『四季のビールとレシピ』

Algo Lighter アルゴライター

🌸第1章:春|桜蜜ホワイトエール

―「春をひとくち飲み込んだ気分だって」―


 


春の風が、まだ冷たさを残していた朝。

修二は、町の小さな醸造所にひとり立っていた。


 


新しい季節、新しい設備。

タンクもチューブも、まだ「この町の温度」を知らない。

けれど今、この仕込みからすべてがはじまる。


 


彼が選んだ蜂蜜は、杉山がこの春の早朝に採ってきた桜蜜。

花の香りを含んだ、うすい桃色の蜜。

瓶のふたを開けた瞬間、春そのものがふわっと広がった。


 


「この香り、どうにかしてそのまま残せないかな」


 


小麦モルトのやさしい甘み。

エール酵母の柔らかな立ち上がり。

そして、酵母がまだ目覚めたばかりのタンクの中で、

ゆっくりと、ゆっくりと、桜の香りが発酵していく。



初めての仕込みは、不安の連続だった。

温度が上がりすぎて香りが飛びそうになったとき、

冷水タンクで慌てて冷やした。

泡の立ち方を見ながら「酵母の呼吸音」を確かめる。

 


“ビールは、生きている”


 


職人の先輩に言われたその言葉が、今になってしみてくる。

そして、それと同じくらい――

この春の“はじめの一杯”が、誰かの記憶になることを願った。


 

春フェスの日。

風鈴屋の裏庭で開かれた小さな出店のテント。


 


陽に透けるピンク色の液体。

泡はきめ細かく、すっと立ち上がる。


 


年配の女性がカップを手にして、ひとくち飲んだあと、

ぽつりと、誰にでもなく言った。


「このビール、桜の下で泣いたときの味がするわね」


 


その声に、修二は言葉を返せなかった。

けれど――笑った。


 


酵母に、桜に、春に。

自分の不安もすべて、そのビールに溶け込んでいたから。


 


誰かの感情に溶ける味になれたなら、

それだけで、きっと正解だった。


 

🍺仕込みメモ

蜂蜜:桜蜜(杉山養蜂場・朝採れ)300ml/1ロット


モルト:小麦60%・ピルスナー40%のふくよかな構成


酵母:エール系、温度18〜20℃管理


苦味(IBU):15程度で控えめに


色合い:淡いゴールド+蜂蜜由来のピンクがほんのり



📍提供シーン

春フェスの昼下がり、風鈴屋の裏庭にて

白テントの下、紙カップで手渡す。カップには桜の花びらがひとひら、風に乗って落ちた。


 


🍃ビールラベルの言葉

「この春、口の中に咲く花。」

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