第33話 今度は間違えなかったもんな
浄と秋村家の二人は、あと数時間で消える梨園に帰宅した。
鐵也と響司のわずかな私物とバイクはすでに消えていた。
多摩区最後の時間は揉め事もなく穏やかで、慰めのように空は晴れていた。
「浄さん。荷物は各自まとめるから、ゆっくりしてくれよ」
「ありがとう」
長十郎からお茶のペットボトルを受け取り、浄は梨園に向かった。
ちんまりとした梨の木が身を寄せ合うようにしている。
『星雨の災厄』から四十年。
雨にも負けず、風にも負けずデブルス毒にも負けず……
健気に実を結んできた多摩川梨の木々。
それが明後日を最後に多摩区から永遠に消え去ろうとしている。
「梨の木、枝の一本でも持ち出せないの?」
「それも考えたんだが…デブルスに汚染されてるもんを
外に持ち出すのもな。新しくなった多摩区にも悪影響かもしれねえし」
「そっか……」
浄は残念そうに応え、一秒後そのことを後悔した。
誰よりも残念に思っているのは長十郎ではないか。
「浄さん、これ」
郁実は三つのタッパーを重ねて浄に差し出した。
「うちで採れた最後の梨の実。
早生がなんとか食べられるくらいに間に合ったの。
時間があれば梨狩りさせてあげたかったんだけど……
金城さんや白鳥さんにも渡してくれない?」
「ありがとう。必ず渡すよ」
浄は微笑んで三つのタッパーをSKに大事に仕舞った。
SKの内部は時間の干渉を受けにくい亜空間だ。
コストの問題で普及にはほど遠いが、実は食品の保存に最適なのである。
「なんだかんだで、すぐ集合時間になっちゃいそうだね」
「色々あったが……終わるんだな、これで」
そよ風に葉を揺らす梨の木を眺めながら、長十郎と郁実はしみじみと呟いた。
浄の口から零れたのは、秋村家の二人への謝罪の言葉だった。
「……ごめん」
「え?」
「俺がしたことって……結局、二人を……
みんなをぬか喜びさせただけで」
「「そんなことねえよ!」ないから!」
長十郎と郁実、ほぼ同時に強く言う。
「浄さんが責任を感じることなんかひとつもないの!
一方的に契約を終わらせたの私達なんだから!」
「そうだよ!それに浄さんがいなくたって、今日って日は勝手に来たさ」
長十郎は一度言葉を切り、続けて言った。
「でも、今みたいにさっぱりした気分じゃなかっただろうよ」
ナマダ清掃の悪事、翔吉の死、
デブルス毒に苦しむ日々を救った新たな特務清掃員達……
たった一ヶ月余りの付き合いであっても、
秋村家の二人と浄は苦楽を共にした戦友同士だった。
ぐっと小さく喉を鳴らしたあと、長十郎は郁実に言った。
「それに俺ら、今度は間違えなかったもんな……郁実」
「うん。そうだね、おじいちゃん」
微かな微笑みを浮かべ郁実は頷いた。
「……俺はバカだよ」
長十郎の皺だらけの頬を涙が伝い落ちた。
「おめえと翔吉を連れて、さっさと引っ越しゃよかったんだ。
梨園なんか捨てっちまって、もっと早くに。
……モタついてるうちに、結局なにもかも、
みんな失くしちまった……」
「おじいちゃん、全部失くした訳じゃないよ……
浄さん達が無事なんだから」
「そうだな……そうだよな……」
「あたしだっているよ。
あたしはずっと、おじいちゃんと一緒だよ……」
長十郎はこれ以上こらえ切れず声を上げて泣いた。
泣きながら「すまねえ」と何度も繰り返した。
その小さな背中をさすりながら、郁実も泣いた。
浄は二人の傍らに立ち、黙って見守ることしかできなかった。
***
同日 17時
多摩区役所前に高機動車二台とバスがやって来た。
各車から陸上自衛隊員数名がきびきびとした動きで降り立ち、
区民達の前に整列した。
がっしりとした堂々たる体躯に日に焼けた精悍な顔立ちの隊員が歩み出る。
「陸上自衛隊首都圏防疫部隊・
和泉多摩川防衛線分隊長・島田一等陸曹であります。
皆様は、我々が責任をもって調布市内の避難施設までお送りいたします。
少しの間、ご辛抱ください」
ザッ!
一斉に礼をする陸自隊員たちに、多摩区民たちは感嘆の表情を隠せなかった。
特務清掃員達とはまた別の頼もしさを感じる。
二十名ほどの区民達は、隊員の点呼と案内に従ってバスの荷物入れに
手荷物を積み込み、次々とおとなしく座席に着いた。
そして十七時半。
すべての区民を載せ、すべての点検を終えたバスと高機動車は
多摩区を後にしようとしていた。浄は秋村家の二人に手を振る。
秋村家の二人はバスに乗らず、梨園の名をペイントした軽トラで去る事にした。
『亡き息子夫婦がプレゼントしてくれた車だから』と長十郎が言うと自衛隊は納得してくれた。特に清掃庁から禁止もされていないのだろうが、杓子定規に確認を入れることもしなかった。
「じゃあ二人とも、元気でね」
「浄さん、ありがとう!元気でなぁ!」
「落ち着いたら電話するから!浄さんも気を付けて帰ってね!」
「ありがとう!待ってるから!」
長十郎の運転で梨園の軽トラが走り去る。
続いて多摩区民達の載ったバスの車窓にも浄は手を振り見送った。
「清掃員さん!ありがとねぇ~!」
「さようなら~!」
「さよなら~!」
多摩区民達が窓から手を振った。
浄はバスの後ろ姿が完全に消えるまで手を振り返し続けた。
この別れの言葉は浄に向けてのものだけではあるまい。
長く苦楽を共にした、住み慣れた土地…
川崎市多摩区への惜別の言葉だった。
陸自高機動車に先導され、多摩区民たちを載せたバスと軽トラは
青い夕闇に沈むように消えてゆく。
その様を浄とマメ公は一人と一機で見送った。
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