警告:この配信には過剰なモフモフ成分と、おっさんの想定外の活躍が含まれます。~ダンジョン攻略の常識が覆るかもしれません~

九葉(くずは)

: 第1章 邂逅と配信

第1話 燃え尽きた男と、拾われたもふもふ

「……もう、無理」


蛍光灯がチカチカと瞬く、深夜のオフィス。積み上げられた書類の山、パソコン画面に映る進捗率ゼロのグラフ。


俺、石野ゴン、三十八歳、社畜。心の中で白い灰がサラサラと舞い散る音がした。


「石野くぅん、この資料、明日朝イチで使うからヨロシクねぇ~」


背後から、ねっとりとした上司の声。いやいや部長、明日朝イチって、今すでに深夜3時ですけど!? 体感的には明日の朝どころか、明後日の朝くらいまでぶっ通しで作業しないと終わらない量なんですけど!?


なんて言えるはずもなく。


「…はい、承知いたしました。」


口から出たのは、すっかり染み付いた社畜スマイルと、絶望に裏打ちされた肯定の言葉だけ。あー、もうダメだ。マジで限界。こんな生活、いつまで続けるんだ? 夢も希望も、とっくに会社のシュレッダーで裁断済みだ。


……そうだ、辞めよう。会社。


その瞬間、何かがプツンと切れた。いや、むしろ繋がったのかもしれない。生きるための最後の生命線が。


翌日、俺は驚くほどあっさりと退職願を叩きつけ、なけなしの貯金をはたいて、都会から遠く離れた、地図で見ても「ここ、何かあるの?」と首を傾げたくなるような辺境の地へと引っ越した。



人里離れた、森の近くに借りた小さな一軒家。


窓を開ければ、むせ返るような緑の匂いと、鳥のさえずり。


「はぁ~~~~…生き返る……」


都会の排気ガスまみれの空気とは大違いだ。静かだ。誰もいない。上司もいない。鳴らない電話。これだよ、俺が求めていたのは!


質素だけど、穏やかな日々。近くの森を散歩するのが、新しい日課になった。木漏れ日がキラキラと降り注ぎ、足元には柔らかな苔。社畜時代にすり減った心が、少しずつ修復されていくのを感じる。うんうん、悪くない。このまま静かに、穏やかに余生を……。


「……きゅ?」


ん? なんだ今の声?

空耳か? いや、確かに聞こえた。か細い、子猫のような……。


声のした方へ、そっと近づいてみる。

木の根元、落ち葉の陰に、何かがうずくまっていた。


「……なんだ、これ?」


手のひらサイズの、白い毛玉。

いや、毛玉じゃない。生き物だ。

綿毛のようにふわっふわで、もふっもふの体毛に覆われている。ぴく、と小さな耳が動き、大きな、潤んだ黒い瞳がゆっくりと俺を見上げた。


きゅるん。


「…………ッ!?」


ズキュウウゥゥン!!!


石野ゴン、三十八歳。生まれてこの方、可愛いものにはそれなりに耐性があると思っていたが、これは……これは反則だろう!? 理性が、思考が、その圧倒的なまでの『KAWAII』の前にもろくも溶けていく!


なんだこの生き物!? 天使か!? 妖精か!? もふもふの化身か!?


「きゅぅ……」


弱々しい鳴き声。どうやら、かなり弱っているようだ。怪我をしているのかもしれない。


「だ、大丈夫か? ちょっと待ってろよ!」


放っておけるはずがない。俺はそっと、壊れ物を扱うようにその小さな体を手のひらに乗せた。温かい。そして、信じられないくらい軽い。


「よし、とりあえずウチに来い。名前は……そうだな、見たまんま、『モフ』でどうだ?」


俺は、その超絶可愛い生物――モフを抱え、急いで家へと戻ったのだった。これが、俺の平穏な辺境ライフを根底から覆す出会いになるとは、この時の俺は知る由もなかった。



モフは、幸い大きな怪我はなかった。

少し衰弱していただけらしく、温かいミルクを与えると、ちゅぱちゅぱと小さな口で一生懸命飲み始めた。


「はぁ……かわええ……」


その姿を見ているだけで、荒みきった心が浄化されていくようだ。拾ってきてよかった。うん、本当によかった。


……そう思っていた時期が、俺にもありました。


翌日。

モフはすっかり元気を取り戻した。元気を取り戻したのはいい。とてもいい。問題は、その元気の源――つまり、食欲だった。


モフは食べた。とにかく食べた。

俺が自分のために買っておいたパンも、干し肉も、野菜も、果物も、見境なく、その小さな体のどこに収まるんだと疑問に思うほどの量を、ぺろりと平らげていく。


「ちょっ、おま、それ俺の昼飯……! あ、こら! それは夕飯用……!」


みるみる減っていく食料庫。増えていくのは、モフの満足げな「きゅふーん」という鳴き声と、俺の顔から失われていく血の気。


「……まずい」


このままでは、俺のなけなしの貯金は、この可愛い食欲魔神の餌代にすべて消える。辺境で餓死とか、笑えない冗談だぞ。


そんな折、村の掲示板で奇妙なニュースを目にした。


『緊急告知! 近隣の森にて、未確認の『ダンジョン』出現! 探索者を募集します!』


ダンジョン? ああ、そういえば最近、世界各地でそういうのが見つかって、探索してレアアイテムや素材を持ち帰るのが流行ってるんだっけか。中には探索の様子をライブ配信して、一攫千金を狙う『ダンジョン配信者』なんて職業まであるらしい。都会じゃ結構な騒ぎだったな。


……ダンジョン探索。ライブ配信。


「……稼げる、のか?」


モフの、天使のような寝顔を見る。

ぷくぷくとした頬。すーすーという穏やかな寝息。


「……やるか」


背に腹は代えられない。というか、モフの腹を満たすためには、俺の背に腹をくくるしかない。


善は急げ、だ。俺は早速、ネット通販で最低限の配信機材(安物)と、ダンジョン探索用の装備(中古)をポチった。チャンネル名は……うーん、まあ、適当でいいか。


『辺境おっさんとモフのゆるふわ探検』


うん、我ながら気の抜けたタイトルだ。まあ、誰も見ないだろうし、いいだろう。



数日後。

配信機材と探索装備が届いた俺は、モフを特製の肩掛けポーチに入れ、例のダンジョンへとやってきた。


洞窟のような入り口が、不気味に口を開けている。ひんやりとした空気が漂ってくる。


「ごくり……」


緊張で喉が鳴る。大丈夫、俺には社畜時代に培った『リスクヘッジ』スキルがある。常に最悪を想定し、石橋は叩いて渡る……いや、念のためダイナマイトで爆破して安全を確認してから渡るくらいの慎重さでいけば、きっと大丈夫なはずだ。


配信開始ボタンをポチッ。画面の隅に『視聴者数:0』と表示される。うん、知ってた。


「えー、どうも。辺境でひっそり暮らしている、ゴンと申します。こっちは相棒のモフです」


ポーチから顔を出したモフが「きゅ?」と小首を傾げる。か、可愛い。視聴者ゼロだけど、一応挨拶はしておく。社会人の基本だ。


「今日はですね、この近くで見つかったダンジョンを、ちょっとだけ探検してみようかなー、なんて。まあ、ゆるーく、ふわっと行きますんで」


安全第一、無理はしない。それが俺のモットーだ。


ダンジョンの浅い階層は、洞窟のような道が続いている。時折、ぷるぷるとした青いスライムが現れるが、動きは鈍い。


「よし、モフ、ちょっと下がってろ」


俺は慎重に距離を取り、拾った木の棒でスライムをつつく。ぽよん。大した反撃はしてこない。よし、安全確認。さらに数回つついて、ようやく倒す。


「ふぅ……一体目クリア。……って、これ、配信的に面白いのか?」


地味すぎる。我ながら、あまりにも地味すぎる戦いだ。まあ、いい。安全が一番だ。


そんな感じで、超絶スローペース&石橋叩き割りスタイルで進んでいく。壁のシミすら警戒し、曲がり角では鏡を使って安全確認。視聴者数は、もちろんゼロのまま。


少し開けた場所に出た時だった。背後の岩陰から、緑色の醜い小鬼――ゴブリンが、棍棒を振りかざして飛び出してきた!


「うわああぁぁぁ!?」


まずい! 対応が遅れた! リスクヘッジの鬼と呼ばれたこの俺が、背後からの奇襲を許すとは!


ゴブリンの濁った目が、ギラリと俺を捉える。棍棒が風を切って振り下ろされる。


「お、終わった……! 辺境生活、わずか数日で、終了のおしら……せ……?」


死を覚悟した、その瞬間。


シュバッ!!


肩のポーチから、白い閃光が飛び出した。

え?


それは、目にも留まらぬ速さでゴブリンの懐に飛び込むと、次の瞬間にはゴブリンの顎あたりに強烈な一撃を見舞っていた。


ゴッ!!!


鈍い音と共に、ゴブリンがくの字に折れ曲がり、白目を剥いて吹っ飛んでいく。そのまま壁に叩きつけられ、ぴくりとも動かなくなった。


「…………え?」


何が起こったのか、まったく理解できない。

俺は、口をぽかーんと開けたまま、その場に立ち尽くす。


白い閃光――いや、モフは、何事もなかったかのように俺の足元にとてとてと戻ってくると、また「きゅ?」と可愛く鳴いて、俺のズボンを前足でカリカリした。


俺は反射的にモフを抱き上げる。ふわふわで、温かくて、やっぱり可愛い。

……さっき、ゴブリンを一撃で? この可愛いモフが?


混乱する俺の視界の端で、配信画面の表示が切り替わった。


『視聴者数:1』


そして、画面下部に、一つのコメントが流れた。


『!?!?!?』


俺とモフの、ダンジョン配信は、こうして始まったのだった。



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ゴンさんとモフが喜びます😚




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