだが、いくら力を込めてもうんともすんとも言わない。

「ぐおおおおおおおおおおおおおおお!!」

 ギッ――――ギギギギギ……。

「……へ?」

 ウルフの懸命な抵抗を静観していたシエルの目が丸くなる。

 かすかにだが扉が動いている。

 そんなはずはない、とシエルは思った。だってその扉の重さはというと……。

「うおおおおおおおおおおおおおお開く! 開くぞ!」

 ズズズズとまたミリ単位で門が動き。

「だっ――ダメなのです! 仮に入れても資格のない人間が入ったらすぐに排除されてお終いなのです! エリアAとは別次元のセキュリティなのですから!」

 シエルは声を上げて蛮行を停めようとするが、

「ぬおおおおおおおおおおおおおおお!!」

 真っ赤な顔で門を押すウルフは聞く耳を持たない。

 そうこうしているうちにペンが一本入るほどの隙間が出来た。

「はわわわわわわ! この人本当に手動で開けそうなのです!」

 困ったシエルはウルフの腰にしがみついて、引っ張る。その力はコアラがアフリカ象の歩行を止めるとするほど無力だったが。

 ふにょん。

「…………」

 ウルフの注意が削がれる。主に、背中に当たったとても柔らかい感触によって。

 止めるのに必死で、自分がどうなっているか気がついていないシエルはぐにぐにとそのふくよかなものを押しつけていて、

「…………まあ、今日のところはこれくらいにしてやるか」

 ウルフは他のことに気を取られたので、渋々手を放した。

「ほっ」

 シエルは息を吐き肩の力を抜いた。

「今はそれよりも……」

「ひゃあ!」

 一転、ウルフはシエルに振り返り、今度は両手でシエルの胸を掴んだ。

 服越しにふんわりずっしりした感触がウルフの両腕に乗る。

「おお、これは凄い。やはり大きいな」

 むにむにととても嬉しそうに揉みしだくウルフ。

 シエルは突然の行動にきょとんと一拍遅れたが、

「っ――Give holy judgment to sinners(罪人に聖なる裁きを)」

 反射的にキーワードを唱える。

 バチンと言う音と共にウルフの首輪が発光し、シエルの胸を掴んでいた手がダラリと落ちた。

 驚きと恥ずかしさでひどく赤面したシエルは、胸を両腕で隠して。

「ゆ、油断も隙もありませんね……。でも、どうして急に私のおっぱいを!? 男の子の考えることはよくわからないのです……」

 シエルが狼狽える一方、ウルフは手をワキワキして情けない大の字で転がっている。

「……イロハちゃんもいませんし、これ、どうしましょう」

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