第14話

 テラーイの低い城壁は、今や黒ずんだ輪郭に過ぎなかった。そのすぐ上には、ほんのりと紫色に染まった晴れ空が垣間見えた。けれども、真上に目を向ければ、微風に優しく揺れる木々の狭間に、藍色の空が広がるばかりだった。そこに錐で穴を開けたような星々の輝きが散らばっていた。

 湖畔を囲む石畳の道の脇に、一定間隔で木の柱が立てられた。そこにはそれぞれ、ランタンが吊り下げられた。柔らかな光が、黒ずんだ湖水の表面を静かに照らしていた。湖畔に面した宿のいくつかは、道路の上に迫り出すように、テーブルや椅子を並べた。場所取りのためか、既にそこに陣取っている客もいた。

 気の早い誰かが、もう楽器を奏で始めているらしい。遠くかすかに、竪琴を爪弾くのが聞こえてきた。


 テラーイの夜市だ。

 年に四度しかないお祭りの日。砂漠の中の小さな水場に散らばって暮らす人々が、この日のために遠くからやってくる。もともとは、互いに必要なくなった品々を交換し合うための場だったという。だが、今ではここを行き交う商人達相手に、手間隙かけて仕上げた民芸品を売りつける日にもなっている。


「せっかくですし、ね」


 ソブックとデンギズは、宿の前のテーブルに腰を落ち着けていた。


「見て回らないんですか」

「そんなことより、飲める時に飲めるだけ飲むほうが大事だろ?」


 そんなものだろうか。いまいち理解が及ばず、サルクは首を傾げた。

 サティラが言った。


「今日くらい、ハメを外して遊んでくるといい。街の中でもあるし、ここは治安がいいとされている。ただ、それも湖畔の周辺だけだ。暗い路地に迷い込んだりするなよ? その辺に露店もたくさんあるだろう。好きなものを好きなだけ買って食べるんだな」


 そう言われて、サルク達四人は、湖畔の道沿いに放り出された。多少のお小遣いを与えられて。


「ガキ扱いかよ」

「ははは、まぁ、確かに僕らはみんな、半人前だしさ」


 苦笑いしながら、サルクは先に立って歩き出した。


「何食べよっか」

「見慣れたもんばっかに見えて、どうも変なんだよなぁ」

「どれ?」

「あれ」


 ドスタルの指差す方にあったのは、串焼き肉の屋台だった。


「どうやったら、あんな真っ赤な色になんだよ」

「そういうタレとか、何か辛くなりそうなのを振りかけてそうですね」

「見た目が不自然すぎるだろ」

「慣れてないだけだよ」


 サルクは、早速その屋台に向かって歩きだし、声をかけた。


「済みません、一つください」


 ところが、ここの屋台のおばちゃんには、言葉が通じなかったらしい。慌てて追いかけてきたラクシャが、手早く伝えると、銅貨三枚と引き換えに、一本の串焼き肉が手渡された。サルクは真っ赤な肉と睨み合い、意を決してかぶりついた。


「うぉっ」

「どうです? 辛いですか?」


 咀嚼の後、サルクは顔色一つ変えずに言った。


「なんていうか、普通? 全然辛くない」

「なんだ、拍子抜けだな。じゃ、俺もこれ、三本くれ」


 サルクが選んだのとは少し違う見た目だったが、ドスタルは頓着しなかった。


「んじゃ、俺も」


 ところが、口に運んで数秒後、彼の目は大きく見開かれていた。咀嚼の速度がどんどん上がって、必死になって飲み込み、それから左右を忙しなく見比べた。


「ど、どうした?」

「み、水! か、辛いじゃねぇか! 話が違うぞ!」

「あの」


 ラクシャがおずおずと言った。


「色は似てるけど、それ、指差したの、別のだって」

「マジかよ?」


 残る串焼き肉は二本。


「お前ら、これ、食わねぇ?」


 弱々しく尋ねるドスタルに、他の三人は吹き出した。


 それからしばらく、四人は湖畔に並んで座っていた。タルキンは蒸しパンを両手に持ち、代わる代わる食らいついていた。ラクシャは小さな砂糖菓子をそっと口に運んでいた。ドスタルは、結局、食べきれなかった二本の串焼き肉をブラブラさせていた。

 昼間の暑さはもう感じられない。ほどよい涼しさが心地よい夜だった。とっくに真っ黒に染まった夜空には、金銀の粒を散りばめたような星々が煌いていた。どこかから、鼓を打つ音が響いてきている。時折、歓声のようなものが聞こえてくる。漣のように、笑い声が打ち寄せては引いていく。


「運がいいよね、僕達」


 サルクは、しみじみそう言った。


「運がいいのはお前だけだろ」


 ドスタルがそう指摘すると、三人が意地の悪い笑みを浮かべた。


「冷めたらおいしくないですよ」

「お前が食ってくれ」

「じゃあ、あとでデンギズさんにあげちゃいましょう。酒の肴になりますよ」

「それいいな」


 サルクは、ラクシャに尋ねた。


「どうだった? テラーイまで来てみて」

「うん」


 彼女は、何もない空に目を向けた。いや、そうではない。


「正直、不思議な感じ。私にとってはやっぱり、遠い外国な気がしてる。でも、言葉は通じるんだけど。お母さんはここで何年も暮らしてたんだっていうけど」


 ラクシャがその双眸で捉えようとしていたのは、虚空の彼方にいる母の姿だったに違いなかった。


「帰って、お祭り見てきたよって言ったら、喜んでもらえるかな」

「それはそうに決まってるよ」


 それ以上は言葉にならなかった。喜びだけでもなく、寂しさだけでもない。温もりの中で凍え、凍えながら満たされていた。

 自分の世界に沈み込んでいく彼女を邪魔すまいと思ったのか、サルクは話しかける相手を変えた。


「タルキンは、どう? この街を出たら、山越えの後はもう、ケットロン王国に着くんだけど」

「そうですね」


 けれども、彼もすぐには言葉を口にすることができなかった。


「どんな顔をしたらいいか、わからないんです」

「そりゃあなぁ」


 ドスタルも頷いた。


「だってお前、言っちゃ悪いけどよ、先に謝っとくぞ? 親に売られたんだろ? 前にも言ったけどさ、捨てられた、裏切られた、親はお前のことなんかいらねぇって、そういうことなんじゃねぇのか」

「ええ」


 俯きながらも、彼の表情には落ち着きがあった。


「うちは物凄く貧乏で。こんな見た目だから、想像つかないでしょうけど、小さい頃は、私、ガリガリだったんですよ。で、ある日、父が無言で私を担いで、市場まで行ったんです。どこに行くの、って何度も尋ねたけど、何も教えてもらえなくて。ほとんど話もないままに、奴隷商人……まぁ、あの頃の私には、そんなことわかってなくて、ただの怖いおじさんですね、その人からお金を貰って。そのまま、父が歩き去ってしまって」

「キッツいな、それ」

「それはもう、怖くて泣き喚きました。でも、そのまま船に乗せられて、気付いたら外国で」


 サルクは、そっと尋ねた。


「その、親御さんのこと、恨んでる?」

「え? いいえ?」

「なんでだよ。ひでぇじゃねぇか」


 タルキンは、力みもなしに首を振った。


「でも、貧乏だったんです」

「言い訳になんのかよ」

「なりますよ。みんなで飢え死にするか。別々に暮らして、それぞれで生き延びるか。要はそれだけの話じゃないですか」


 この凄まじい割り切りに、ドスタルは絶句した。

 サルクは、そんな二人を目にしながら、腑に落ちるものを感じていた。どちらにも覚悟はある。ドスタルは、自分と死ぬことまで覚悟して、山賊達の集団に突っ込んだ。タルキンは、現実的な判断に徹した。臆病だったからではない。正しさとか感情とか、そういったものに身を委ねても、何も変えられないことを、既に思い知っていたからだ。


「まぁ、おかげで、自由民の身分になって、ちょっとお金も稼げるようになったら、この通り、食べすぎて太っちゃったんですけどね!」


 そう言って、彼はおどけてみせた。

 四人がそんな風に雑談をしていると、ふと、鈴の音が規則正しく響いてくるのに気付いた。揃って首を左手に向けると、湖を囲む道の上を、女達の群れが踊りながら練り歩いているのがわかった。昼間は頭からすっぽりと白い布をかぶっていたのに、今はみんな、思い思いに色とりどりの服を身につけて、腰帯には鈴を提げて、いかにものびやかに振る舞っていた。


「ありゃあ、なんだ?」


 ドスタルの疑問に答えるべく、ラクシャは進み出て、通りがかった女達の集団に声をかけた。すると、先頭にいた女性が足を止め、鈴の音が一斉に止まった。


「なんだって?」

「邪魔しちゃ悪いんじゃ」


 ラクシャは相手からもサルク達からも声をかけられて戸惑ったが、なんとか説明した。


「えっと、どうしてこちらの言葉を話せるのかって」

「そりゃ、お前の母さんがこっち出身だからだろ?」


 それでラクシャは女性達に振り返り、そのことを告げたらしい。すると、途端に大変なことになった。道の上から手を伸ばした女達は、笑顔でラクシャを引っ張り込むと、一人が自分の腰に提げていた鈴をラクシャの腰帯にぶら下げて、そのまま手を繋いだ。そして、サルク達には笑顔で手を振った。


「えぇっ、だ、大丈夫なんですか」


 戸惑ったタルキンがそう尋ねたが、ラクシャは取り乱しながら、なんとか答えた。


「い、一周するだけだって、言ってるから」

「ま、大丈夫だろ。俺ら、ここで待ってるから、行ってこいよ」


 ドスタルがそう言うが早いか、女達の集団はどんどん先へと歩いていってしまい、あっという間にラクシャの背中は見えなくなった。


「初対面だってのに、まぁ、ノリのいい連中だなぁ」

「多分、大丈夫だと思うけど、ドスタル、ここでラクシャを待っててくれる?」


 サルクにそう言われて、ドスタルは尋ねた。


「お前はどうするんだ?」

「一応、そろそろ一旦戻って様子だけ見てくる。ああ、その串焼き肉は、デンギズさんに渡してくるよ」


 ラクシャが連れて行かれたのとは反対方向に向かって、サルクは一人、歩き出した。

 ほどなくして、さっきの宿の前に辿り着いた。いつの間にかソブックはいなくなっており、デンギズは一人で酒を飲んでいた。


「飲んで……飲みすぎてません?」

「おうおう、サルクかぁ」


 顔が真っ赤になっている。限度を忘れて飲みまくったのだろうと察した。


「これ、食べます?」

「おっ、いいねぇ。ありがとよ」


 よく確かめもせず、デンギズはそれを受け取り、何の躊躇もなく口に運んだ。そして、まったく表情を変えることなく、ゆっくりと噛んだ。


「あ、あれ? 辛くない?」

「ちぃっと辛いけど、まぁこんなもんくらいはなぁ」


 それから彼は口角をあげた。


「なんだ? これ、悪戯のつもりか?」

「そうじゃなくって。ドスタルが食べられなかったから、デンギズさんならいけるかなと」

「なぁんだ、そうか」


 彼は、あくまでゆっくりと木のジョッキを持ち上げて、大きく一口飲んだ。


「あいつもまだまだ青いな。船乗りってのは、どこでもどんなものでも食えなきゃダメだ。甘いのも辛いのも酸っぱいのも、体壊すんじゃなけりゃ、なんでも食うもんだ」

「そんな勢いでお酒飲んでたら、デンギズさんのが先に体壊しそうですけど」

「はん、そいつは大した問題じゃあねぇな」


 口調に違和感を覚えて、サルクは目を見開いた。


「あの」

「おう」

「デンギズさんは、何のためにこの旅に?」


 彼は椅子の背凭れに身を預け、その巨体を仰け反らせた。それから首だけ下に向け、それから答えた。


「暇だったからだな」

「暇?」

「あのな」


 ぐでんぐでんになった彼は、また座り直して背筋を立てようとした。テーブルに乗せた片肘でなんとか体を支えると、やっとサルクの質問に答えた。


「ソブックの野郎は、この仕事に成功したら、竜車を貰うんだと」

「はい」

「独立した行商人になりたいんだとよ」


 大変前向きな、まっとうな理由だった。


「あの、デンギズさんのことを訊いているんですが」

「俺は暇だったから」

「暇って」

「欲しいもん、もうなんもねぇからなぁ」


 やっぱりそうだ。自暴自棄になっている。普段はそんな素振りをまったく見せないのに。でも、そういえば、初めて事務所に来た時にも、泥酔していた。そんなようなことを、サルクは今更のように思い出していた。


「俺ぁ船乗りだからよ」

「はい」

「遠出するとなりゃ、何ヶ月も帰らねぇ」

「はい」

「だからよ」


 彼は苦笑してみせた。


「長ぇ仕事から帰って、カカァがいなくなってたら、こらどういうことだって話なわけよ」

「えっ」

「稼いで金持って帰って、カカァと娘を食わせんだって思ってたらよ、俺がいねぇうちに駆け落ちしてやがった」


 あまりの話に、サルクは目を丸くするばかりだった。


「いい歳しやがって、でっけぇ娘もいて、そんなことになるたぁよ。けど、まぁ、仕方なかった」

「仕方ないって」

「俺ぁ一人で遠くに行ってたからな。そりゃ、そういうことにもなる。自由気儘に好きなだけ海に出てよ、金だけ持って帰りゃ、面倒見てやってることになるんだって、そりゃあ俺が親父になりきれてなかったんじゃねぇかって、いやもちろん、カカァも悪いさ、悪いんだけどな」


 サルクが言葉に詰まって、神妙な表情で話を聞いていると、デンギズは言った。


「だからよ、俺が腐ったままでいるくれぇならって、お前んとこの兄貴が声かけてくれたって、そんだけの話だ。なぁ、サルク」

「はい」

「サリックを、祈願の星を見失っちゃあいけねぇ。俺みたいになっちまう」


 頭を揺らしながら、彼は呂律の回らない状態で喋り続けた。


「細けぇこたぁいいんだ。お前にとって、大事なもんはなんだ? それだ、それだけ、それだけちゃんと、忘れねぇようにしねぇと……」


 それ以上は、意味のある言葉にならなかった。そのままデンギズは、テーブルに突っ伏して居眠りし始めてしまったからだ。


「えっ、えっ、これ、ど、どうしよう」

「まったく、どうしようもないな」


 背後からの声に、サルクは慌てて振り返った。そこにはサティラの姿があった。


「ちょっと目を離したら、すぐこれだ」


 言葉の意味を、サルクは反芻した。目を離したら。誰から? どうしようもないのは、泥酔したデンギズだろう。ということは、さっきまで彼女はここにいなかった。ソブックが席を立ってから、誰にも止められないデンギズは、いつかのように、泥酔するまで酒を飲んだ。

 では、ここにいなかった彼女は、今まで何をしていた? ここにいたのは、偶然?


「まさか」

「護衛の私が、酒に溺れるわけにはいかんだろう?」


 やっぱりそうだった。サルクは再確認した。

 自由に行動していい、と言っていたが、その間、彼女はずっとサルクを見張っていたのだ。


「どうしてそこまで?」

「役目だからな。約束もした。サルクを無事にケットロン王国まで連れていく。そう請け合った限りは、必ずやり遂げる」


 そう言い切ってから、サティラは少し珍しい表情を見せた。苦笑いだ。


「とはいえ、この前の山越えでは、しくじりかけたからな。偉そうなことは言えん」

「いえ」


 思えば、この旅は随分と奇妙だった。バートゥルサーグが一攫千金を夢見て、その巻き添えになる形で、いろんな人が参加することになった。建前ではそうだ。

 だが、どうもそれぞれの事情を知ると、それだけでは説明がつかないことが目立ってきた。例えば、まじない師を連れて行くにしても、どうしてラクシャみたいなか弱い女の子を選んだのか。デンギズも、この仕事に引きずり込まれなければ、今頃、酒浸りの生活を続けていたかもわからない。タルキンにとっても、貴重な里帰りの機会となった。

 彼らが、この旅によって救われる側の人間だとすれば、何も知らなかったサルクやドスタルは、本当に巻き込まれただけの人間だ。そして、ソブックとサティラは……


「覚悟だけは認める」


 不意に彼女がそう言った。


「仮にも貴種の血を引くだけはあるようだ」

「何のお話ですか」

「ん? ここまでの旅すべてだ。海峡を越えるために率先して過酷な漕ぎ手の仕事を引き受け、山賊どもに襲われた時には二人を逃がすために力の限り抗い、ここテラーイでは、祭りを楽しむより仲間への気遣いと。剣の腕こそ兄には遠く及ばないようだが、他はなかなか捨てたものではない」


 ……残りの二人は、この計画を動かしている側の人間だ。現にソブックは、各地で換金可能な保証書を保管している。ただ、彼の場合は、見返りも明確だ。行商に使う竜、これは安い買い物ではない。今回の旅が終わったら、アジャフは彼のものになるのだろう。

 では、サティラは? 振る舞いも、言葉遣いも、明らかに平民のそれではない。とするなら、彼女が受け取る報酬は、ソブックのそれとは異質な何かであろう。


「認めてもらえて嬉しいですが、捨てたものでなかったら、どうだというんですか」

「タルアの宿で問うたが、お前の中では、答えは見つかったのか」


 大事なものは何か。だが、あの時、彼女が口にしたのは、それだけではなかった。


「自由に生きろと?」

「お前がそれを望むのなら、だがな。ただ、考えてみろ。このまま王都に戻って……なるほど、他の並み居る商人を追い越して、お前が一番に王宮へ果物を届けるのに成功したのなら、もしかしたら、御用達の地位を得られるかもしれないな。とはいえ、それがそんなに簡単にできるくらいなら、苦労はない」


 サルクは頷いた。今日、出会ったメウンも、それからカーフも。それぞれ、腕利きを集めてこの勝負に参加しているのだ。


「すると、お前の暮らしはどうだ? 毎日、汗水垂らして木箱を運んで、小銭を得るだけの毎日だ。せっかく、それなりの資質にも恵まれているのにな」

「仮にもし、僕にそれだけの才能とか、何か優れたところがあるのなら、そのうちにそんな暮らしからも卒業できます」

「甘い。甘いな」


 サティラは首を振った。


「頑張りは、頑張りが評価されるところでなければ、何の意味もない。この前の山越えでも、どうだった? あの山賊の頭目は、大した腕前だった。私の不意討ちを凌ぎきったところも見事だが、恵まれた巨躯からの一撃も相当な重さだった。あれでシャッハの貴族の家にでも生まれていれば、今頃は名声を博していたはずだ。だが、現実は見ての通りだ。あれほどまでに磨き抜かれた肉体をもってしても、その居場所が悪ければ、なんにもならない」


 怪訝そうな顔で様子を窺うサルクに、サティラは少々不満そうに言った。


「何より重要なのは、機会と境遇だ。残念ながら、お前が何者か、何ができるかなどではない。納得できないか?」

「いいえ」


 サルクはじっと彼女を見つめた。


「サティラさんは、なぜこの旅に参加することにしたんですか」

「言ったはずだが? 腐れ縁だ」

「どんな腐れ縁なんですか? 立ち居振る舞いをみればわかります。サティラさんは、一般人ではないですよね? 下級貴族、いや、どちらかといえば、貴族の家に仕える家柄の人のように見えます」


 すると、サティラは目元を覆って溜息をついた。


「身元については伏せたい。私は今、本来の主人に余暇を与えられていることになっている」

「そうまでして、どうして」

「詮索するな。答えるわけにはいかん。ただ、一つだけ教えておく」


 息を詰めたサルクに、サティラは宣言した。


「私は、お前の兄が大嫌いだ」

「えっ?」


 意外そうに目を丸くするサルクに、予想と違った反応をされて、サティラも虚を突かれていた。


「なんだ、どうした」

「いや、そんなの当たり前でしょ? だって、あんな遊び人……」


 サルクの呟きを聞いた彼女は、口を開けたまま、数秒間、呆けていたが、突然、弾けたように笑い出した。


「そうか! そうか! 確かに、そういうことになるか!」

「えっ!」

「安心しろ。お前のことは嫌っていない」


 そこへ、千鳥足のソブックが手を振りながら歩み寄ってきた。


「いやぁ、これは参った」

「なんだ、貴様まで泥酔するまで飲んだのか」

「飲みたくって飲んだんじゃないですよ」


 連日の旅で日焼けしている顔なのに、赤くなっているのがはっきりわかる。いつもの、あのトカゲを思わせる無表情は、半ば剥ぎ取られてしまっていた。


「これでも様子見してきたんです。二人の、ほら」

「メウンさんとカーフさん」

「そう、挨拶にいったら、しこたま飲まされて、うぅっ」

「やめろ、ここで吐くな。報告は後でいい。自分の部屋に帰れ」

「そうします」


 ソブックが背を向けると、サティラは目元を覆ってもう一度、大きく溜息をついた。


「この世に頼もしい男はおらんのか……」

「な、なんか、ごめんなさい」

「安心しろ。この商隊で最も頼もしい男はお前だからな」

「嬉しくないです」


 そうして二人で佇んでいると、また例の鈴の音が近づいてきた。まだ湖の周囲を練り歩いているのか、と思って振り返り、サルクは目を疑った。


「あ、サ、サルク! 助けて!」


 一つどころか、体中に銀色の鈴をぶら下げて。それが悪乗りする女達に担がれて、ラクシャは悲鳴をあげていた。

 別に深刻な事態ということもないらしく、周囲からは酔客の掛け声が投げかけられる。ここまでラクシャを追いかけてきたドスタルが、目だけ合わせてまた、すぐラクシャの方へと駆け寄っていった。


「心配ないですよ」


 すぐ後ろまで来ていたタルキンが言った。


「事情を知った街の人が、かわいがってくれているだけです」

「なぁんだ」


 一周と言わず、二周目に。戸惑い恥じらうラクシャを担いだまま、色とりどりの衣装に身を包んだ女達の集団は、曲がり角の向こうへと消えた。


「ねぇ、サティラさん」

「なんだ」

「僕には難しいことはわからないけど、少なくとも」


 サルクは、穏やかな笑みを浮かべて言った。


「ここまでやってきたのは、間違いじゃなかったって思ってますよ」

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