第21話 愛執ノ昇華(あいしゅうのしょうか)
その後も、イズナはますますナギの寝所に通いつめるようになった。
政務を放り出してでも、ナギの白い肌に包まれることを選ぶ。
そんな夜が続いて、久しい。
この夜もまた、ろうそくの明かりが揺れる中、ふたりは褥の上で絡み合っていた。
ナギはその肌に薄く汗をにじませ、重ねられた体の下で、息を漏らす。
長い髪が枕に乱れ、胸元の襟がはだけ、肌の起伏があらわになっていた。
「……ナギ……ナギ……」
耳元でささやくイズナの声は、すでに我を忘れていた。
その時だった。
ナギが、かすかに息を上げながら、イズナの耳元に唇を寄せる。
「……私なら……オオキミのお子を孕めますのに……」
その声は、かすれた吐息に紛れていたが、確かに、イズナの耳朶(じだ)に届いた。
「……ッ」
イズナの動きが一瞬止まり、そして――さらに深くナギを抱いた。
「今宵…、孕めば……間違いなく、オオキミのお子…」
ナギは微笑みながら、両の腕をその背に回し、艶然と身を委ねた。
その夜、イズナは何度もナギの名を呼び、まるで少年のように情を注ぎ込んだ。
イズナが眠りについた深夜、灯が落とされた寝所の外、月の光が障子にうっすらと映る。
その静寂のなか、ナズナがそっと奥の部屋へと入ってきた。
「サヌカどのから、こちらが――」
ナズナは声を潜めながら、小さな革袋を袂から取り出し、両手で差し出した。
「床が……猛々しくなるとか」
その口調には、どこか艶っぽさと毒が混じっていた。
ナギは手に取った袋を指でつまみながら、わずかに眉を寄せる。
「これ以上、猛々しくなられたら……どうしましょう」
呟くその声に、ナズナがくすりと笑い、ナギもまた、ふふっと喉を鳴らした。
薬は乾いた粉末で、盃に落としてもすぐには気づかれぬ。
ただし、過ぎれば命を縮める――かもしれない。
「……このまま狂えばよいのです」
ナギがそう囁くと、ナズナは扇で口元を隠しながら、ゆっくりと一礼した。
そうして、また一夜がふけてゆく――。
その朝も、陽はすでに高く昇っていた。朝議の刻限をとっくに過ぎてなお、イズナはナギの寝所でまどろんでいた。
乳白の薄布が天蓋から垂れ、光をやわらげている。
枕元にうつ伏したナギの艶やかな黒髪に、イズナの指先が絡む。
その時――。
寝所の扉が荒々しく開け放たれた。
「……やはり、ここであったか」
入ってきたのは、紫の裾を乱したキサキだった。目尻に怒気を宿し、口許は怒りにわなないている。
「根も葉もない噂を流しているのはそなたであろう! オウジを生んだのは、この私。なのに、なぜツワナから来た異国の女が、オオキサキの座に――!」
イズナは跳ね起きかけたが、ナギが先にゆったりと身を起こした。
「私は、ツワナの義父より命じられ、こちらに参りました。今は、すべてオオキミの思し召しに従っておるまでのことにございます」
ナギは、あくまで穏やかに、しかしひとかけらの揺らぎも見せずに応じた。
ふ、と扇で口元を隠すと、キサキに目を向ける。
「……とはいえ。キサキどのも、お淋しいご様子。オオキミ、たまには……あちらのお部屋へ」
その瞬間、イズナの眉がひくりと動いた。
「何を申す!何故今更このオナゴと!」
怒りとも嫉妬ともつかぬ声音に、ナギはふふっと、いたずらっぽく目を細めた。
「畏れながら――。オオキミの寵を得たのは光栄にございます。されど、近頃は少々……寝不足にござりまする」
その艶のある低い声が、寝所に静かに響いた。
ナギの言葉に、イズナの顔が赤らんだ。怒りとも、恥じらいともつかぬ熱が、頬から耳へと広がる。
そんな二人を見つめていたキサキが、とうとう声を荒げた。
「そなたが来てからというもの、政も乱れるばかり……オウジの継承の話も進まず、宮の者たちは惑わされるばかりじゃ!」
イズナが唇を開こうとした時、ナギが一歩進み、落ち着いた声で言った。
「キサキどの――。私は、ツワナのオオキミの娘として、ここにおります。あなたが私に仰ることは、ツワナ国に対してのものという事でよろしいか?」
その声音には、柔らかさと、ぞっとするほどの冷気が同居していた。
キサキの目が、大きく見開かれた。
ナギは続けた。
「オオキミ――キサキどのも、余程お淋しかったのでしょう。よろしければ、ここにお加えくだされ。私と共に、オオキミのお情けを賜りましょう」
ナギの扇が静かに動き、艶然とした微笑が、白い頬に浮かぶ。
だが、イズナの声は低く、はっきりとした。
「冗談ではない。……出て行け、今すぐにだ」
キサキの肩が震えた。唇を噛み、顔を背けたかと思うと、絹を引き裂くような衣擦れの音とともに踵を返し、寝所を飛び出していった。
その背に、ナギはひとつ、ため息をついた。
その低く鋭い声に、キサキは凍りついたように立ち尽くした。だが、次の瞬間、寝所の襖が静かに開き、控えていた侍従たちが無言で近づく。
キサキの肩を押すようにして、彼らは彼女を寝所の外へと誘った。振り返りざま、キサキは火花のような視線をナギに投げつける。
「オオキミ……っ、このままではカムナは……!」
絹の裾が激しくはためき、怒りを抱えたまま、キサキの姿は寝所から出された。
ぴたりと静寂が訪れた寝所に、ナギは微笑みを浮かべたまま、姿勢を崩さずに立っていた。
次の瞬間、イズナの身体が大きく動いた。ナギの華奢な肩をつかむと、そのまま絹の褥へと押し倒す。
「ナギ……っ」
押し寄せるように重なったイズナの身体。その眼は激情に濡れ、もはや理性の光はなかった。
ナギの唇に荒々しく口づけが落ちる。息を呑む間もなく、白い襟元が裂け、裸の肌があらわになる。
「オオキミ……」
かすかに震える声が、褥に溶けた。ナギの白い指が、彼の背を抱く。
褥が、たちまち熱を帯びる。
まるで、さきほどの口論など存在しなかったかのように――
ナギとイズナは、ただ互いの熱を貪りあった。
艶やかな香の煙が、静かに寝所を満たしていた。
夜半を過ぎても、なおナギの寝所に灯が消えることはなかった。
絹を滑らせる音、押し殺した吐息、艶めいた嬌声。
何もかもが、張り詰めた空気の中で妖しく混ざり合っていた。
「……ナギ……もっと……余を……」
イズナは、目の焦点も曖昧なまま、火照った体を彼女に預けるようにして身を重ねていた。
その肌は、まるで熱にうかされた獣のようだった。
「オオキミ……もう、これ以上は……」
ナギの声は甘く震えていた。
だが、その瞳の奥には、醒めた光が宿っていた。
長く、深く、繰り返された交わりに、すでに快楽は薄れていた。
だが彼女は、耳元で囁く。
「……あぁ……オオキミ……ナギは、嬉しゅうございまする……」
その声に、ますます興奮したのか、イズナは身体を震わせ、わななく指先で彼女を掴んだ。
「ナギ……そなたは……まるで……火のようじゃ……」
熱に浮かされた声でそう言いながら、イズナは再び彼女に覆いかぶさる。
だが、その瞬間だった。
「……ぅ……ぐっ……」
イズナの呼吸が、喉の奥で引っかかったような音に変わる。
目を見開き、額から玉のような汗を浮かべながら、身体を仰け反らせた。
「……オオ……キミ?」
ナギが名を呼ぶよりも早く、重たい音を立てて、イズナの身体が彼女の上に崩れ落ちた。
ずしりとしたその重みに、一瞬、身動きが取れなくなったナギは、しばし天井を見つめたまま呼吸を整えた。
やがて静かに、彼女はその身体を押しやり、ゆっくりと起き上がる。
乳白色の寝間着を整え、長い髪を背に流す。
その仕草は、まるで舞姫のように優雅で、怜悧だった。
彼女はしばし、動かぬイズナの顔を見下ろし、やがて扇子を取り上げると、柔らかく扇ぎながら寝所を出た。
襖を静かに開くと、そこには控えていたナズナの影。
「……薬師を」
ナギは一言、涼やかに告げた。
ナズナは一瞬目を伏せ、静かに頷いた。
「畏まりました」
そして夜が、ようやく、明けようとしていた――。
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