第31話 海風

「すごい...これが海なのね──」


 視界の彼方まで広がる果てしない青、その鮮烈な景色を前に、私は言葉を失った。


 胸の奥で静かに沸き上がる感動が、言葉と共に溢れ出す。潮風が肌を撫でるたび、その現実感がさらに鮮明に心を揺さぶる。


「そうだな、私もこの世界で見る初めての海だ。」


 隣に立つレオさんが穏やかに微笑みながら言葉を返してくれる。


 その落ち着いた声色が、私の胸の高鳴りを一層強め、彼の存在が視界の青に溶け込むような気がした。


 私たちが王都ネランを発ってからバイクで七日間。


 荒野を越え、草原を駆け抜け、心身の疲れを癒す間もなくポートロイヤルへ辿り着いた。


 旅の果てに見えたこの港町の姿は、まるで幻が現実へと変わった瞬間のようだった。


 女神パルナス様からの啓示を受け、西の大陸を目指す私たちは、その使命に導かれるようにしてここに来た。そして、すべての道がこの港町へ繋がっていた。


 港町の香りは潮風と共に私たちを迎え入れ、遥かに見える青い海が近づくにつれて、その圧倒的な存在感が私たちの旅に新たな意味を与えている。


 これが新たな旅の始まり──そう心の中で呟いた。


── 海港都市 ポートロイヤル ──


 ポートロイヤルは王国西部に位置し、古くから交易の中心地として栄えた都市だ。


 市場に並ぶ品々の活気や港を行き交う船の賑わいは、この土地が「海港都市」と呼ばれる所以を物語っている。


 ここは西大陸への玄関口であり、異国文化が交差する場でもある。その独特な雰囲気は、訪れる者の目と心を瞬時に捉え、興味をかき立てる。


 獣人族の国「サマルト獣王国」から運び込まれる交易品はこの港を通じて王国全土に広がり、また多くの獣人族がこの町に移り住んでいる。


 街を歩けば、肩を並べる異なる種族の姿が、異文化が融合する独特な情景を作り上げている。


 この地に刻まれた歴史と文化、そしてこれから始まる西大陸への旅──それらが私の胸に無限の期待感を灯し、どんな未知なる世界が待ち受けているのかという疑問と共に興奮を膨らませた。


「さて、シルファ君。ポートロイヤルに到着した訳だが、まずは何をすべきだと思うかね?」


 レオさんの声が現実に引き戻してくれる。青い海の壮観に心を奪われていた私は、その質問を受けて少し考えを巡らせる。


「そうですね…。まずは宿屋を確保するべきでは?空き部屋が無くなったら困りますし。」


 自信を持って答えたつもりだった。けれどレオさんの表情にはどこか意地悪な微笑みが浮かんでいる。


「ああ、それも一理ある。けれど、我々がこの都市に来た本当の目的は何か、覚えているかね?」


 眼鏡を微かに吊り上げる彼の仕草に、はっとさせられる。


「あっ、そうか!船ですね!出航できる船を確保しないと。」


「その通りだ。ここで足止めを食らうのは避けたいからね…。あぁ…しまった。フラグになりそうなことを口走ったな。」


「フラグ…?」


 首を傾げる私を横目に、レオさんはその言葉を否定も肯定もせず先へ進んでいく。


── ポートロイヤル港 ──


「すごい!船がこんなにたくさんあります!」


 港へ到着した瞬間、目の前に広がる光景に歓声を上げずにはいられなかった。


 大小様々な船が揺れる波間に浮かぶその姿は、絵画のように荘厳だ。


「シルファ君、とりあえずこの辺りの人々に話を聞いてみようか。」


 港で働いている人々を頼りに船を探そうとするレオさんの提案に、私は頷いて歩き始めた。


「すまないが、サマルト獣王国行きの船について教えて貰えないだろうか?」


 レオさんが近くで作業をしている船員らしき男性に声を掛ける。彼は面倒くさそうに髭を撫でながら答えた。


「獣王国行き?あんたら運が悪いな。獣王国行きの船ならあそこにある大型船だが、今はどれも出航してねぇ。」


「どうしてですか?」


「シャークキングが出た。大型のサメの魔物さ。海域を荒らしまくって船を何隻も沈めちまった。」


 男の言葉に、周囲の喧騒が突然遠く感じられる。旅路はまだ始まったばかりだというのに、早速前途には困難が待ち受けているのだ。


「シャークキングか...。」


 レオさんの声はかすかに緊張を含みながらも冷静だった。その一方で私は、自分たちがこれから向き合わねばならない現実を受け止めることに戸惑いを覚えた。


「とりあえずは大型船に行って話を聞いてみよう。」


 レオさんの提案で、獣王国行きの大型船に向かうことにした。


   * * *


「すまないな。出航は当分無理だ。シャークキング相手じゃ、死にに行くようなもんだ。安全が確認されるまでは、船長命令で出航禁止だ。」


「そうか…。わかった。」


 レオさんは大型船の船員と交わした会話を胸に、肩を落として戻ってきた。その表情には、船が動かせない現実への失望が滲んでいる。


「困ったな。しばらく航海の目途は立たないそうだ。」


「それは…大変なことになりましたね。」


 彼の話を聞いた瞬間、胸の奥でじわりと焦りが広がるのを感じた。


 海路が断たれるというのは、つまり計画全体が停滞を余儀なくされることを意味する。


「元凶さえ討伐できれば道は開けるが…。だが、その海域にたどり着く手段が問題だ。」


 レオさんの険しい表情からも、彼自身が答えを持ち合わせていないことが明らかだ。無理もない──彼自身が船を所有しているわけではないのだから。


 そんな風に、二人して行き詰まりの空気に押されつつあったその時、軽やかな声が二人の沈鬱を破るように飛び込んできた。


「あれ、ネーサンじゃニャいか?そんな深刻な顔してどうしたのかニャ?」


 振り返るとそこにいたのは、どこかで聞き覚えのある声の主だったのであった…。

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