高木結弦の在り方

 買出しから戻ると姉が帰ってきていた。姉の視線の先にあるテレビには姉が最近ハマりだしたバラエティ番組が映っている。結弦の帰宅に気づいた姉は

「おかえり。今日も迷ったの?」

 と結弦の方を見て言った。

「ちょっとした用事があっただけで真っすぐ帰れたよ。夕飯、すぐ作るね」

 遅くなってしまったのでこの日の夕飯は仕事終わりでお腹を空かせている姉のために簡単に作れるものにした。

 一通りの家事を済ませ部屋に戻ると、黒猫は出かけた時と変わらずタブレットPCを凝視していた。タブレットPCは生徒会室で使っていた円香の私物で、これだけは持って行って欲しいと頼まれたものだ。その画面には今、数学の参考書が映っている。

「生徒会室でも思ったけど、熱心に勉強するよな」

 姉に聞こえないように、声を気持ち小さめにして話しかけてみた。

「学生だもの。当然でしょう」

「それはそうなんだけど、なんとて言えばいいかな。関の勉強する姿は他の人と違って気迫みたいなものを感じる」

 教科書の文字を追う円香の視線の動きが一瞬だけ硬直した。

「どうしてもやりたいことがあるの」

「やりたいこと?」

 結弦は円香の方を向く形で椅子に座った。

「ええ。そのためには医学部に行く必要がある。でも、この姿だとペンを持てないじゃない? こうして参考書を見て、頭の中で問題を解くのが精いっぱい。これは、少なくとも医学部志望にとっては無視できないハンデ。そういう焦りが滲み出てるんでしょうね」

 冷静に自己分析をする円香に結弦は言葉を失う。

「すまん。邪魔してしまったな」

「この程度で邪魔になんてならないわよ。ここは生徒会室ほど寒くないしね。それに、高木くんも同級生の中では熱心に勉強している方だと思うけど。 貴方、去年の定期試験は毎回2位だったわよね」

「へえ、そうだったのか」

「そうだったのかって、知らなかったの?」

「あんまり興味がない。赤点じゃないなら別にいいかなって」

 特に気取っている様子もなく結弦は答えた。当然、1位は誰なのかということにも興味はない。「毎回1位を取っている人に言われても」という反応を期待していた円香は少しがっかりした。

「ちゃんと毎日勉強してるからな。その成果が出ただけだ」

「それは、行きたい大学があるから?」

「いいや。特にないよ」

「じゃあ、勉強が楽しいからってこと?」

「……どうだろうね。楽しいと思ったことはないかな。他にやることがないからやってる感じだ」

 結弦はくるりと椅子を開店させて円香に背を向けると今日の授業の復習を始める。将来の焦りに対する必死さもなく、嫌々やっているわけでもなく、ただそれが当然のことであるかのようにペンを走らせる。

 高校二年生、進路を意識し始める時期だが、結弦はやりたいことというものがよくわかっていなかった。正直、進学するかどうかも決めていない。それが姉にとって大きな負担になるのなら行くつもりはないし、逆に行くことで得られる恩恵の方が大きいなら、金銭的負担が少ない範囲で行けそうな大学に行くつもりだ。

 ただ、強いていうなら結弦にも目標のようなものがないわけではなかった。

「強いていうなら。少しでもマシな歯車になれればかなって、僕は思ってる」


 

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