第六話
癒綺が命令書を渡した翌日の朝、響一は実家へと向かった。その隙に、海炎と癒綺は部屋に忍び込む。癒綺は目立つので一応変装している。部屋に訪ねてこられたら厄介なので今日はちょっと体調を崩したことになっており、訪ねてこないようにと知らせが出されている。
「これを。」
癒綺は静かに、海炎に見つけた指令書を示した。他の場所を探していた海炎はパッと振り向いて、彼女の手元にあるそれを見た。かなりの量の束になっており、彼がこの革命軍にくる直前の日付からある。
「見て。」
癒綺は最も古いものを開いて、その中の一文を指し示した。海炎はそれを覗き込み、息を詰める。
『本日より指令を与える。
・狂衣血ではなく響一と名乗ること。
・近年勢力を伸ばしている革命軍に入ること。
・リーダーに近づき、暗殺すること。
健闘を祈る。』
癒綺はそれをそっと抜き取り、束を全て元の場所に戻して部屋から抜け出した。海炎もそれに続く。護衛としていた頃の気配察知を総動員して誰もいないところを進み、二人は無事に誰にも見つからずに部屋に戻った。海炎はほっと息をつき、入ってきたばかりのドアを見つめた。ドアノブが動く様子はない。癒綺は海炎が目を離した一瞬で、元の姿に戻った。
「では、彼が戻ってきたら全てを始めましょう。今日はもう体を休めなさい。」
「はい。」
海炎は、いつも通りに見える癒綺を心配そうに見ながら、するりと部屋から出ていった。
海炎が部屋に戻ったのを確認して、癒綺は笑顔をしまった。机の上に置いた狂衣血への指令書を眺めて、一つため息をつく。そっと目を閉じて、普段の書類仕事を始めた。
「ただいま戻りました。何もありませんでしたか?」
一週間後、狂衣血は普通に戻ってきた。笑顔で出迎えた癒綺は、無言で頷いて指令書を手渡した。
「!?これは…」
受け取ったきり言葉を失った狂衣血を、癒綺は心情の読めない笑顔で見つめた。後ろに控えていた海炎が、険しい表情で剣を突きつける。
「狂衣血。お前を、スパイの容疑で拘束する。」
狂衣血は、血の気の失せた顔でその剣を見つめた。ぴくりとも動かないその鋭利な刃は、彼が疲労で少しでも力を抜けば狂衣血の肌を切り裂く。
「ここまでですか…」
狂衣血はゆっくりと手を頭の後ろに回し、膝をついた。癒綺が長剣を取り上げ、身体検査をする。何も持っていないことを確認し、海炎は狂衣血を牢獄に連れて行った。周りで事情を知らなかった仲間たちがざわめいている。癒綺は真剣な面持ちで振り返った。
「彼は、帝国の仲間でした。先日紫が殺されたのも、彼の仕業です。」
紫のことを知っていた人たちが、狂衣血への怒りを露わにした。癒綺はその反応を見ながら、話を続ける。
「先日、街に視察に出た時も殺されかけました。どの街に行くか知っているのは、狂衣血と海炎、そして私だけです。」
動揺が走る。一人としておかしな動きをしないのを見て、癒綺は人知れずほっと息をついた。もしここで変な動きをしていたら、もしかしたら狂衣血の仲間かも知れないからだ。
「彼はこの後拘束してどれだけの罪を犯したのか確認し、その重さに準じて処罰を決めます。」
そう言い切った癒綺は、そのまま狂衣血が連行されていった牢獄へと足を進めた。ざわついている群衆の困惑と怒りは、まだ冷める様子がなかった。
薄暗い地下牢の中で、狂衣血は静かに癒綺を待っていた。カツン、カツン、と癒綺の足音が響き渡る。見張は、癒綺が下がらせた。
「案外おとなしいのね。」
皮肉が込められた言葉が、ポトリと落とされる。狂衣血は身を震わせて、その言葉を受け止めた。
「あの子を殺せて、よかったわね。今までの何回かの敗戦で私が信用を置いていた人が殺されたのも、あなたのせい?」
無言のままの狂衣血を、癒綺は険しい表情で問い詰めた。
「これまでの私の言動全てを記録していたのね?どうしてそんなことしたの?私たちのことを陰で嘲笑っていたんでしょう!?」
「違う!」
「どこが違うのよ!」
彼女を亡くした、そのことが癒綺の心の水面を波立たせる。狂衣血はもう一度違うと呟いて、言葉を紡ぎ始めた。
「最初は、そうでした。でも、数週間共にいるだけでもうそんな気持ちは無くなったんです。」
信憑性のない言葉に、癒綺は狂衣血を睨みつける。狂衣血は、拳を握った。
「ではなぜ?」
癒綺の問いに、狂衣血は唇を噛んだ。体が震えている。
「両親を、人質に取られていたんです。」
癒綺は目を見開いた。彼は、いつも視察に行けば両親にとお土産を買い、毎週のように手紙を出し、楽しげに彼らについて話していた。そんな素振りを一切見せず。
「本当にすみません、紫さん。」
癒綺は目を見開いた。鼓動が不自然に早くなる。手が震えるのを必死に抑え、狂衣血を見つめる。
「何を言っているの?」
声が震えそうになる。狂衣血は、静かに首を振った。
「確かに、以前とほとんど全て同じです。でも、声の響き方が違います。」
癒綺は首を傾げた。練習中も現在も、そんなことを言われた覚えがなかったのだ。
「ふふふっそうなの?最近は紫が死んだから、そのせいかしらね。」
首を傾げて微笑む。動揺しているのを悟られるわけにはいかない。人に聞かれるようなことはないだろうが、それでももしかしたら、ということがある。
「…いいでしょう。では、癒綺様。とりあえず処罰をどうぞ。」
狂衣血の穏やかな表情に、癒綺は言葉を失った。
真面目な顔をして、作戦書を提出する狂衣血。
癒綺に褒められた時の、照れながらの微笑み。
負けた時の、心底悔しそうな表情。
話しかけてくれた時の、あの父に似ている温かい微笑み。
紫が死んだと知らされた時の、おぼつかない足取り。
以前の癒綺と今の癒綺の違いを今まで伝えなかった、その意志。
今、死刑になってもおかしくない状況での、父の最期のような穏やかな表情。
癒綺はグッと拳を握りしめた。できることなら、彼を冤罪として釈放したかった。
「いいでしょう。これまでの功績を評価して、死刑とは致しません。革命団を追放致します。」
癒綺はポケットに入れていた牢の鍵を取り出した。そのうちの一つを、鍵穴に差し込み、カチャリと回す。そっと取っ手を引くと、キイィィと耳障りな音を立てて開いた。
「二度と…二度と、私たちの前に現れないで。」
目を伏せる。重たげに体を動かして、狂衣血は牢屋からゆっくりと出た。
「これを。」
懐に入れてあったらしい作戦書を、押し付けられる。癒綺は反射的にそれを受け取った。松明の光が目を刺し、視界が滲む。
暴風が吹き荒れる中、灰色の軍師は一人旅立って行った。
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