神のご加護が届く場所〜霧雨の加護編

しろがね。

第14章ー里帰りー

第1話ー帰省のご挨拶ー

 ———学園が夏休みに入り、シンシアは実家からの呼び出しで、フィーゼを連れてクリミナードの屋敷に戻ることとなったのだった。


「ただいま戻りました、お父様、お継母かあ様」


 到着するなり謁見の間に通されたシンシアとフィーゼは、目の前の玉座に座る公王と公妃の前で深々と頭を下げて挨拶する。


「久しぶりだな、シンシア。———10年ぶりか。息災であったか?」

 

「…はい、お父様。授けてくださった有能な従者がそばにいてくれるお陰で、変わりなく過ごせております」


 シンシアは後ろに控える従者をそっと振り返り、笑みを向ける。


「それは何よりだ。———そうか、お前がダルクが育てた、あの冬の精霊アウスジェルダか。立派になったものだな」


「恐れ入ります、閣下」


 公王の言葉に、フィーゼはその場にスッと跪いて主人同様、深々と頭を下げる。


 それを見て、公妃はフッと息をつく。


「あら、従者なのだから、常に主をそばで守護し、日々の生活の世話をすることなんて当たり前のことではありませんか。それをシンシア、あなたはいちいち従者のお陰だなんて」


「まぁ、それもそうだな」


 公王もその言葉には頷く。———だが、


「…恐れながら公妃様、お言葉ですが———、」


「主?」


 珍しくシンシアが食ってかかったのだ。そんな主の耳には美しく左右異なった色の耳飾りが光る。


 彼女の勇ましい姿を目の前に、従者は目を見張りながらパッと顔を上げるのだった。


 一体どうした?以前ならこんな嫌味、あなたはきっと相手にもしなかったはずなのに———。


 フィーゼは慌てて立ち上がると、ポンっと、主の肩に手を添えて、何も言わずに首を横に振った。


「フィーゼ———っ、」


 彼の行為でスッと冷静になったシンシアは、


「なんでもありません、失礼いたしました」


 と、頭を下げてそのまま押し黙る。


 そんな彼女を上から見下ろしながら、公妃は続ける。


「シンシア、なぜ今まで一度も戻って来なかったのです?寂しいではないですか。手紙も一切寄越さずに…。心配していたのですよ?ねぇ、公王様」


「あぁ。昔からよく言って聞かせていたはずだぞ?たまには連絡を寄越せと。母上をあまり心配させてはならぬ」


「っ…、も、申し訳、ございません」


 二人の言葉に、シンシアは頭を伏せたまま、静かに下唇を噛む。


「———生憎ですが公王様、公女殿下は学業や部活動にお忙しかったもので…」


 そこに従者がそっと口を開く。


「まぁ、この継母ははに手紙を書く暇さえなかったと?この10年もの間一度たりとも?学生ごときの忙しが、公王様や私よりも忙しかったということかしら?」


「…っ、」


 公妃の辛辣な言葉にそれ以上何も言えず、やるせなく目を伏せて口を閉じるフィーゼ。


「申し訳ございません、お継母様、全て私の不徳の致すところです。どうかその寛大な御心でお許しください」


 ただただ深々と頭を下げて平謝りに徹する主のそばで、フィーゼはもどかしそうに彼女と共に頭を下げるしかできないでいた。


 彼は人知れず悔しそうに奥歯をグッと噛み締め、それからシンシアは両親に近況報告を終え、自室へ戻るのだった。



 ♢



 謁見の間を出てフィーゼは1人、両手いっぱいにシンシアと自分が持ってきた大荷物を抱えている。


 シンシアの部屋までの道のりは謁見の間からかなり遠く離れており、なかなか着かないのだ。


 そんな中、


「さっきは、ごめん」


 突如切り出したのはフィーゼの方だった。そんな彼を不思議そうにシンシアは見やった。


「余計なこと言って、逆にあなたを窮地に追いやった。従者として失格だ」


 普段の勢いを無くした従者の小さい声に、あぁ、そんなことかとシンシアはフッと息をついた。


「余計なことじゃないよ。庇ってくれようとしたんでしょう?ありがとう。私の代わりに言い返してくれて、嬉しかった」


 そう言って優しく微笑む主を、従者はうまく見られないでいた。


 それからはまたしばらく無言のままの2人だったが、とうとう我慢できなくなったのか再びフィーゼが口を開いた。


「全く、これくらいの荷物、誰か先に運んどいてくれよな。人だけは無駄に多いくせに…」


 思わず心の声が外にダダ漏れになっている。今までも何人かの使用人とすれ違いはしたが、手を貸そうとする者はが々一人としていないのだ。見た感じ中には手が空いてそうな者が何人か見受けられたものだが…。


 屋敷を出る10年前に見た光景と何も変わっていないことに、呆れを通り越してもはや笑いしか出てこないありさまだ。


 久方ぶりのお嬢様のご帰宅ともあろうに、そもそも、すれ違った誰一人、彼女に挨拶するどころか、目を合わせようともしない。そして問題なのはそれを咎める者さえ誰一人としていないことだ。———そう、あの父親の公王様もがだ。


 全てはあの公妃の差金か?そう思うとハラワタが煮え繰り返って仕方がない。


 フィーゼはここまでにすれ違ってきた数多あまたいる屋敷の使用人たちの相変わらずの態度に発狂しそうになっていた。


 ———そんな中、


「そうだ、ワゴン、借りてこようか…?」


 四苦八苦して大変そうな姿の従者を前に、遠慮がちに口を開く主。


 荷物をそこに積んで運べば便利だよと、フィーゼの顔を伺い見る。


「お嬢がわざわざそんなことする必要ない」


 口を尖らせながら、せっかくの申し出を突っぱねる従者。


 ってか、ワゴン借りるとか、なんか負けたみたいでヤダ!と、まるで子供みたいな返事をする彼に、一体誰と張り合ってるの?とシンシアは苦笑いをうかべるのだった。


「じゃあ、私の分は私が持つ———」


「ダメだ!!天下の公女殿下にそんなこと死んでもさせられねぇ!」


 フィーゼはせっかく手を差し伸べるシンシアに首を横にふる。


 ———そんなこんなしている間に、2人はようやく部屋に到着した。


「…はぁ、やっと着いた〜」


 シンシアは全身の緊張が一気にほぐれたと言った様子だ。そのかたわらでフィーゼは荷物を下ろし、丁寧に荷解きしていく。


「ありがとう、フィーゼ。重かったでしょう?荷物、ごめんね」


「こんくらい、何ともない。お嬢が魔法で軽くしてくれてたお陰だ」


 フィーゼはそう言いながらニッと笑った。


 彼が言うように、持っていた荷物の重さを、シンシアが風の魔法でできる限り軽くしてやっていたのだった。


 シンシアは彼の顔にホッとすると、そのままベッドに横になろうとした。


 ———その時、


 お嬢、ちょっと待って!と、フィーゼが慌ててそれを止める。


 肝心のベッドにシーツがかかっていないのだ。


「恐れ多くもこんな所まで公女殿下にセルフサービスを強いるなんて」


「いいよ別に、このままで」


 そう言って力無く笑うシンシア。



「あなたがよくても、俺は嫌だ!」



 フィーゼにそう言われて、シンシアはハッと彼を見た。


「シーツとか諸々一式貰ってくっから、ちょっと待ってて」


 そう言ってそそくさと部屋を出て行こうとする従者に、


 私も手伝う!と、慌てて後を追おうとするシンシア。しかし、フィーゼがサッと手をかざし、動きを阻まれる。


「ダメだ!主の身の回りの世話は従者の仕事だ。俺の仕事を取らんでくれ」


「———は、はい、お願いします」


「おぅ!すぐ戻ってくる」


 そう言ってフィーゼは腕捲りをしてニッと笑うと、部屋を出ていくのだった。


 それを見送ると、シンシアは改めて、10年前、まだ幼かった頃の自分が使っていたこの部屋を見渡した。


「…あの時のままだ。何も変わってない」


 まずは締め切られたカーテンと窓を開ける。


「ケホッ、コホッ。あれ、この窓、こんなにたて付け悪かったっけ?」


 10年間誰一人出入りしていない部屋は埃まみれで、思わず咽せてしまうシンシア。


 苦し紛れに宙に手をかざすと、何処からか風が吹き込み、あっという間に埃だけを全て窓の外へ連れ去って行ったのだった。


「フフッ、掃除完了!とりあえず埃はなくなったかな。学園で魔法を学んでてよかった。ついでに部屋の空気も入れ替わったし」


 ———ぁ、フィーゼにまた仕事を奪うなって怒られちゃうな。


 シンシアはその時のことを想像して苦笑いするのだった。


 学園で学んだ風の魔法で一気に掃除が終わって綺麗になった部屋に満足気に微笑むシンシア。


「———はぁ、また帰って来ちゃったな」


 一人になった部屋で、窓の淵に手をつきながらポツリとそう呟くのだった。


「…ううん、大丈夫だよ。久々にお会いしたから、少し疲れただけ」


 シンシアはまるで誰かに答えるかのように、一人で呟く。そんな彼女の耳元では、例の耳飾りがキラキラ揺れている。


「…っ、え?フィーゼが?」


 また一人そう呟くと、


「お嬢〜ドア開けてくれ〜」


 両手に大荷物を抱えたフィーゼが丁度戻って来たので、シンシアは半信半疑でドアを開けて、おかえりと彼を出迎える。


「…本当に戻って来た」


 思わず心の声が漏れる。


 ———耳飾りが教えてくれた通りだ。“ もうすぐフィーゼが戻って来る ” って…。


 シンシアは耳飾りが伝えた正確さに驚かされていた。


「…何?」


「ううん、おかえりなさい」


 ボーッとたたずむ自分を不思議そうに見やる従者に、もう一度出迎えの言葉をかけた。


「寝具一式と、あと、タオル類やら持って来れるだけ持って来た。自由に使ってやろう?」


 そう言いながらフィーゼはいたずらっ子のように笑いながら、手際よくベッドメイキングを始める。


「よくこんなに沢山貸してくれたね。今日の洗濯場の担当の人は優しい人だったの?それか、たまたま事情も知らない新人さんが相手だったとか?」


 シンシアは不思議そうにフィーゼが持って帰ってきたものを見やる。


「別に誰からも借りてねぇよ」


「へ?」


「誰もいなかったから、勝手に取って来てやった」


「取って来たって…、バレたら、後で怒られちゃうよ?」


 勝手気ままな従者の言葉に思わず呆れ顔の主。


「素直に言ったってどうせ意味ないんだから、別にいいだろ。それに、ちょっと減ったくらい気づかねーって。この屋敷にどんだけ部屋があると思ってんだよ。それになんか言ってきたら、俺が即座に氷漬けにしてやる」


 拳を構えるフィーゼに、コラコラ…と苦笑いのシンシア。


「よし、出来た!もぅ寝ていいぞ〜」


「…じゃ、お言葉に甘えて」


 シンシアはそのままフカフカのベッドにダイブしたのだった。


 うわぁ、気持ち良い〜と、笑顔で横たわる。


 その姿に、それは何よりと、フィーゼもベッドにちょこんと腰掛ける。


「…へぇ、ココがお嬢が小さい頃過ごしていた部屋か」


 そう言って部屋全体をゆっくりと見渡す。


「何も変わってない、のか?この部屋。俺はお嬢がここを出る前日に来たから、よく覚えてないけど」


「…変わってないよ。私たちが出て行ってから誰かが足を踏み入れた痕跡もないし。


 ———あの時はココが、私の世界の全てだった…」


 シンシアはムクッと起き上がり、フィーゼと同じ目線になる。


 ここが私の世界の全てで、ここは私にとって、まるで小さな牢獄のようだった…。


 シンシアは感慨深くそっと目を伏せた。


 ———そんな時だった。


「…なぁお嬢、少し、外、出よう」


 フィーゼは真っ直ぐ見つめてそう言った。


突然のことに、ぇ?と戸惑う様子のシンシアに、


「こんな所にいちゃ息が詰まる」


フィーゼはそう言ってスッと手を伸ばす。


「…うん」


 少し間を置いて、シンシアは一つ頷くと、目の前に差し伸べられた、少し大きくごつっとした優しい手に、そっと自分の手を重ねるのだった。


 その行為に、シンシアはふと思う。


 昔の私には、こうやって手を差し伸べてくれる人なんて、この牢獄から連れ出してくれる人なんて、誰もいなかったのに…。


 ———あの時の自分に教えてあげたい。あなたはもうすぐ、一人じゃなくなるよって。


 それから、今の自分が、幼いあの頃の自分自身を優しく抱きしめてやる姿が頭の中に思い浮かんだ。


 その時の彼女の表情はふっと緩んでいたのだった。


「———フィーゼがいてくれて、本当によかった」


 思わずポツリと零された言葉に、ん?何か言ったか?と首をかしげるフィーゼ。その声がとても穏やかで、心地よく耳に響く。


「…ううん、何でもない」


 シンシアは小さく笑ってそれだけ口にした。


 人ではないフィーゼの手が、今はとても暖かく、シンシアには感じられるのだった。


「———じゃ、行くか!」


「うん!」


 そしてフィーゼは、この狭い鳥籠からそっとシンシアを連れ出したのだった。


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